第5話 深淵の入口
3回目のループ
会議室のホワイトボードを見ているふりをしながら、頭の奥ではずっと同じことが回っていた。
(……なんで……誹謗中傷を消しても……ユキは亡くなったんだ……?)
胸の奥に、嫌なざわめきが居座っている。
俺はしばらくじっとしていられず、会議の途中で席を立った。
「五十嵐、大丈夫か? 顔色が真っ青だぞ」
「すみません……少し、頭が……」
自分でも驚くほど自然に“早退”の言葉が出た。
それくらい焦っていた。
前回のループで、ユキがODで倒れていたあの寝室。
散らばった薬。
薄く震えた「ごめんね」の文字。
あの光景は、誹謗中傷だけでは説明できない。
(……確認しなきゃ……)
一刻も早く、“あの薬”の正体を確かめないといけなかった。
玄関を開けると、静寂が落ちてきた。
あえてユキの不在を狙った。
この時ばかりは心が安堵した。
(ごめん……)
心の中でユキに謝りながら、寝室へ向かう。
息を潜め、サイドテーブルの引き出しをそっと開けた。
その瞬間、息が詰まった。
白い薬袋が、何枚も重なっていた。
10枚以上。
いや、おそらくもっと。
処方薬の袋が、まるで“積み上がった時間”のように並んでいる。
(……これ……全部……?)
震える指で一番上の袋を掴む。
病院名とユキのフルネーム。
そして薬名。
「睡眠導入剤」
「抗不安薬」
「向精神薬」
「向精神薬」
「向精神薬」……
「……は……?」
次、また次の袋も同じ。
似たもの、同じ成分、違う種類。
向精神薬だけで何種類もある。
スマホで薬名を一つずつ検索する。
“強い不安症状に処方される薬”
“複数の服用は危険”
さらに別の薬も調べる。
“不眠症治療薬”
“依存性に注意”
“過量摂取の危険性”
「……知らなかった……
ユキ、こんな……」
声が震えた。
さらに奥には、市販の睡眠改善薬、鎮痛剤、胃薬、エナジードリンク。
用途も効果もバラバラで、統一性がまったくない。
(こんなに……こんなにたくさん……
ひとりで……?)
視界が滲む。
(いつから……こんな……
ユキ……言ってくれれば……)
でも言えなかったのだ。
言えないほど、誰にも見せたくない痛みに押し潰されていたのだ。
背後で気配が揺れた。
『……いっぱい、あるね』
振り返ると、レオナがぴょこんとしゃがみこみ、袋を見つめていた。
その目は眠たげなのに、どこか哀しげだった。
「レオナ……ユキ、これ……いつから……」
『いつからかは言えないよ。
でもコウくん。』
レオナは薬袋をつついた。
『ユキちゃん、ずっと苦しかったんだよ。
でもね、“苦しい”って言うと、迷惑かけちゃうって思ってたの』
「……迷惑……?」
『うん。
人に甘えることが“悪いこと”だと思う子は、
限界がきても言えないんだよ』
胸が抉られる。
「俺……そんなの……本当に気づけなかった……」
『気づけなかったんじゃなくて……
ユキちゃんが“隠してた”んだよ。
コウくんの前では、優しい子でいたかったの』
(……そんな……
そんな理由で……?)
薬袋の山が、静かに真実を語っていた。
ユキは、誰より優しくて、誰より壊れやすかった。
その弱さを、誰にも見せられなかった。
ーー次の日
どうにも集中できず、昼休みに社員食堂へ向かう。
「五十嵐さん……?」
背後から田崎が声をかけてきた。
「なんか……悩んでます?
最近、元気ないですよ」
「……あぁ、ちょっとな」
(言えないよな……こんなこと……
ループだなんて……
ユキが……何度も死ぬなんて……)
「なんかあったら言ってくださいよ。
僕、一応……味方なんで」
田崎の言葉が胸に刺さった。
本当なら、誰かに助けを求めるべきなのはーー
俺じゃない。
ユキだったのに。
定時を過ぎたオフィスを出ると、
夜の空気が肌に冷たく刺さった。
都会の夜は暗くない。
ビルの窓明かりが高層階から降り注ぎ、
車のヘッドライトが川のように流れ続け、
電光掲示板が目に痛いほど光っていた。
だけど、俺の足取りだけがやけに重かった。
(……なんだこれ)
一歩踏み出すたびに、
ふくらはぎが鈍く痛む。
肺に入る空気が少しだけ薄い。
(薬袋の山……
向精神薬……あの量……
もっと深いところに……何かある……)
ビルのガラスに映る自分の姿が、
やけに疲れて見えた。
肩が落ち、目の下に影が落ちている。
(ユキの“心の底”に触れないと……
俺は……また……救えない……)
そんな焦りが、胸の奥にひりついていた。
そのとき。
横で “ぴょこ、ぴょこ” と跳ねる影が視界に入った。
『ねぇ、コウくん』
レオナだ。
人混みの中でも、彼女だけは
まるで世界から浮かんでいるみたいに輪郭がぼんやりとしている。
歩いているのに足音はなく、
ビルのライトを受けても影が揺れない。
それでも彼女だけが、
この夜のざわめきの中で異様に静かだった。
「なんだよ」
返事をした声が少し掠れていることに、
自分で驚いた。
レオナは夜風に揺れる黒髪を指先で弄びながら、
眠そうな目だけをこちらに向けた。
『ユキちゃんの“穴”はね。
外から見える傷じゃないんだよ』
「……じゃあ、どこなんだよ」
レオナは一瞬だけ、猫のように瞳を細めた。
『ずっと奥。深くて、暗いところ』
胸が冷えた。
(誹謗中傷を消した。
薬のことも知れた。
今度こそ……救える……)
そう思いたかった。
だけど、この時の俺はまだ知らなかった。
ユキの“本当の闇”は、
この薬袋よりもずっと深いところにあるということを。
そしてーー
この3周目のユキが、
前よりもっと“静かに、自分を消していく”ことを




