もう一人いた
「……終夜、そろそろ」
互いに額を打ち合わせてから、五分くらい経った頃。
流石に気恥ずかしくなってきた僕は、終夜にこの姿勢の解除を要求する。
彼女は僅かに不満そうな顔をしながら、ゆっくり手を離してくれた。
「もうちょっとしてても良かったのに……刑事たちもまだ戻ってこないし」
「いや、目立っちゃったからさ……この前の駅でもそうだったけど、噂になるよ、これ。事件現場で変なことをしていた、とんでもなく不謹慎な奴だと思われるかもしれない」
周囲の目線を気にしながら、僕は少しだけ彼女の行為を窘める。
実際は何となくくっついていただけなのだけれど、男女で顔の位置がああも近ければ誤解を生むだろう。
名探偵の孫である終夜に対して、そんな迷惑をかける訳にはいかない────そんなことを言うと、いよいよ終夜は口を尖らせた。
「別に私、そんな噂は気にしないけど?」
「それは気にした方が良いと思うよ……例えば終夜が将来的に彼氏とかを作った時に、終夜自身が気にせずとも、彼氏がその噂を嫌がるかもしれないだろう?ただでさえ、同居してることで噂になっているんだしさ」
「私が彼氏を作ったら、その彼氏はそんなこと言わないわよ。私が彼氏に求める条件、厳しいし……私は、私が尊敬できるような気高くて格好良い探偵と結婚するって決めてるから」
話している内に内容が逸れていき、終夜が交際相手に求める条件みたいな話題になっていく。
いつの間にか「彼氏」から「結婚相手」に対象がすり替わっているが、お見合いの経験まである彼女としては、それくらい結婚が身近な概念なのだろうか。
変な発見をしつつ、僕は慌てて会話の方向性を軌道修正した。
「と、とにかく……くっつくのは止めて、事件の話をしよう。とりあえず、本郷キララのことは一段落ついたし、彼女の証言を受けて本筋の事件をどう解くかを……」
最初に彼女に言った通り、本郷キララにまつわるこの一件は、一連の事件の中では脇道の部分だ。
赤ん坊が危機的状況にあったので、敢えてこちらを優先させていたけれど、現状本筋の推理は停滞状況にある。
晶子さんを殺した犯人については、何も分かっていないままなのだ。
だからこそ、本郷キララからより正確な証言を聞いた上で、どう捜査していくか決めておく必要がある。
そう思って勢い込んだのだけど────隣を見ると、終夜は「あれ?」と言いたげな顔になっていた。
──……何か、見たことがある表情だな。
瞬間、物凄い既視感が僕を襲った。
僕の目の前で、とても意外そうな顔をしている終夜。
もっと具体的に言うと、「何か重要なことを一人だけ言ったつもりになっている終夜の顔」が目の前で再演されていた。
このタイミングで、彼女にこんな顔をされるということは────。
「え、もしかして終夜……晶子さんを殺した犯人とか、例の襲撃犯がその犯人と同一人物かどうかとか……もう、分かってる?」
「うん……言ってなかったっけ?」
「言ってないっ!」
今度こそ、僕の渾身のツッコミが炸裂した。
全体的に静かな夜の街を、僕の叫びが駆け抜ける。
刑事と野次馬が、再び僕たちの方をザッと見た。
「あー、ゴメンゴメン。アンタの本郷キララに関する話を聞いた後になって確信した推理だったから、ドタバタしていて言うタイミングを逃したのよ。それに長いこと一緒に張り込みをしていたから、その間にもう話したような気になってて」
「……その、自分だけの結論を勝手に言ったつもりになる癖、直したほうがいいよ。いつかとんでもないトラブルを起こすよ、多分……」
タハハと笑いながら弁明する終夜に、僕はせいぜいの忠告をする。
どうやら終夜が言うのを忘れていただけで、彼女は既に、犯人はコイツに違いないという仮説を胸に抱いているらしい。
説明を求めて彼女の顔を見つめ直すと、終夜はすっと表情から笑みを消して、真剣な顔になってくれた。
「藤間刑事もまだ戻ってこないし……そうね、ここで語るのも良いかもしれない。九城君、チェックも兼ねて私の推理を聞いてくれる?矛盾や破綻があったら、いつでもバンバン指摘してちょうだい」
「言われなくても、そのつもりだよ……だから、早く聞かせて欲しい」
僕たちの役割分担の都合上、ここから先は「殺人」専攻の終夜が活躍する舞台だ。
真面目なトーンで推理を依頼すると、彼女は改めて開始の符牒を口にした。
「さて────」
「まず、犯人が誰かについて断定しておくわ。これについては、かなり簡単に分かる話だから。本郷キララが殺人については無関係だと分かった後だしね」
そう言ってから、終夜は自分の指を三本立てた。
容疑者の数だな、とすぐに察する。
「振り返りになるけれど、羽生晶子殺害の容疑がかけられている人物は、監視カメラの映像から三人に絞られていた。青井道隆、守屋一、そして本郷キララね。これ以外の人物が秘密の隠し通路からB17区に出入りしていた……なんて可能性は考えなくていいわ」
「そんな隠し通路があったら、いくら何でも死体発見後に警察が見つけていただろうしね」
「ええ。そして九城君の推理のお陰で、本郷キララは容疑者から外れた。子どもを捨てることばかり考えていた彼女に無関係の晶子さんを殺す暇はないし、真犯人の協力者だったこともないでしょう……つまり、残った容疑者は二人」
本郷キララを意味していた指を自ら畳んで、終夜はピースサインを作る。
その上で、僕にこう問いかけた。
「ここまで来たら、ぶっちゃけ消去法でより疑わしい奴は分かるわ。九城君はどう?青井道隆と守屋一、どちらがより疑わしいと思う?」
「それは、まあ……守屋一の方じゃないかな」
終夜の言う通り、消去法で答えてみる。
今までの情報を振り返ると、全体的にこの人物の方が怪しい。
「そもそも、青井道隆が犯人だとはとても思えないんだ。取り調べでわざわざ皮肉を言ったり、右手をわざとらしく痛がったり……あれで犯人だったら、行動が変過ぎる」
探偵狂時代どころか、旧時代でも通じる概念だと思うが、容疑者が取り調べで悪態をついてもメリットは一切ない。
皮肉と嫌味で相手の怒りを買えば、その分執拗に調べられたり、「こんな態度の奴は他にも何かしているんじゃないか」と思われたりと、何かと容疑者にとって不利に働く。
だから真犯人というのは、大抵取り調べではかなり丁寧な態度をとる。
真犯人は基本的に、探偵や警察から特別な注目を浴びたくないからだ。
真犯人がとんでもなく馬鹿であれば、その程度のことも分からずに悪態をつくこともあるかもしれないが……曲がりなりにも晶子さんを殺した後、目立った物証も残さずに逃げることに成功している今回の犯人が、そこまでの馬鹿とは思えなかった。
そう言う訳で、僕は青井道隆が犯人だとは考えなかった。
あの人は本当に、弟の一件で僕たちを逆恨みしてグチグチ言っているだけの人なのだろう。
モラルは無いが、所詮はただ態度が悪いだけの人だ。
「だから、青井道隆が右手を痛がっていたのは……ただの偶然か、演技の類になる」
「そうでしょうね。恐らく、演技の方だと思う。ああやって大袈裟に痛がって、さも握手で傷が悪化したように偽ることで、後で私から慰謝料でもせびろうとしたんじゃない?弟が財布を無くしたから弁償してくれ、と言おうとしていたのと同じよ。当たり屋みたいな手口だけど、この時代ではよくあることだから」
「そういうところ、本当に兄弟だな……」
要するに、握手にかこつけて変な小遣い稼ぎでもしようとしていたらしい。
弟があんなことをした理由が、何となく兄の態度から分かった気がした。
それでも、彼がそんなことを思いついたせいで、僕たちは「右手を痛がっている!?もしかして、この人が襲撃者の可能性もあるのか?」なんてちょっと考えていたのだから、本当に人騒がせな人だった。
まあとにかく、青井道隆は今回の事件とは特に関係していない。
気分の悪い人だが、人殺しではないのだろう。
彼はただ、晶子さんがB17区に隠れた後に偶然コインロッカーを使いに来て、何も気づかずに立ち去っただけだ。
「だからこそ、容疑者は一人しか残らない。守屋一……あの人が、晶子さんを殺したのか」
「そうだと思う。物証は無いけれど、もう彼しかいないもの」
「でも……どうしてなんだ?それはまあ、手法的には可能だろうけど……」
事件の当初から言われていた通り、今回の事件は決して複雑なトリックが使われてどうこう、という話ではない。
保釈直後に殺されたと言う点だけが目新しいけれど、マスコミの動きからすると、保釈日は随分と前から漏れていたようだ。
ちょっと情報に詳しければ、晶子さんの動向は誰でも容易に分かったことだろう。
犯人である守屋一は、どこかでその情報を知って、逃げ回っていた晶子さんと弁護士を頑張って追いかけた。
そのままB17区に潜んでいた彼女を発見して、即座に刺殺。
彼女の死体をコインロッカーに詰めて、目についた痕跡を消しつつ、建前として別の場所のコインロッカーに荷物を預けて立ち去った……これだけだろう。
元警備員の彼は体格も良かったから、華奢な晶子さんをコインロッカーに押し込むことくらいは容易にできたはず。
凶器は市販品のナイフだから、多分普通に買ったのだろう。
殺人の手法については、疑問点などは何も無かった。
しかし……動機だけが分からない。
何故、彼女を殺したのか。
死んだ後にコインロッカーに詰めたのは、何の意味があったのか。
守屋一が犯人だと聞かされても、ここを説明してくれないことには推理としては不十分だ。
とても納得がいかない。
だから、僕は終夜に対して殆ど問い詰めるような口調で推理を急かした。
「守屋一には何か……ああしないといけないだけの理由があったはず。それを教えて欲しい、終夜」
僕の顔を見た終夜は、僅かに躊躇うような顔をする。
しかし、それも一瞬のこと。
あっという間に「殺人」専攻らしい冷徹な真顔になった彼女は、淡々と推理を述べていった。
「それについては、守屋一の背景を推理していけば想像できることだと思う。今日の取り調べで聞いたことを合わせれば、それは分かるんじゃないかしら」
「彼の背景?」
「ええ。言っていたでしょう?彼は元々、この街で捨てられていた子どもだったと。その上でアンタに質問してみるけど……ねえ、彼はどこに捨てられていたと思う?」
そう問われた瞬間。
ガチャン、と僕の中で何かの扉が開いたような気がした。
今まで気が付けていなかった、しかし心の奥底では分かり切っていた一つの真相。
それを、終夜が気づかせてくれる。
「もしかして……彼はかつて、コインロッカーに捨てられていた?」
「ええ、私はそうだと思う。有り得ない話じゃないでしょう?捨て子の捨て場所としてはオーソドックスだから……本郷キララだって、最初はコインロッカーに捨てようとしていたくらいだし」
「ああ……確かに、そうだ」
今しがた、実例を見たばかりだ。
コインロッカーベイビーは、現代では大して珍しい存在ではない。
本郷キララの子どものことばかり考えていて、彼の過去に着目するのを忘れていた。
彼が捨て子だと聞いた時点で、疑わなくてはならなかったのだ。
この人もまた、コインロッカーベイビーではないのかと。
「じゃあ、そうなると……殺人犯である彼が。晶子さんをコインロッカーに詰めたのは……」
「多分、社会への復讐的な動機だと思う。かつてコインロッカーに捨てられた自分が、恵まれたお金持ちのお嬢様を殺してコインロッカーに捨てる。そうすることで、この世界への八つ当たりでもしたかったんじゃない?」
一切の感情を込めずに、終夜が彼の動機を推理する。
僕はただ、彼女の口の動きをぼんやりと見つめることしかできなかった。
そこからの終夜は、とても奇妙な推理の披露をした。
順繰りに真相を語っていくのではなく、まるで彼女自身が犯人にでもなったように、独白を口にしたのである。
とある男性の半生を、そのまま繰り返す形で。
彼女が口にしたその真相は、証拠が無く妄想で埋められているところばかりで、とても確実な話とは言えなかった。
しかし口振りもあってか、僕としては非常に真実味がある話に聞こえた。
彼女が開示したのは、そんな暗い妄想。
とても突飛で、理不尽で、しかし確かに僕の同族である人物。
もう一人のコインロッカーベイビーの生涯だった。




