普通な僕
もしも特別な何かがあれば――。
きっと多くの人が、一度はそう思うのだろう。
もし自分が天才だったら。もし自分が選ばれた人間だったら。もし自分が――。
小学生になってしばらくの間、自分は基本的に何でもできると思っていた。
でも時間が経つにつれて、自分が天才じゃないことを知ってしまった。
運動会で一番足が速い人。
学年で一番頭がいい人。
クラスの人気者。
そのどれにも、僕は当てはまらない。
いっそのこと、他の人より明確に劣っていれば、僕は何者かになれたのだろうか。
そんな不謹慎なことまで考えてしまう。
僕は誰かより劣っているわけでも、優れているわけでもない。
どこにでもいる、取るに足らない一人の人間だ。
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4月8日。
僕は、これまで6年間ずっと右に曲がってきた十字路を、初めて左に曲がった。
……いや、正確に言えば初めてではない。
ただ、今日から通う学校はそっちの正反対の方向にある。
夕凪市立第三中学校。
僕が今日から通う場所だ。
大人から見れば、僕たちはまだ何も知らない子供なんだろう。
今朝も母さんは、忘れ物がないか何度も確認して、心配そうに僕を見送った。
もちろん、僕だって自分が大人だなんて思っていない。
世の中には、まだまだ僕の知らないことがきっとたくさんある。
でも、世間の大人たちが思っているほど、子供でもないと思う。
将来のことや人間関係で悩むことだってあるし、ニュースを見れば、無責任な大人たちに苛立つこともある。
ただ、僕には「子供らしい純粋無垢なキャラクター」が期待されている気がして、
つい、少しだけ子供のふりをしてしまう。
そんなことを考えているうちに、気づけば中学校に着いていた。
家からの距離で言えば、小学校よりむしろ近い。
これからは、もう少しギリギリまで寝ていられそうだ。
校門をくぐると、すぐに大きな白い張り紙が目に入った。
そこには、新入生一人ひとりの名前と、クラス、出席番号が書かれている。
僕は自分の名前を探した。
伊藤 湊
2組 3番
これが、僕の名前だ。
学校の地図を確認して、教室へ向かう。
入学式当日から遅刻するわけにはいかないので、少し早めに家を出たのだが、思ったより時間が余っていた。
教室に入ると、そこは思ったより暗かった。
窓は緑色のカーテンで閉め切られていて、電気もついていない。
すでに何人か生徒は来ていたが、誰も電気をつけていないらしい。
あまり目立ちたくない僕も、結局そのままにしておいた。
黒板には白いチョークで座席表が書かれている。
それを頼りに、僕は自分の席に座った。
窓際、前から三番目。
隣の席にはすでに女の子が座っていた。
黒髪のショートボブで白のセーラー服がよく映える。
彼女は何やら熱心に絵を描いていた。
気軽に話しかけたりなんて出来ない、少し異質なオーラを漂わせていた。
僕はバレないように、横目でその絵を見る。
絵のことは全く知らない僕でも、小学校の女子がよく描いていたような絵とは、明らかにレベルが違うということだけは分かる。
ちゃんと「絵が上手い人」の絵だった。
思わず、僕は小さく呟いてしまった。
「すげー」
あ、と思った瞬間、彼女の視線がこちらに向いた。
気を抜くと吸い込まれそうになる澄んだ青色の瞳だ。
しばらく沈黙が流れる。
やばい、と思ったその時。
彼女はふっと微笑んだ。
「ありがとう」
そんな反応をされるとは思わなくて、僕は少し言葉に詰まる。
「普段から絵、描いてるの?」
なんとか平静を装いながら聞く。
「うん!昔から好きなんだ。結構上手いでしょ?」
彼女は楽しそうに笑った。
絵を描いているときは真剣だったのに、思ったよりよく笑う明るい子らしい。
それから僕たちは、絵のことや小学生の頃のことを少し話した。
彼女は器用で、話しながらでも手は止まらない。
ペンはすらすらと紙の上を走っていく。
そうしているうちに、教室はだんだん賑やかになっていった。
やがて担任らしい先生が教室のドアを開けた。
その音でクラス全員が静まり返る。
そして――
ほぼ同時に、チャイムが鳴った。
その音が、僕たちの新しい生活の始まりを告げていた。




