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「いただきます」
普段は誰も入らないはずの、花埜と大が落下した旧校舎の屋上で、馬貴は二人に微笑みかける。
コンクリートの床にはどこから持ってきたのかピクニック用のシートがひかれ、お弁当が広げられている。
「お弁当無事でよかった~」
戸惑っている二人に構わず、馬貴はにこにこと笑いながら、お弁当をつついている。
「そんな深く考えないの。二人とも。まずは腹ごしらしなきゃ!」
花埜が馬貴に返そうとしたお弁当は、どうやら本人がうまく拾ったらしく、中がすこし崩れていたが、食べられる範囲だった。
清吉のことが気になる花埜、欲食だったとはいえ、ディープなキスをファーストキスでしてしまった大は複雑な心境で、食欲などどこかに行っていた。
「食べないの?これから、いろいろ大変だから、食べないとね~」
二人の心を読んでいるはずなのだが、馬貴は素知らぬ振りをして、言葉を続ける。お弁当の中身はすでに半分が胃袋に消えている。
「……いただきます」
大はとりあえずそう言って、食べ始める。朝食を食べ損ね、精気を奪われた大はお腹が空いていた。しかも、馬貴がこれから大変だと言ったのだ。
すでに状況的に大変なのに、これ以上何が起きるのかと不安だった。だから体力はつけておく必要があると思い、食べることにした。
「八島も…!」
箸を持とうともせず、思いつめた表情を浮かべる花埜に目を向け、大はその首筋に小さな傷があるのを発見する。ブレザーの襟をきゅっと締めているので、よく見えなかったが、それは明らかに傷であった。
「まさか、また清吉に襲われのか!」
大は弁当箱の上に箸を置くと、花埜にたずねる。
「……あなたには関係ないでしょ」
花埜は首筋を隠すように襟を寄せると、腰を上げる。
「八島!」
「食欲ないから」
「でも一人じゃ危ないだろ!」
屋上を出て行こうとする花埜に大が呼びかける。
しかし花埜はそれを無視して、屋上の扉を開け、階段を降りていった。
「八島!」
「大ちゃん!」
大は馬貴が制止する声を無視して、花埜を追いかけた。
「八島」
階段を降りる花埜の腕を大が掴む。
「いたっつ、離して!」
「あ、ごめん」
大がそう謝り、手を離す。
「八島!」
その隙に花埜は脱兎のごとく、階段を降り始めた。
「まったく!」
大は手を離したことを後悔しながら、その後を追う。
「八島!」
「離して!」
「離さない。何で逃げるんだよ」
二階ほど降りたところで再び花埜を捕まえた大はその腕を掴み、詰問する。
「……逃げてない」
「逃げてるだろう。だいたい、なんでそんな清吉にやられっぱなしなんだよ。何か理由があるのか?」
(言えるわけがない)
花埜は大の真剣な視線から逃げるように顔をそむける。
「八島!」
大の腕に力が入る。
「痛い、離して!」
「その手には乗らない。なんで話せないんだ?」
大の鋭い視線が射るように花埜に向けられていた。
(怒ってる?でも言えない。きっと話したら軽蔑される。だって、最低だもん。清吉さんにしたこと、あれは償えない罪だ)
「大ちゃん!」
心配して降りてきたのか、馬貴がそう頭上から声をかけた。すると大の力が緩み、花埜は階段を再び降り始める。
「八島!」
「大ちゃん!」
追いかけようとする大を馬貴が引き留める。
「なんで止めるんですか!馬貴さん!」
大はぐいっと掴まれた腕を振り払おうとしながらそう叫ぶ。
「大ちゃん、花埜ちゃんのこと、しばらくそっとしておいて。事情は僕が話すから。花埜ちゃんは嫌がると思うけど、君も知っていたほうがいいからね」
馬貴のつぶらな瞳が苛立つ大の姿を映していた。
大は少し強引だった自分の姿に気がつくと、大きく息を吐いた。