君がイエス
昨日は9時頃から、もう何もやりたくなくなって、寝てしまおうと思った。趣味で新約聖書を読んでいる。多分9時半には寝入っていたのだろうな。突然はっと目が覚めた。時計を見た。3時55分だった。ぐっすり眠ったから、気分は良かった。ただそれも、しばらくすると違って思える。自分が生きなければいけない1日の時間が長くなったみたいだから。起きているときは、(意識があるときは、)退屈を感じるのが人間の常であって、何かしなければ、と思うものだ。それで、勉強したり仕事したりする人間はとても立派だ。僕と言えば、音楽などのコンテンツで時間を潰す馬鹿者さ。人間は本当に、暇を扱うのが絶望的に下手なものだ。それで7時ぐらいになると、それまでの自分の行いがよくないものであった、と反省するが手遅れである。それでどうにか自分を正当化するために、「そもそも人生に意味はないし、生きているだけで苦しい。そこにあるのは退屈と苦しみと絶望だけ。意識があって存在することがもう不仕合せなんだ。」と言い聞かせてみる。それでどうなった?何も起こらない。この思索に20分を費やした。もっと馬鹿者になった。
人間の苦しみの1つとして、朝目覚めることがあると思う。寝入って、そのまま永遠に目覚めなければ、私の意識には「明日」はない。「明日」がなければ、しなければいけないことはない。動かなければいけない1日はない。これを仕合わせと呼ぼうではないか。「明日」は来るものでも、あるものでもない。私が目覚めて、意識の俎上に上がったとき、存在を開始するものだから、いかに目覚めないか、賢い人間は考えるのが良い。寝るのは快感。その快感を中断する意識は悪魔サタンだ。一度起きると、もう一度寝る気にもなれない。これもサタンである。
存在するもの全て、その存在と理由は私の意識に帰する。意識を消せば存在と理由は消え去る。あなたが死ねば、おそらくその後も世界は周るのであろうが、少なくともあなたの世界の存在と理由は尽く消え去る。いや、その後の世界は周っていないかもしれない。君が世界を周していた、君があのイエスだったのかもしれないからね。




