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(どうして……)
花埜は窓に視線を向ける。
窓の外では曇っていた空が堪えきれず、大きな雨粒を落とし始めていた。
一時間前、花埜が校内で呆然としていると、他の生徒や教師の波に巻き込まれ、学校から押し出されるように外に出された。カラスの大襲撃により、生徒と教師は強制的に全員校外へ避難、学校は一時閉鎖。周囲の道路を封鎖して、そこに生徒達が一時的に集められて、無事確認のため点呼を行っていた。パトカーや消防車、救急車も駆けつけ、現場は喧騒に包まれていた。
そのような中、花埜は馬貴と大に会い、とりあえず自宅に戻った。
自宅に辿り着くと、花埜は何かを聞きたそうな大から、事情をすべて知っている馬貴から逃げるように自分の部屋に駆けこんだ。
(清吉さん……)
花埜はきゅっと胸元を掴む。着替えはまだしておらず、ところどころ擦り切れ、砂埃がついた制服姿のままだ。
あの時神通は止めの光を放とうとしたが、何かに呼ばれるようにして顔を上げると、空に飛び上がった。その後、清吉は無言で花埜の側を離れた。
清吉が神通の後を追ったのか、どうなのか、花埜にはわからなかった。
ただ、清吉の怨み、辛みを思い、胸を痛めた。
(罪を償いたかった。清吉さんに殺されることで自分の罪を清算したかった)
彼女はそう願った。しかし清吉は花埜を殺すどころか、罵ることもなく、姿を消した。
(どうして?)
花埜はベッドに身を投げると、掛け布団を頭から掛ける。自分の罪が重すぎて、胸が突かれたように痛かった。
「大ちゃん。何か飲む?」
人の家なのに、なぜか自分の家のようにくつろいだ様子で馬貴はそう尋ねる。
しかし大はソファに座り、テレビに視線を向けたまま無言だった。
「この世に来て何が楽しいって食べ物、飲み物がおいしいことだよね」
馬貴はとぽとぽとオレンジジュースをグラスに注ぎ、大の前に置く。そして、自分の為に注いだ分をごくんごくんと飲み干した。
「ああ、おいしい!」
(この人は本当、どういう考えなんだろう。いや、そもそも人じゃないか)
「ひっどいなあ。大ちゃん。僕だって色々考えてるの。でもいい方向に事は動いていると信じてるんだ」
「どこがいい方向なんですか?神通や欲食には逃げられたし、八島は何かおかしいし。絶対にあの清吉が何かしたんだ」
「あらあ、焼きもち?可愛いなあ。大ちゃん」
「そ、そんなんじゃないです。まったく。そんな場合じゃないのに」
現在の状況で軽口を叩ける馬貴に辟易しながら大は溜息を吐く。
「リラークス。ま、確かに学校を襲われたのは僕の失敗だった。まさかあんなに大量の獣の魂を動かすとは思わなかった」
馬貴はその馬面でふんふんと鼻を鳴らして、そう言葉を紡ぐ。
「大量って、あのカラスは幽霊なんですか?」
「幽霊、カラス自身が幽霊ではないよ。人々に殺された獣の霊たちがカラスに取りついたんだ」
「………」
「無残に殺された動物たちだから、その恨みを濃いからね。清吉のことといい、計算違いなことばかり」
「清吉!やっぱり清吉は八島に何かしたんですか?」
「何かしたっていうか、清吉は神通から花埜ちゃんを救ってあげたみたいだね」
「救う?」
「そう、君みたいに精気を奪われていたところを清吉が助けたみたいだ」
「……じゃあ、なんで八島は傷ついてるんですか?」
「それは神通にやられたみたいだね。清吉は花埜ちゃんを助けた。だから僕は清吉は花埜ちゃんをすでに許しているんじゃないかと思うんだ」
「!」
「まあ、花埜ちゃんはそう思っていないみたいだけど。確かに絹は酷い罪を犯した。しかし、僕はそれはすでに償われていると思っているんだよ」
「………」
「大ちゃん、そういうわけだから、心配しなくても大丈夫。後は、餓鬼の二人を捕まえるだけだね」
ふふふと笑いながら、馬貴が台所へ戻る。よほどオレンジジュースが気に入ったのか、冷蔵庫からオレンジジュースのボトルを取り出すと、グラスに注ぐ。
そして飲もうとした瞬間、
「あ、まずいかな」
馬貴の声と同時にがらっと玄関が開く音がした。
「花埜!いるの?大丈夫?」
「学校に電話したら帰ってるっていうから!」
足音と共に男女の声が聞こえてくる。
(まずい、八島の両親?!)
大はおたおたと逃げ場所を考える。しかし馬貴は動揺することなく、自ら両親の元へ赴いた。
「あ、あんた誰だ?!」
「はじめまして。私は馬場と申します。学校では数学を担当してまして八島さんを自宅まで送りとどけました。ご両親が戻られてよかったです。一人では心細いかと思いましてクラスメートの子も一緒に連れてきてるんですよ」
(え?俺も?)
ふいにそう話を振られ、仰天している両親に大はリビングルームから姿を見せると、とりあえずぺこりを頭を下げる。
「こんにちは。僕は田倉大といいます。八島さんのクラスメートです」
「あ、えっと、とりあえず花埜を送っていただきありがとうございます。それで花埜は?」
「自分の部屋で休んでます」
「そうですか。ありがとうございます」
花埜の両親は腑に落ちない表情を浮かべながらも、二人に頭を下げると花埜の部屋に早足で向かった。