第7話 花の訪れ
拓真は毎日のようにベンチの花を追い求めた。
由香里に会えることを信じて、
そして、花は咲き始めた。
公園のベンチに置いてあった花の蕾が次第に開いていくように――
拓真は仕事帰りに、ベンチの上に花がそっと置いてあるのに気づいた。
花からは柔らかい香りが漂っていた。
それは拓真にとって灯りの訪れを感じさせるものだった。
そして、由香里は拓真の前に現れた。
それに気づいた拓真は静かに声をかけた。
「花がきれいだったよ」
「ごめんなさい。家の事情でなかなか外出できなくて……」
「家の事情とは?」
「前もお話しましたが、私の家は決まり事が多くて、
自由ではないのです。夕方になれば、門限時間に迫られて……」
「そうなんだね……」
「でも、今日はもう……どうでもいい気分です。どこか連れていってください」
拓真は由香里の申し出に戸惑いを感じたものの、気持ちに応えようと行動にでた。
「そうだ、由香里さんはお酒を飲みにいったことがあるかな?」
「いえ、私の家ではお酒を飲むことすら許されていなくて……」
「そうか、まだ、そういう年齢ではないからね」
「いえ、私は大学生ですが、もう成人です。なのに……
お父様からしたら、いつまでも私を子供扱いして……」
「わかった、じゃあ、僕の行きつけの居酒屋に行こう?」
「はい」
由香里の頬に花が咲いた。
「ほら、手をつなごう」
「いえ、恥ずかしいです……」
「大丈夫だよ。ほら」
「はい……」
そして、居酒屋へと着いた。
「ここが、僕が行く居酒屋なんだ。僕が行くといっても、
僕の先輩からよく連れていかれるんだけどね」
「大丈夫でしょうか……?」
「どうして……?」
「いえ……」
「大丈夫。今日は僕の給料日なんだ」
「そういうことではなくて……
お酒を飲んだことがないのです。だから怖くて……」
「大丈夫だよ。僕がついている」
「はい」
二人は居酒屋の奥の座席へ座った。
「由香里さん。何を注文するかな?」
「お任せします」
「ビールをとりあえず飲もう」
「ビールを飲むのは初めてです。
苦いと聞きましたが大丈夫でしょうか?」
「ハハハハ、大丈夫だよ。最初は苦いけど、これが美味いんだ」
「はい……」
ビールが二人の目の前に置かれた。
「ほら、来たよ。飲もう」
「はい……」
「どう?」
「苦くて飲めません。お砂糖を入れてもいいですか?」
「ハハハハ。そうか、じゃあ、酎ハイにしよう。それなら甘いよ」
「酎ハイとは何ですか?」
「本当に由香里さんは何も知らないんだね」
「ごめんなさい」
「いや。謝ることはないよ」
酎ハイが由香里のもとへと届いた。
「ほら、飲んでごらん」
「はい」
「どう?」
「お酒の味でしょうか? 苦いです」
「それはお酒だからだよ。ハハハハ」
「でも、嬉しいです……
それに、こんなにドキドキしたのは初めてです」
「そうだね。お酒を飲んだらドキドキするからね」
「いえ、そういうことではなくて……」
「どういうこと?」
「もう、いいです……」
由香里は下をうつむいて会話が途切れた。
拓真は雰囲気を変えようと切り出した。
「そうだ。料理を食べないと。何を食べる? 何が好きかな」
「なんでもいいです……」
「じゃあ、串焼きを食べよう」
「串焼き、聞いたことがあります。食べたいです」
「いいよ。食べよう」
「はい!」
「そうだよ。その笑顔が可愛いよ」
「いえ……」
「君は本当に恥ずかしがり屋だな」
「ごめんなさい」
「そんなに、謝らなくていいよ」
由香里は辺りを見渡した。
「どうしたの?」
「いえ、フォークとナイフがないのです」
「ハハハハ、これはこうやって食べるんだよ。
そうか串焼きを食べたことがないんだね?」
「はい……」
「ごめんなさい」
「ほら、さっき言っただろう。
何度も謝らなくていいから。大丈夫だよ」
「ごめんなさい……」
「ハハハハ」
夜の柔らかい灯りが二人を包んだ。
「少しはお酒の味に慣れたかな?」
「なんだか、ボーっとします。これが酔いというものでしょうか?」
「そうだよ。少しは楽しめたかな?」
「はい。これが幸せということ……?」
「え、今なんで言った?」
「いえ、なんでもないです。そろそろ、門限です。それに……」
「それにってどうしたの?」
「帰ります……」
由香里は足早に帰っていった。何かを恐れるように――
そして、由香里の前に一人の男が現れた。
「お嬢様、今回は見なかったことにしますが……」
「佐藤さん……どうして、いつも私の後を付きまとうのですか?」
「申し訳ありません。これが仕事ですから」
「私には自由がないのですか?」
「お嬢様は幼いころから私はそばにいさせてもらいました。
だから、見なかったことにします」
「佐藤さん、私はどうしても、あのお方と一緒にならないといけないのですか?」
「それは……?」
「嫌です。嫌です」
「申し訳ありません。
でも、お嬢様は私にとっては娘みたいなものなので……私も……」
「それなら、そっとしていてもらえませんか?」
「それは出来ません。そろそろ、帰りましょう。
お父様が待っていらっしゃいます」
黒塗りの車のエンジンの音だけが静かに響いた。
夜は残酷な色に染まった。




