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非日常のはじまり  作者: ありま氷炎
第6章 地獄で生きる者たち
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5

「神通、欲食。人間の魂に同化し、その上体を乗っ取り、現世を騒がした罪は重い。九百年も餓鬼の身でありながら反省の余地もない所業、裁きは一つしかない。魂を消滅させる」


 閻魔大王の言葉は予想がついていた。しかし欲食にとってはやはりショックであり、彼女は震える手で神通の手を握り締めた。神通へ欲食が感じる恐怖が流れ込む。


「お前は一人ではない」


 神通は彼にしては珍しい優しい声音で彼女に囁いた。


(餓鬼になり、たった一つだけ意味があることがあったな。それは欲食と出会ったことだ)


「双方準備はよいか。処罰はわしが直接下す」


 閻魔大王はそう言うと椅子から立ち上がった。


「!?」


 その瞬間、轟音がして扉の破片が飛び取る。


「待った、待った!待ってよね!」


 裁きの間に、というよりも地獄にまったくふさわしくない明るい声が裁きの間に響く。


「飛天茜か。馬貴まで」


 どよめく牛頭馬頭に制し、閻魔大王は爆風と供に現れた天女、そして部下の馬貴と人間の大に目を向ける。


「閻魔大王!神から伝言があるの。神通に関して裁きは保留。もう一度チャンスを与えることだって」

「……神がそのようなことを。しかし、チャンスを与えるなどこの者には意味がないことに思えるが……」


 閻魔は茜より伝えられた内容に納得がいかなかった。九百年も餓鬼として地獄で亡者の監督をしてきたが、結局彼はまた罪を犯してしまった。チャンスなど与える必要はないというのが閻魔の考えであった。


「閻魔……」


 渋い顔をして黙りこくる閻魔に、茜が優しい声音で話しかける。


「神?!」


 表情が柔和になり、光を放ち始める天女に閻魔はそう呼びかけた。


「すべては私が始めに起こしたことなのです」


 穏やかで子守歌を歌うような声が裁きの間を支配する。すべての者が神々しい光を放つ茜から目が放せなかった。

 神通も同様で、馬貴から流れ込む感情に心を乱されながらも、天女のほうへ意識を向けていた。

 その声は聞き覚えがあるものだった。

 あの日、力を得た日、美しい女性が現れ、神通――光長に力を授けた。

 そして、あの日から光長の人生は変わり、人々の醜い姿を目の当たりにするようになった。


「神通、いえ光長よ。あなたは私の声をまだ覚えているようですね。そうです。わたくしがあなたに力を与えました。それがあなたの人生を狂わせた」

「神……!」


 思いもよらぬ言葉に閻魔の顔が曇る。

 光長は力を得るまでは善良な青年であった。神が力を授けなければ生涯善良のまま終えたかもしれなかった。たとえそれが短い人生だったとしても。


「閻魔。彼にもう一度機会を与えなさい。百年の猶予を与えましょう。よいですね」

「……ははっ」


 閻魔といえ神に逆らえるはずはなく、ただ頷く。


「神通――いえ、光長、わかりましたね」


 神がその自愛に満ちた目を神通に向ける。しかし、彼は頷くことはなかった。


「神通!」

「兄上!」


 閻魔の叱責に重なり、馬貴の声が神通に届く。


(馬貴……。お前が貴良だというのか)


 真っ直ぐ見つめる馬貴から流れ込む感情に、神通は信じられない思いだった。


「そうです。僕は貴良です。兄上」


 馬貴は迷うことなくそう言い、神通に近付く。


(そんな馬鹿な……)


「兄上、今の僕にあなた同様の力があります。だから少しはあなたの気持ちがわかるつもりです」


 語りかけられる言葉に偽りはなかった。


「兄上。あと百年。どうか餓鬼として罪を償ってください。そして共に生まれ変わりましょう。僕はあなたと人生をやり直したい。あなたのことを理解できなかった。信じなかった僕を許して下さい」

「……貴良……」


 いろんな感情が神通の中を駆け巡る。このまま消滅して全てを終わらせてたかったのは事実だった。しかしこうして弟に謝罪され、再度やり直してみようかという思いが生まれる。


「神通……」


(あたいを一人にしないでおくれ)


 そんな想いが神通に入り込み、餓鬼は愛しい女の手を握りしめる。


「わしは欲食と共に消滅するつもりだ」

「!兄上!」

「……お前の想い、嬉しかった。しかし、わしはこの女を一人にするわけにはいかない」


 神通は欲食の手の震える手を握りしめたまま、答える。


「兄上……」


 馬貴は兄の強い意志にうなだれるしかなかった。この九百年、兄の傍らにいた欲食が彼にとってはかけがえのない存在であることがわかり、馬貴は自分が記憶を消されていたことを悔やんだ。


「貴良。悔やむことはない。わしはお前が転生することなく、わしをずっと見守っていたことを嬉しく思っている。ありがとう」

「兄上……」


 そう言って微笑んだ神通の笑みが、遠い昔に見た穏やかなものに重なり、馬貴の目線が緩む。


「神様!欲食にも百年の猶予を与えることはできないんですか?」

「田倉大!」

「大ちゃん!」


 それまで黙っていた大がそう口を開き、裁きの間がざわめく。しかも、恐れ多いことに人間が神に直接問いかけることなど、信じられないことだった。


「田倉大。人間の分際で口をはさむのではない!」


 ざわめきを収めたのはやはり閻魔の譴責けんせきで、発言した大も一瞬怯むが、再び口を開いた。


(欲食の奴も、神通の奴も、頭に来るけど。なんだか消滅っていうのはやり過ぎな気がする)


「俺は神通にも、欲食にも頭に来てるけど、もう一度チャンスを与えてもいいんじゃないかと思ってます。神様、チャンスを与えることはできないんですか?」

「田倉大!」


 閻魔は大の変わらぬ態度に顔をいつもの百倍近く険しくさせる。


「閻魔!良いのです。田倉大よ。あなたの考えももっともです。もう一度だけ猶予を与えましょう」

「神!」

「閻魔。これはわたくしの願いです。承諾してもらえますね」

「……はっつ」


 閻魔はしぶしぶながら頷き、欲食はぎゅっと神通に抱きつく。


「神よ。あなたのお慈悲に感謝します」


 馬貴が、神が宿った茜に深々と頭を下げ、神通が欲食を抱いたままそれに倣い頭を垂れた。欲食も彼女にしては珍しく、神通から離れると一礼した。


「さて、これであなた達の問題は解決ですね。次に、田倉大。あなたは八島花埜の魂を探すためにこの世界にきましたね」

「はい」


 大は神々しい光を放つ茜に見つめられ、かなり緊張しながらも見つめ返す。


(ここでしっかりしなきゃ。なんのために跳び降りたからわからない)


「八島花埜は現在天国にいます。彼女は現世に戻る意思はありません」

「?!どうしてですか?!」

「……彼女は現世から逃れることで安らぎを得たようです」


 大の脳裏に前世の記憶を取り戻し、苦しげな表情を見せる花埜の顔が浮かぶ。


(でも!)


「彼女は死ぬ運命なのですか?」

「いいえ。彼女が現世に戻ることを願えば戻ることができます」

「だったら!」


(俺は彼女を取り戻したい。八島の両親だって悲しんでるし、まだ八島は自分の人生を楽しんでない。過去は過去。八島の人生はまだ始まったばかりなんだから!)


「八島花埜に会いますか?会っても彼女が現世に戻ることを願うかはわかりませんが。あなたを八島花埜に会わせることは可能です」

「お願いします!」


(会って一緒に現世に戻るんだ!)


「わかりました。茜に案内させましょう。閻魔、茜。後は頼みましたよ」


 そう言うと茜の体が発光する。そして一気に光が弾けた。


「……ふう。さて、大くん。行こうか」


 光を失った茜が元のようなやんちゃな笑顔を浮かべる。


「あ、うん。馬貴さん!」

「大ちゃん」


 神通の側にいた馬貴は大に呼ばれ振り返る。


「……えっと。頑張ってください」

「うん。君も頑張って。ありがとう。君が神様に言ってくれたおかげで僕は兄上を失わずに済んだ。天国へは僕は行けないけど、応援してるから」

「ありがとうございます」


 大はぺこりと馬貴に頭を下げた。

 神通と欲食は腕輪を外され、裁きの間から出ていこうとしていた。馬貴はそれを少し切なげに見ている。


(とりあえず、これでよかったんだよな。消滅よりはましだもん)


「さて、大くん。準備はいい?」

「うん」


 大は頷き、飛天茜がその手を取る。


(天国か。どんな世界だろう。八島がいるってことは、清吉もいるのか?新邑先輩も?)


「!」


 ふわっと体を浮き、大の考えは中断させられる。


「大ちゃん。ありがとう。さようなら」


 壊れた扉を抜け、空に舞い上がっていく大に気が付き、馬貴が裁きの間を出てきていた。そして初めて会った時と同じ元気な笑顔を頭上の大へ向けている。


「うん。馬貴さん。また!」

「『また』じゃないよ。きっと、君は死んでも地獄には来ないよ」


 はははと笑いながらそう言われ、大は苦笑する。


(地獄なんてきたくないけど、馬貴さんとはまた会いたい気がする)


「ありがとう。でも今度会うときは来世、いや来々世だよ」


 心を読んだのか、馬貴がそう答えた。


 茜に連れられて大の体がどんどん上昇する。馬貴の姿は小さくなり、上に上がるたびに空の色が変わっていく。


「大ちゃん、飛ばすよ」


 天女の元気な声が聞こえ、ぶうんと風の音がした。


「まっつ、待って!」


 しかし大の言葉は聞こえなかったか、もしくはあえて無視をしたのか、茜は大の腕を掴んだまま、上空に一気に昇る。


「うぁああ!!」


 大は耳鳴りと風圧に耐えきれず目を閉じた。


 


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