第16話 駆け出す
俺は居ても立ってもいられないられなくて喫茶店を勢いよく飛び出した。冷たい外気を胸いっぱいに吸い込んだその瞬間だった。
「はぁっ……はぁ……っ……!」
どうしてか胸が痛い。呼吸をする度息が焼ける。
でも立ち止まってはいられなかった。
『コウくん……! ちょっと、待って……!』
小さな足で必死に追いかけてくるレオナの声が、背中に届く。
「……今の俺じゃ……ダメなんだ……!」
喉がひっくり返るみたいに震えた。
ユキ母が語ってくれた話。そしてあの涙の意味。
(あなたのような人がユキにいてくれてよかった)という一言が頭の中から離れない。
(ちがう……俺はそんな“正しい人”じゃない)
(俺はユキのためじゃなく……
“自分の理想”のために、ユキを守ろうとしていた)
どうして今まで気が付かなかったんだ。
いや、見ないようにしていたんだ。
いくらでも気がつくチャンスはあったはずなのに
胸の奥が、ぐしゃっと潰れたように激しく痛む。
ユキの笑顔。
あの薄い、消え入りそうな笑顔。
(俺……あれを“安心”だと思っていたんだ)
走りながら、胃の奥がねじれる。今にも吐いてしまいそうな感覚に陥る。
(俺がやってきたことって……
ユキ父の“理想の押しつけ”と、同じだったんじゃないか……?)
怖い、怖い。
自分がどうしようもなく怖い。
その瞬間、ふいに足が止まった。
『……コウくん?』
肩が震えた。膝がガタガタと震えている。
気づけば両手でぎゅっと拳を握っていた。
「レオナ……俺……」
声が震えていた。
「俺……ユキのことを“救いたい”んじゃなくて……
“俺の思う幸せ”を押しつけてただけなんじゃないのか……?」
レオナはゆっくりと近づいてきて、俺の横で立ち止まった。
いつもの眠そうな目ではなかった。
『……やっと、そこに触れたんだね』
静かで、優しくて……でも、少しだけ悲しそうな声。
『ねぇ、コウくん。
ユキちゃんはね、“守られたい”んじゃなくて……
本当は、“見てもらいたかった”んだよ』
「……見てもらいたい?」
『うん。
誰かに、ちゃんと“私はここにいるよ”って気づいてほしかったの』
胸がざわりと揺れた。
(……俺、ずっと……)
ユキを“守るべき存在”だと思っていた。
励まさなきゃいけない、支えなきゃいけない。
だけど。
(……ユキは、そんな俺に……何を返していた?)
昨日のユキの表情が、ふっと脳裏に浮かんだ。
ーー「コウくん……ありがとう」
ーー笑ってるのに、目の奥だけが震えていた。
(俺は……ユキの“不安”に触れるのが怖かったんだ)
(だから、見ないふりをして……
“正しい言葉”で隠していたんだ)
頭も、胸もぐらりと揺れた。意思を強く持たないと今にも倒れてしまいそうだ。
その瞬間、レオナが俺の袖をそっとつまんだ。
『コウくん、行こう』
『コウくんが変われば……
ユキの未来、変えられるかもしれないよ』
その言葉が、胸の奥に熱を灯した。
「行く……今すぐ行く」
靴底がアスファルトを蹴る。
息が荒い。
心臓が痛い。
だけど、足は止まらない。
(ユキ……待っててくれ)
(今度は……ちゃんと向き合うから)
レオナが後ろから、静かに囁いた。
『……やっと、始まるね』
その声は、風の音に消えていった。




