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「大!起きなさい!」
がばっと布団を剥ぎ取られ、大は寒さに震えながら目を覚ます。
「学校遅れるわよ。朝ごはん食べるんでしょ?」
「……母さん?」
大は目の前で微笑を浮かべる人物を見て目を見張る。それは写真でしかみたことがない、生きてるはずのない母だった。
「なに、ぼやっとしてるの?夢でも見たの?」
「夢?」
(そうか、夢。あっちが夢なんだ。変な夢だった。地獄とか、母さんがすでになくなってるとか、おかしな夢……)
「おはよう。大」
歯磨きして、制服をきたらそこにいたのは父、これまた夢の中ではなくなっていたはずの父だ。
(ほんとう、可笑しな夢だ)
「おはよう」
大は苦笑しながら挨拶を返し、椅子に座る。
テーブルに並ぶのは味噌汁、ごはん、卵焼きなど和食だ。
「いっただきます」
温かい味噌汁を口に含み、大は幸せに浸る。
(変な夢……両親が亡くなっている夢、地獄に行く夢、本当可笑しな夢だ)
「おはよう」
自宅を出て歩き出すと、現れたのは八島花埜。その隣には彼女の幼馴染の清吉がいる。
大は前から花埜のことを気になっていた。しかしその横の清吉がいつも彼女を守るように側にいてなかなか話す機会がなかった。二人はクラスの中で浮いた存在で、いつも二人だけの世界にいるようだった。
まっすぐな長い黒髪を綺麗に束ね、落ち着いた雰囲気を持つ花埜に、乱雑に伸びた黒髪に鋭い目つきの清吉、一見アンバランスの二人だが一緒にいるとごく自然に見えた。
家が近くなので登校時間はほぼ同じ時間帯、大はいつも二人の後ろをとぼとぼ歩いていた。
「おはよう!」
教室に入ると出迎えたのは今日も元気そうな鈴木だった。大は彼と軽口をたたきながら、花埜と清吉の様子をうかがう。今日も二人だけの世界をつくり、花埜は彼にだけ柔らかな笑顔を見せていた。
ホームルームが終わり、白馬の数学が始まる。
しかし大はその授業に違和感を覚えた。白馬の冗談に笑いが起こる教室、活発な授業……。
(おかしい。白馬ってこんな奴だっけ?)
教壇に立つのは整った顔の色男の数学教師、冗談を交えた彼の授業は評判がいい。
(白馬って確か馬面でだから、白馬の王子様の馬に例えて、白馬って呼ばれていたよな。いや、あれは、夢の話。俺の勘違いか……)
大はそう思い直すが違和感を拭えず、居心地が悪い気持ちで授業を受けていた。
それ以外にも奇妙に思えることが多く、大はなんだか自分がおかしくなったような気持ちに陥っていた。
「大~。吉谷先輩が呼んでる」
昼休みの終わり近く、大は吉谷に呼び出される。
教室の入り口で待っていたのは野球部の先輩。大は自分と同様に短く刈られた髪の吉谷を見て安堵した。
(吉谷先輩はあの夢と同じだ。あ、でも、なんだっけ。ああ、清吉が幽霊で乗り移ってるとかそういう話もあったな)
先輩の顔をみながら夢を思い出し、大は苦笑した。地獄とか、幽霊とか悪霊とか、アニメみたいな夢だったとおかしな気持ちになったからだ。
「田倉?何がおかしいんだ?」
「あ、いえ。なんでも」
(やばっつ、聞いてなかった)
自分を睨みつける吉谷を見て、大は後悔する。
「笑うのも今のうちだからな。放課後はみっちりしごいでやるから」
にやっと笑われ、大は寒気を覚える。
「じゃあ、またな」
しごきの鬼と化した先輩は、そんな後輩の肩をぽんぽんと叩き、くるりと背を向ける。
(何の用だったんだ?)
今さら話を聞いてなかったと言えば更なるしごきが待っている、大はそう思い口をつぐんだままその背中を見送った。
放課後、ユニフォームに着替え、校庭に出る。
先輩の姿が見えず、大は安堵の息を吐いた。
そしてふと目に入った男女の姿を見て違和感を覚えた。
「海山先輩に、新邑先輩?」
二人は親しげに会話をしながら、校庭の端っこを歩いていた。
(あれ?今日は海山先輩部活休み?)
大の疑問は解けないまま、二人の姿は校舎に消える。
「田倉くん、ちょっと手伝って!」
そう声がして振り返るとそこにはポニーテール姿の女子生徒の姿が見えた。
(誰だ?)
「田倉!お前、圭子に何重いもの持たせてるんだよ!」
ぼうっとしてる大にいつの間にか来ていたのか吉谷がそう叱りつける。
「はい!すみません」
考えるのは後だと大は慌ててその女子生徒に近付く。
体操服を来てることから、それがマネージャーであることがわかる。しかし、大には見覚えのない女子生徒だった。
(だいたい、マネージャーは海山先輩だったよな)
しかし、そう思っているのは大だけで、その女性はマネージャーとして部員に慕われていた。しかもどうやら吉谷先輩の彼女であることも分かった。
(えっと、吉谷先輩って、海山先輩が好きだったんじゃ?)
そんなことを思うが、それは大だけの思い違いで、二人は部活の担当教諭が顔をしかめるほど仲の良いところを見せつけていた。
「大、お帰り。御飯の前にお風呂入りなさいね」
家に帰ると母親が笑顔でそう言った。その笑顔に泣きたくなる気持ちを覚え、大は素直にお風呂場に向かう。
大きな浴槽のお風呂場、綺麗だが自分の家のような気がしなかった。浴槽にドボンと入り、天井を見上げる。
(違和感だらけの一日だった。なんでだ?)
父と母といる幸せ、今まで感じたことがない幸福感だった。
しかし違和感を拭いされなかった。
「!」
ふと腕に傷があるのに気づく。
(これは……カラスに襲われたときの……なんで?)
あれは夢のはずだった。
餓鬼に取りつかれた先輩達が操るカラス、学校だけではなく、花埜の家も襲われた。
「……夢じゃない。夢なんかじゃないんだ!」
腕に付いた傷を触り、そう叫ぶ。
するとガラスが割れる音がして、場面が変わった。
「……どうして?」
そこはピンク色の靄に包まれた花畑だった。驚いた顔をして大を見ているのは天女姿の飛天茜だ。
「どうして?それはこっちの台詞だ!」
大は茜を睨みつける。あの暖かな家庭、世界は全て作られたものだった。それがわかり大は怒りを押さえることができなかった。
「……気付かなきゃ、ずっと幸せな夢の中で過ごせたのに」
鋭い視線に臆することなく茜は大を見つめ返す。
「偽りの世界の幸せなんかいらない。俺を八島のところに連れて行け」
「……彼女は偽りの世界を望んでいる。彼女は戻りたくないはずよ」
茜はそう言うと大に背を向ける。
「そんなの、そんなの。俺はわからない。俺が話す。だから連れて行ってくれ!」
「……わかったわ」
天女は再び大に向き直ると頷いた。