第3話 誤った救いーー最初の失敗ループ
今日は出勤日。いつものように朝食をとり、身支度を整える。
ユキは夜勤明けで、まだ寝室に寝ている。
かすかに聞こえる寝息に耳を澄ませると、胸の奥がそっと温かくなった。
お互いシフト制だから、自分でできる時は自分でするのが一応ルールになっている。
……とはいうものの、ついユキに甘えてしまっていることが多いのが現状だ。昨日だって、気がついたら食器洗いや洗濯畳みをしてくれていた。
(……俺、甘えてばっかだったよな)
ループ前の自分が胸の奥に刺さる。
(今度はちゃんとやる。
ちゃんと見て、気づいて、守る)
ーーもう2度とユキを失いたくないから。
そんなことを思いながらいつもの出勤途中の歩道で、横を歩くレオナは、いつものようにぴょこ、ぴょこ、と跳ねていた。だけど足音はしない。
影の揺れ方すら、どこか不自然。
それなのに本人だけは無邪気そのもので、
道端の自販機を覗き込んだり、風で舞う落ち葉を追いかけたりしている。
異物のようで、なぜか愛嬌がある存在。
「……本当に見えてないんだな、誰にも」
すれ違う人はレオナを完全にスルーする。
視界に入っていない。
彼女の存在そのものが“世界から浮いている”。
『そうだよぅ……コウ君以外にはボクは見えないしコウ君以外は触れないんだ』
眠いのかレオナは大あくびをした。
『ふぁあ…コウくんの世界って、眠いんだよねぇ』
(幽霊みたいなくせに、妙に生活感あるよな……)
レオナが何者なのか、どうして俺に力をくれたのか、どれもわからない。
それでも今の俺の頭は、別のことで埋まっていた。
ユキはなぜ死んだんだ?ーー俺は仕事中ずっと考えようとした。とはいえ、看護師という仕事上きちんと集中しないといけない。だから休憩中に改めて考えてみる。今日は、弁当を作っている時間はなかったから社員食堂だ。好きなカレーを口にしながらスマホを見て考えていた。
(やっぱり朝のアレ……誹謗中傷が原因なのか?)
『消えろ』
『下手くそ』
改めてユキの小説が載っているサイトをみてみる。俺には小説の上手い下手とかは分からない。だけど、ユキの気持ちが踏みにじられている。それだけは分かる。
(あんなもの、毎日浴びせられて……
ユキが平気でいられるわけないだろ……)
画面を見ているだけで胸が痛む。手に持つスプーンに力が入る。
そして、ふと昔の記憶が浮かんだ。
付き合いたての頃、初めて見た“ユキの創作”
「それ、何書いてるんだ?」
ユキがカフェでスマホを隠した日。
「えっ……えっと、その……趣味の、小説……なんだ……」
「小説!? すげぇじゃん!」
「そ、そんな……!
素人だし……うまくないし……」
「小説ってさ、上手いとかそういうのじゃなくない?
ユキが書いた話なら、それだけで読みたいって思うよ」
「……うぅ……恥ずかしいけど……
コウ君なら……いいよ……」
耳まで赤くして差し出してくれたノート。
そのとき俺は本気で思った。
(この子の書くものを守りたい)
だからこそーー
誹謗中傷がユキを追い詰めたのなら……
(俺は……守らなきゃいけない)
その考えが、ゆっくりと、だけど危険な方向へ固まっていく。
(守りたい。傷ついてほしくない。
なら……これしかないだろ)
震える指でメッセージを送る。
■ LINE
コウ
『ユキ話したいことがある』
ユキ
『え? なに?』
コウ
『朝の……あの通知のことなんだけどさ。
あんなの見るくらいなら
小説、いったんやめないか?』
既読がつくまでが異常に長く感じた。
ユキ
『……やめてってこと?』
コウ
『違う! 違うけど!!
だってユキが傷ついてるの見るのがつらいんだ!』
ユキ
『でも……やめたら……私、何も残らないよ……?』
胸が痛んだ。
それでも、守りたい気持ちが上回った。
コウ
『そんなことない。
ユキには俺がいるだろ?
趣味よりユキ自身のほうが大事なんだ』
ユキ
『……コウくんは、そう思うんだね』
コウ
『ユキがつらいなら、俺は全部止めたい。
守りたいんだよ! 』
しばらく沈黙。
ユキ
『……わかったよ』
『そこまで言うなら、やめるね』
『もう書かない』
そしてーー
最後に送られてきたのは、
(^^)
にっこり笑うスタンプ。
(よかった……!
これでユキは傷つかない。
これで大丈夫だ……!)
本気でそう思っていた。
ふと横を見ると、
レオナが窓際で体育座りして俺を見ていた。
『…………』
「……なんだよ。その顔」
『ん?
コウくんって……ほんと、優しいよねぇ』
「……褒めてるのか?」
レオナは何も言わず、ただ首を傾けた。
揺れた黒髪の影だけが、妙にゆっくり見えた。
(なんだよ……変なやつだな……)
レオナの様子は気になった
だけど、俺の胸は少し軽くなっていた。
(ユキ……今は苦しいだろうけど……
きっと良くなる……)
(大丈夫……絶対、大丈夫だ……)
(そうだ。次の休みに、どこか旅行にでも行こう)
頭の中に、ふっと温かい景色が広がった。
(箱根もいいけど……もっと遠くでもいいよな)
最近、まともに旅行なんて行けていなかった。
シフトがかみ合わなかったり、疲れ果てて寝て終わったり。
ユキも働き詰めだったし、きっと気晴らしが必要だ。
(……思い切って、北海道とかどうだ?)
新幹線に揺られて、ゆっくり遠くへ行く旅。
雪景色の中を歩いたり、ガラス張りの展望台に立ったり、
札幌の夜景を眺めながら温かいスープカレーを食べたり。
ユキはきっと、小さな感動でも目を丸くして
「きれい……!」
って言ってくれる。
その声が想像だけで胸をくすぐった。
(海鮮も食べたいだろうし……市場で朝ごはんとかどうかな)
(あ、温泉も絶対喜ぶよな……露天で雪見風呂とか……)
次々に浮かぶ“明るい未来”が、胸に灯りをともす。
(そうだ……こんなふうに、ちゃんと休ませてやれば……)
(ユキは笑う。大丈夫。俺が守るんだ)
そう思うたび、心が少しずつ軽くなる気がした。
自然と胸が温かくなった。
「ユキ、ただいま。今日はーー」
玄関にユキの靴がある。
(帰ってきてる……)
風呂場のほうから水音が聞こえる。
「シャワー浴びてるのか?」
胸が少しだけ軽くなった気がした。
そのまま風呂場の扉を開けた。
ーー次の瞬間、時が止まった。
「…………っ?」
湯船は真紅に染まっていた。
その中央でーー
ユキが、手首だけを湯に沈めて倒れていた。
お湯に溶けるように広がる深紅。
漂うラインのような血の筋。
湯気はあるのに、体はまるで冷たく見えた。
浴槽の縁には、
白いカミソリがカランと転がっている。
「ユ……キ……?」
震える手で抱き起こす。
まだ温かい。
命が消えたばかりの体温。
「やだ……やだよ……
なんで……なんで手首なんて……!
小説やめたのに……!
守ったのに……なんで……!」
声が壊れ、世界が揺れる。
そのとき、背後から声が聞こえてきた。
『……ユキ、また……ダメだったんだね』
振り返ると、
レオナが浴室の入り口に立ち、目を伏せていた。
『コウくん……
“答え”はそこじゃないよ。
もっと深い場所にあるの』
「じゃあ教えてくれよ……!
俺はどうしたら……!
ユキを救えないんだよ!」
涙が止まらない。
レオナはゆっくりと微笑んだ。
『じゃあ、もう一回。
ーーやりなおそ?』
次の瞬間、世界が暗転した。
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