第4話:迷い込んできた「娘」と「犬」
風呂上がりのコーヒー牛乳(瓶入り)を腰に手を当てて飲み干し、俺はソファでくつろいでいた。 時刻は深夜。 外は猛吹雪だが、断熱材とペアガラス、そしてエアコンのフル稼働のおかげで、室温は常に快適な二十二度に保たれている。
「さて、動画でも見ながら寝るか……」
通販で購入したスマホを手に取った、その時だ。 ブブブッ、と手の中で端末が振動した。 画面に『動体検知通知:玄関前カメラ』という警告が表示される。
「……あ? こんな吹雪の中にか?」
魔物だろうか。 俺は面倒くさがりながらも、アプリを開いて玄関先の映像を確認する。 暗視モードの画面に映っていたのは、雪に埋もれかけた「二つの影」だった。
一つは、巨大な白い獣。 もう一つは……人間?
「おいおい、嘘だろ……」
画面を拡大して、俺は息を呑んだ。 ボロボロの法衣。雪よりも白い肌。 見覚えがある。あれは国一番の治癒魔法の使い手、『聖女アリス』じゃないか。 なぜ、こんな辺境の森で行き倒れている?
「……見なかったことにするか?」
俺は一瞬、本気でそう考えた。 隠居生活にトラブルは御免だ。 だが、四十二歳の良心が「さすがにそれは寝覚めが悪い」と訴えてくる。
「……たく、社畜根性が抜けてねぇな、俺も」
俺は悪態をつきながらダウンジャケットを羽織り、玄関のドアを開け放った。
◇
「重……っ」
なんとか二人(一人と一匹)を玄関ホールまで引きずり込んだ俺は、荒い息を吐いた。 温かい室内に、冷気が流れ込む。
白い獣――よく見れば、伝説の魔獣『フェンリル』だ――が、うっすらと目を開けた。 腹部には深い傷があり、血が滲んでいる。
「グルルゥ……ッ」
瀕死のくせに、俺を見る目は鋭い。 喉を鳴らして威嚇してくる。さすがは神獣、プライドが高い。 このままじゃ手当てどころじゃないな。
「はいはい、わかったから静かにしろ。……ほらよ」
俺は手慣れた手つきで通販ウィンドウを開き、あるものを購入した。 『最高級グレインフリー・ドッグフード(熟成ビーフ&野菜入り)』。 それを深皿に山盛りにし、フェンリルの鼻先に置く。
「グルッ!? ……フン、人間風情が……我を犬扱いするとは……」
フェンリルの目がそう語っていた。 だが、現代の食品科学が生み出した「熟成ビーフ香料」の破壊力は凄まじい。 鼻先をくすぐる濃厚な肉の香りに、神獣の鼻がピクピクと痙攣する。
「……ガウッ!」
プライドは一秒で崩壊した。 フェンリルは皿に顔を突っ込み、ガツガツと音を立ててドッグフードを貪り始めた。 尻尾がちぎれんばかりに振られている。
「チョロい犬だ。……さて、次はお前さんか」
俺はぐったりしている聖女アリスに向き直った。 顔は真っ赤で、呼吸が浅い。高熱があるようだ。 目の下には濃いクマ。手首は折れそうなほど細い。 ……ブラック労働の匂いがプンプンする。同類か。
「ポーションなんぞより、こっちの方が効くぞ」
俺は『総合感冒薬(金の微粒)』と、『栄養ドリンク(ロイヤルゼリー配合)』を取り出した。 アリスの上半身を抱き起こし、少しずつ口に流し込む。 苦味に顔をしかめたが、なんとか飲み込んでくれた。
そして、とどめだ。 俺はリビングに布団を敷き、その上に『電気毛布(ダニ退治機能付き・フランネル素材)』を広げた。 スイッチオン。温度設定は「強」。
「ほら、入るぞ」
アリスをそっと寝かせ、上から羽毛布団をかける。 数秒後。 電気毛布の熱線が、凍えきった彼女の背中をじんわりと温め始めた。
「……んぅ……」
アリスの強張っていた表情が、見る見るうちに緩んでいく。 それは、魔法による強制的な回復ではない。 科学と繊維が織りなす、極上の「ぬくもり」だ。
「……あたたかい……」
アリスは俺の袖を無意識に掴み、うわ言のように呟いた。
「……ここは……天国……ですか……?」 「いいや、ただの俺んちだ」
俺の答えが聞こえたのかどうか。 彼女は安心しきった顔で、泥のように深い眠りに落ちていった。
俺はため息をつき、ガツガツと飯を食い続ける犬(神獣)と、爆睡する娘(聖女)を見下ろした。
「……俺の平穏な隠居生活、初日から前途多難だな」
そう言いながらも、俺は二人が風邪をひかないよう、エアコンの設定温度を一度だけ上げた。




