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大は青い空をただ呆然と眺めていた。天国に残ったことを後悔し始めている自分が嫌だった。
花埜は新村兄弟達が立ち去った後、大に話かける事無く清吉と姿を消した。
あれからどの位時間が経ったのか、少年はただそこにいた。
「田倉くん」
待ち焦がれた声に呼ばれて、大は振り向く。
「八島?」
呼んだのはやはり花埜で、大は自分の目の錯覚かと何度か瞬きを繰り返す。が、花埜の姿は消えることなくそこにいて、嬉しさがこみ上げる。
「田倉くん、私のために残ってくれてありがとう」
しかし、その言葉で大の気持ちは一気に冷める。そんな彼に気がつくことなく制服を着た花埜は笑顔を浮べていた。
「私、とっても嬉しかった」
「あんた誰だ?」
掛けられるはずがない言葉を続けざまに聞き、大は花埜ではないことを確信した。
「つまんないなー」
すると彼女は笑顔を崩し、不服げに口を尖らせる。花埜であった姿が変化した。
「飛天茜!」
ひらひらと羽衣を揺らし、現れた天女。少年の声は怒気も伴い大きい。
「あ、怒ってる?」
しかし、茜は構うことなく無邪気に笑う。それがまた大の怒りに油を注いだ。
「……俺に構うな」
本当は怒鳴りつけたい気持ちを抑え、少年はくるりと背を向ける。彼女に当たってもしょうがない。もしかしたら自分を慰めるつもりだったかもしれない。怒りを覚えながらも大はそう考え、歩き出した。
「大くん、待ってよ。暇でしょ。一緒に遊ぼうよ」
天女は大を追い、その前に舞い降りる。
「悪いけど、そんな気分じゃないんだ。一人にしてくれよ」
「……大くん」
彼らしくない言葉、様子にさすがに陽気な天女も戸惑う。大は俯くと茜と視線を合わすことなく、そばを通り過ぎた。天女はきゅっと唇を噛む。一瞬迷った後、少年の背中を追った。
⭐︎
獅子唐の音が規則的に鳴り響く。庭園に一角に設けられた屋敷。そこから伸びている石畳をたどると少し小さい池が広がる。澄み切った池の中では色とりどりの鯉達が競うように優雅な泳ぎを見せている。
花埜は池の畔にしゃがみこんでいる。視線の先は池の中。
「花埜」
最初はおかみさんと呼んでいた少女の、現代の名を呼ぶ。彼女はゆっくりと立ち上がると笑顔を向ける。自分を死に至らしめた絹、しかし愛した女の顔だった。
「……本当によいのか?」
清吉は花埜がこの天国に残ることが嬉しかった。絹を憎んでいたが、同時に愛していた。その気持ちは彼女が花埜という少女に生まれ変わっても変わらなかった。
自分のために死んだ彼女。それにより憎しみの感情は消え去った。今あるのは彼女を愛しいと思う気持ちのみだった。
「……いいの。私は清吉さんと一緒にここで暮らすの。それが私の幸せだから」
少女は清吉を見つめる。その瞳に以前にはない迷いが見えた気がした。
「……花埜」
が、少年は気付かないふりをして、花埜を抱きしめる。
天国に来て、何度も抱きしめた。生きていたときにはできなかったことだ。現世にいるときはそんな自分の気持ちにさえ、気付かなかった。だから、清吉は花埜の瞳に見たものを無視した。