第10話 明るすぎる五十嵐家と、影を孕んだユキの家庭へ向かう決意
ユキの職場での出来事が胸の中で何度も反芻される。でも、どれだけ考えても答えは出ない。
上司に相談してもダメだった。環境を変えるには時間がかかる。
だからこそ、今の俺ができるのはーーただひとつ。
(ユキを信じる。そして……どんな小さな異変にも気づけるようにする)
「……それが今できる“守る”ってことなんだよな」
不意にぼそっと漏れた言葉に、隣のレオナがこくりとうなずく。
『うん。いいと思うよ、コウくん』
いつもの眠そうな声。
けど、その緑色の瞳だけは静かにあたたかかった。
その優しさが逆に胸へしみこんで、息が少しだけ軽くなった。
数日後、記念日が目前に迫った夜。
俺とレオナはリビングでこそこそ相談していた。
「まずは……両親に連絡してみるか。
結婚するなら、順番ってあるし」
『そうだね。
“家族”ってテーマは、ユキちゃんにも大きいよ』
久しぶりの実家への電話だ。電話をかけると、母さんはまるで待ってましたと言わんばかりに弾んだ声で答えた。
『ユキちゃんと一緒にいらっしゃい! いつでも大歓迎よ!』
(……まあ、予想はしてたけど)
苦笑しながら電話を切ると、ソファからレオナがぴょこんと立ち上がる。
『よかったね。
五十嵐家は“あったかい”から……きっとユキちゃんも救われると思う』
「……そうだといいけどな」
自信はなかった。
でも、今のユキには“安心できる場所”が必要な気がする。
そして実家に到着すると母さんが元気よく出迎えてくれた。
「コウ、おかえり〜! ユキちゃんもいらっしゃい!」
母さんは昔からこんな感じだ。おおらかで細かいことはあまり気にしない性格だ。
そんな母さんの様子を見たユキは、きゅっと背筋を伸ばし、声を絞り出す。
「こ、こんにちは……」
「もう、“お母さん”って呼んでいいのよ!」
いきなり両手をぎゅっと握られて、ユキの瞳が揺れた。
「あ……お、お母さん……?」
その声は震えていた。
けれど、確かに“嬉しさ”の色も混じっていた。
(ユキ……そんなに……)
父さんが腕を組んでうんうん頷く。
「いやぁ、コウにはもったいないくらいの素敵なお嬢さんだ」
「親父! 勝手に総仕上げすんな!」
ユキがくすりと笑った。
その笑顔は柔らかくて、影が少し晴れたように見えた。
(……来てよかった)
結婚の話をした時は、両親とも喜んでくれた。ユキは母さんから料理を教わったり、趣味の手芸の話をしたりしていた。短い時間だったけど、ユキと母さんとまるで「本当の母娘」みたいに見えた。母さんにとって娘はいないから余計にそう思ったのだろう。
久しぶりに穏やかな時間を過ごせたように感じる。
帰り道、ユキがぽつりと話す。
「コウくんの家って……すごく、あったかかった」
その声は、どこか涙を必死にこらえているように見えた。
(ユキの家は……そうじゃなかったんだよな)
胸がひどく痛んだ。
靴を履くユキの指が、また震えていた。
「緊張してる?」
「う……ううん……そんなこと……」
否定した声が、いつもよりずっとかすれている。
(……やっぱり、ユキの実家には“何か”がある)
その瞬間、頭の奥で何かがひっかかった。
ーー葬儀の日の出来事。
ユキの母親は泣いた顔のまま、電子タバコを吸い、
(……まだ続くの……? はぁ、まじ、だる……)
そう話していたことを。
(……あれ、絶対おかしかったよな)
考える余裕がなかったあの日は気づけなかったけど、今なら分かる。
あれは“娘の死にショックを受けた母親”の態度じゃなかった。
そしてもうひとつ気になる点があった。
同棲の挨拶の日、ユキの母親は来なかった。
(……ユキのお母さん……避けられてる?
それとも……ユキが避けてる……?)
嫌な予感に胸がざわつく。
五十嵐家の“光”を見たあとだからこそ、
ユキの家庭の“影”が余計に濃く見える。
俺は深く息を吸ってユキへ手を差し出す。
「……行こう、ユキ」
ユキは小さく頷き、俺の手を握った。
その指先は昨日より冷たかった。
(大丈夫。俺がついてる。
記念日を越えるまで……絶対に)
そう思いながら、
胸の奥にある不安だけはまだ静かに軋んでいた。




