6.占い師、逃げ損なう
「とりあえず、経緯を聞かせてもらおうか」
その態度は、通報を受けて現場に急行し被害者へ事情聴取を行う治安維持専門部隊の所属の魔法使いがとるにしては、随分と横柄なものだった。昨日のこともあり、ステフィノスからラジュカに対する印象が悪いのは分からないでもないが、ラジュカから見たステフィノスも大層面倒だという印象しかない。できれば変わってほしい、アレルバータさんとかに。
顔に出そうになる不満を押し殺し、先ほどオペレーターに伝えた内容と全く同じ事を伝える。コンビニに昼食を買いに来たら不審者にいきなり腕を掴まれる経験はなかなかできないだろう。ラジュカの話を聞きながら情報端末を操作する指先はしなやかで、伏せられたまつげは嫌味なほどに長い。黙っていれば美青年と名乗っても納得してもらえそうだ。中身はただの嫌な奴だが。
「んで、知り合いかどうかはよく分かんないって事ね?……これ、容疑者の顔写真だけど見覚え無いわけ?」
「……この人、知ってます。2年前に私へのストーカー行為で接近禁止令出してもらった当時勤めていたアルバイト先の先輩です」
「じゃあ知ってるじゃん。――2年前のストーカー被害、ね。確かに接近禁止令出てる。違反者だね」
ちらりと舌を舐める仕草は猫科を彷彿とさせる。獲物を追い込んだ捕食者の顔だ。先程までの横柄な態度は何処へ行ったのか、真剣な表情に思わず息が詰まる。一瞬満ちた静寂を破ったのは、空腹を訴えるラジュカのお腹の音だった。ラジュカはステフィノスから目を逸らし言い訳を並べる。正直に言って物凄く恥ずかしい。
「ええと、この後ってどうなります……?私、お昼ご飯がまだで」
「まぁ、開放してやってもいいよ。どうせ昨日の件でお前の住所は分かってるし。事後処理に必要だから後で出頭してもらうけど。この後、昼飯食った後と明日の午前中だったらどっちがいい?」
「明日の午前中にお伺いします……」
流石に昨日の今日で”塔”に行きたくない。昨日と違って今日は被害者のポジションだけど、心の準備をさせて欲しい。
「じゃあこれ、受付用のタグ渡しておくから。明日”塔”の受付でこれ渡してよね。時間は午前十時ね。……先輩は今護送の対応中だから、近付かないように帰ってくれる?お前に悪意が無かったとしても、その能力には不安がある」
「あ、はい。……あの、お昼ご飯だけ買っていいですか?」
「はぁ……。早くしてくれる?温め位は家でしてよね」
柔らかそうな金髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて大きなため息をつかれた。明日持ってくるようにと言われたタグも雑に投げ渡してくるし、本当に失礼な男だ。
ラジュカはなるべく急いで昼食を買って、こそこそとコンビニから出た。雨足が強く視界は悪いが、万が一にでもグレンディンに見つかってはいけない。昨日のようにグレンディンが騒ぎ、騒動になってしまったら今から”塔”へ招待コースが待っているに違いない。ステフィノスの協力?誘導?もあり、スムーズにコンビニからの脱出を済ませたラジュカは足早にその場を立ち去った。
「つ、疲れた……。コンビニに行っただけなのに……」
なんてことのないごく普通の自宅の玄関をこんなに恋しく思ったのは初めてだ。張りつめていた緊張が解けたのか急に疲れが襲ってくる。重い体を引きずって椅子に座り、買ってきた昼食をもそもそと食べる。あまり時間を掛けたくなくて咄嗟に選んだ菓子パンは、口の中の水分を奪いぱさぱさにしてくる。冷蔵庫を開けるのもだるいが、うっかり詰まらせて窒息したくもない。ため息を飲み込んでパンを持ったまま冷蔵庫を開け、横着をして紙パック飲料をそのまま呷る。椅子に戻るのも面倒でその場でパンを平らげた後は、昼寝をすることにした。
「あ~お布団は至高……。ちょっとだけ、ねるだけ、だから……あらーむを、つけ……て」
着替えもせず飛び込んだ布団は柔らかい感触でほっとする。ラジュカは短時間の仮眠のつもりでアラームをセットしようとしたが、眠気に抗えずそのまま夢の中に沈んでいった。
――夢を、見ていた。昔の夢だ。
「かわいい僕たちのラジュカ。こっちで遊ぼうよ!」
「おにいさまずるい!ねぇ、ラジュカねえさま!ビビと遊んでくれるよね?」
幼い頃の夢だ。多くいる兄弟姉妹たちが私を遊びに誘っている。こんな風に私が誰と遊ぶか取り合っていた事を思い出す。ガゼボでお茶を飲んでいた母が子供たちを見て笑顔を浮かべ、通りすがった使用人たちも微笑ましそうな様子だった。いつだって私は家の中心で、家族は大きな喧嘩もせず、皆に愛されていた。
――果たしてそれが本心からだったのか、魔力によるものだったのか、私には分からない。
「ラジュカちゃんは私と遊ぶの!」
「いいや、ラジュカは俺と一緒に居る方が楽しいって!」
これは学生時代だろうか。初等科の皆も私に優しかったが、家族とは違って大きな喧嘩が起こることもあった。そういえば、はじめてストーカー被害に遭ったのは、中等科の頃だったか。私が中等科に入学したばかりの年で十一歳、相手は中等科の最上級生で十五歳だったはずだ。確かあの時は、廊下で運悪くぶつかってしまった後から相手がストーカーになってしまったんだった。校内での付き纏いだけでなく家までついて来ようとして恐ろしかった覚えがある。
「どうして!俺たち付き合っているだろう!?」
「先輩とは、廊下でぶつかった以外に特別な接点はありません」
「私達、ラジュカちゃんと一緒に居たけど、どう考えても変なのは先輩の方ですよ」
――クラスメイトに囲まれて、輪の中心に居るのが当たり前だった。けど、それ以降ほんの少し、ほんの少しだけ人が怖くなった。
「××ちゃん、危ないから今日は窓に近付いちゃダメだよ」
「ラジュカちゃんの言ってた事、本当だった!危なかったの、ありがとう!命の恩人だわ!」
高等科に上がった頃には、未来視の能力も安定したのか意識して未来を視える様になった。幼かった頃は視える時と視えない時が有って、内容もおやつが何だったか分かる程度から、大きな事故に繋がる事柄まで様々だった。視えた未来をそのまま口にしてしまうことも多かったけど、それでも不思議と他人の反感を買うことはなかった。
――今思えば、魔力共鳴による好意的な反応だったと思う。でもあの頃は、傲慢だった私には、何故仲違いが起こって仲良くできない事があるのか、理解できなかった。理解できないから、遠ざけた。
なるべく、人と直接触れ合わないように気を付けるようになった。家の外では手袋を常用するようになったのも高等科の中級生からだ。人の少ない図書室に通い詰めて本をたくさん読んだ。人に好かれるのが当たり前じゃない事を知って、他の人たちの距離感の取り方を見て学んだ。
――理解できないのは、私の方が異端だったからだ。なるべく埋没するように心掛けたけど、人に好かれるのは変わらなかった。
はじめてのアルバイトは、高等科上級生になった頃。お客さんがストーカーになってしまって、治専のお世話になった。そのアルバイトは半年で辞めてしまった。過保護になった家族からアルバイトを反対されたけど、反対を押し切って別のアルバイトに就いた。試行錯誤して人との関わり合いを減らせば長く働ける事に気付くまで、時間が掛かった。その頃には就職は難しい事が分かっていて、成人と同時に家を出た。実家には、書置き一つだけ残して出て行った。住処を転々とする根無し草な生活だけど、普通の人として暮らせている気がするから今の暮らしは気に入っている。
――魔力共鳴と特性について、”塔”ならもっと詳しく知ることができるんだろうか。
あの、榛色の鮮やかな珍しい瞳を思い出す。初対面の私の事を、家族と言っていたな。その発言はドン引きもので、正直気持ち悪かったけど……。あの真っ直ぐな、親愛を滲ませたまなざしは、ラジュカの兄弟姉妹たちに似ていた気がする。そう思った所でふわふわと目が覚める感覚がした。
「懐かしい、夢だったな」
昔の夢を見るなんて、本当に疲れていたんだろう。前に思い出したのはいつの事だろうか、記憶にない。寝すぎたせいか少し重い頭にうんざりしながら体を起こす。沈みかけた夕日に照らされた室内は、ゆっくりと闇に沈んでいく。
「寝すぎちゃった……。お夕飯の用意、しなきゃ」
拙作をお読み頂きありがとうございます。
次話は仕事が立て込んでいる為、少し遅れて8/9 18:30の予定です。