恨み
本郷キララとの会話を終えてから外に出ると、既に日は大分傾こうとしていた。
ここから先は、現代では外出が推奨されない時刻である。
最初は徹夜の張り込みを覚悟していたとは言え、それをせずに済んだ以上、無意味に外にいる必要はなくなっている。
だからここで、僕は涼風さんを学生寮に返すことにした。
容疑者ごとに割り振りまでしたのに、あっさりペアでの捜査が終わったことになるけれど、これは仕方がないだろう。
僕はともかく、涼風さんに夜道を歩かせるのは厳しい。
彼女を学生寮前まで送ってから、僕もお屋敷に戻った。
帰った時点では香宮邸は無人だったけれど、更に日が落ちてくると、他の二人もぼちぼちと帰ってくる。
そこからの動きは、特に打ち合わせてもいないのに迅速だった。
終夜も流石に料理をする気力はなかったのか、三つ揃ったカップラーメンを食卓に並べるという珍しいことをしたのだが、不満も言わずに僕たちは夕食を終える。
その勢いのまま、香宮がどこかから持ち出してきたノートパソコンを起動させるのだった。
『じゃあ、法医学教室の方では特に新発見はなしって感じっすね。抵抗する間もなくナイフで胸を刺されたって事実が再確認されて……凶器や被害者の服には、指紋などの犯人の痕跡は残っていなかった。死亡推定時刻は変わらずで、三人の容疑者はずっと怪しいと』
ノートパソコンの画面に映ったアキラが、香宮の報告を聞いてふむふむと頷く。
彼の顔の下に表示されているのは、有名なWeb会議用サービスのブランドロゴだ。
帰宅後に互いの成果を報告するべく、僕たちはこれで話し合うことにしたのである。
『しっかし、防御創が本当に一つも無かったことからすると、犯行はかなりの早業だねー……プロの犯行なのかな』
『そ、それはないと思います、三堂さん。監視カメラを潰していないことや車椅子を放置していることからすると、犯行自体は寧ろ杜撰です。かなり突発的な犯行なんじゃないでしょうか』
アキラが映る画面の隣で、三堂さんと涼風さんも各々の考えを述べる。
彼女たちは同じ部屋に住んでいるので、一つの画面に顔を寄せ合うようにして映り込んでいる。
因みにこれは僕たちも一緒で、僕は終夜と香宮に挟まれる形でWeb会議に参加していた……正直、かなり暑いのだけど仕方がない。
「まあとにかく、凪からは以上ね……じゃあ次、青井道隆の調査結果を報告してくれる?」
流れで司会役となった終夜が、アキラへ水を向ける。
はいはいと頷いたアキラは、ペラペラと画面外でメモ帳をまくった。
『ええっと、男子寮に住む弟、青井研から話を聞いたり、彼を介して本人に電話したりしたんすけど……本人は、休日に遊ぶために荷物を預けただけだって言ってました。今日は仕事が休みで、夜まで駅前で適当に遊ぶつもりだった。だけど荷物が重かったから、コインロッカーに預けることにしたと』
「具体的にどんな荷物を預けたかは分かるかな、アキラ」
『護身用の武器の類っすよ。何でも青井道隆は、催涙ガスとかが入ったスプレー缶を護身用に持ち歩いているみたいで……でもいざ駅前に来てみたら、流石に重くて嫌になった。だからポケットに入る小型のスプレー缶だけ残して、残りはコインロッカーに入れたと言ってました。あんまり遊び慣れていないタイプだったらしくて、持参する武器の量を見誤ったとか。実際、彼が証言した通りの場所にスプレー缶が入っているのを警察が確認しているっす』
「なるほど、探偵狂時代あるあるみたいな話だな……」
街中で遊ぼうと思っても、今の時代だと危険な目に遭う可能性が常にある。
だから遊ぶために外出する人が、念のために大量の武器を持ち歩こうとするのはよくある話だ。
しかし持ち出した量が流石に多すぎて、途中で最低限の量に切り替えるというのも、ちょくちょく聞く笑い話だった。
『でもー、その人、何でわざわざB17区に行ったの?あーしだったら、早く遊びたくてB15区とかのロッカーを使うけど。その方が近いし、帰る時もすぐに取り出せるし』
『それに関しては、ロッカー荒らしを警戒してたからだって言ってたっす。最近でも結構ある話っすからね、コソ泥がコインロッカーの鍵をぶち破って、中身を盗むっていう事例は……催涙ガスだってタダじゃないんだから、できるだけ泥棒に狙われにくい、過疎気味のロッカーに預けることにしたという話っす』
三堂さんの疑問への答えを聞いて、僕はまたなるほど、となる。
アキラが言うように、ロッカー荒らしというのは警戒すべき犯罪だ。
隙を見てコインロッカーの鍵をぶち破り、中身を抜くような泥棒は、それこそ旧時代からいるのだから。
流石に駅のように人通りが多いところでロッカー荒らしをやる犯罪者は少ないが、ひょっとして、という疑念があったのだろう。
だからこそ、敢えて人目の少ないB17区のコインロッカーを利用することにした。
基本的にその手の泥棒は、金目の物が入っていそうな利用率の高いロッカーから狙うので、過疎気味のロッカーなら狙われるリスクが少ないのである。
『要するに彼の証言としては、そのスプレー缶の類をロッカーに入れて、そのまま帰ってきただけだという内容になるっす。死体は見ていないし、車椅子についても知らないと』
「生きている晶子さんと話した、なんてこともない?」
『記憶にないとのことっす……そもそも利用したロッカーの位置が遠くて、死体が見つかった曲がり角には近づいてもいないらしいんで、被害者の生死に関わらず気が付けなかったというのは考えられる話っすけど』
「そうだね……晶子さんだって、まさか大声なんて出さなかっただろうし」
晶子さんがその時点で生きていたとしても、互いの存在に気が付けないまま終わることは普通に有り得る。
晶子さんは記者たちから隠れている立場なので、当然曲がり角の先で息をひそめていたはずだし、青井道隆だってスプレー缶は素早く詰めて立ち去ったはずだ。
二人して無言なのだから、気が付けるはずもない。
無論、これは彼の潔白を信じた場合の仮説だ。
実は彼こそが犯人であるのなら、こんな証言は全て嘘っぱちということになる。
持ち込んだスプレー缶だって、本当は晶子さんの不意を衝くために使いました……なんて可能性もゼロではない。
勿論、現状ではそれもただの邪推だ。
この証言だけでは、「証言者本人は事件と無関係にコインロッカーを利用したと主張している」以上の内容はない。
だからなのか、僕の隣で終夜が深堀りを試みた。
「アンタの感覚からして、他に疑わしい点は無かった?どんな些細な点でも良いから、気になったことは共有しておきたいんだけど」
専攻が「情報」の探偵として、気になることは無かったのか。
そんな無茶振りとも言える問いかけに対して、アキラは「そうっすねえ」と迷った様子を見せてから、指を一本立てた。
『敢えて言うなら、一つだけ……彼の動機というか、青井道隆の憎んでいる相手についての話は、興味深いかもしれないっすね』
「憎んでいる相手?」
『はいっす。兄貴たちとしては、聞いていて気分の良い話じゃないと思うっすけど……どうも青井道隆は、兄貴のことが嫌いみたいなんすよ。電話中に誰の指示でこんな調査をしているんだと聞かれて、それとなく兄貴の名前を出したら、すぐに電話を切られたっすから』
「僕を……嫌っている?」
流石に意外な気分になって、僕は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
しかしすぐに、その理由を察した。
「もしかして、彼の弟のことで憎まれているのか?弟の青井君がここで詐欺を働こうとしていた時、僕が推理でそれを見破ったから……『弟に恥をかかせやがって』みたいに思っているとか?」
「……そうだとしたら、馬鹿みたいな逆恨みね。そこは弟を叱り飛ばすのが家族の役目でしょうに。弟が弟なら、兄も兄ということかしら」
僕が推論を口に出した途端、香宮が容赦なく青井道隆の態度をぶった切る。
多分、僕を庇っての発言なのだろうけど、言葉が強かったのでWeb会議画面がざわりと揺れた。
アキラも少し驚いた顔になっていたが、気を取り直して解説を続ける。
『何でも、元々かなり仲が良い兄弟だったみたいなんすよね。兄は探偵志願者じゃなくて、単なるゴミ回収の業者として幻葬市に来たビジターっすけど、弟が幻葬高校に合格した時には自分のことのように喜んでいたとかで。住む場所すら、兄が自分の借家で一緒に住まないかと提案していたくらいだそうっす。まあ結局、幻葬高校からかなり離れた家だったんで、取りやめになったそうっすけど』
「そんな可愛がっている弟が、ちょっと小金でも稼ごうと香宮邸で詐欺を働いた。そうしたら、僕に謎を解かれて小金を貰えなかった。それが憎いってこと?」
『まー、そのー……弟の方は、結局は学生寮で住むことになったんすけど、この詐欺の話が広まり過ぎたせいで、かなり肩身の狭い思いをしているレベルっすからね。同じく詐欺をした平黄も含めて、滅茶苦茶軽蔑されている感じで。その辺の恨みがあるんじゃないかと……元はと言えばあの詐欺がバレたのがいけないんだ、と考えてしまったというか』
──そうなんだ……青井君、学生寮では苦労しているんだな。
僕の主観では既に過去の事件になっていたので、今まで考えたことが無かった視点だった。
しかしよくよく考えると、あんなことをしでかしておいて学生寮に入ったというのなら、当然の帰結ではある。
幻葬市の中心部に居座る大地主の娘と名探偵の孫相手に、あんな詐欺を働こうとしたと広まってしまっているのだから。
警察沙汰にはならなかったものの、学生寮では随分と白い目で見られたことだろう。
あいつ、名探偵の孫相手に詐欺を働いたらしいぜ、しかも通りすがりの男子に見抜かれてすごすごと逃げ帰ったんだってよ……そんな噂をされながら、新生活を送らなければいけなくなった。
当時は終夜たちの素性を知らなかったのでスルーしていたけれど、冷静に考えると彼らは本当に凄まじいことをしている。
失敗した時のリスクよりも、目の前の小金の方が大事だったのだろうか?
浅慮の代償として、青井君や平黄君はかなり辛い目に遭っているようだ。
『それ、女子寮の方でもあるよ。赤木って女子がせこいことやってたって噂、あーしのところにも流れてきたもん』
『だから赤木さんは結局女子寮を出て、別のアパートに引っ越したという話だったはずです……とてもじゃないですけれど、女子寮で平和的にやっていける状況ではなかったんでしょう』
涼風さんたちからも続報が届き、僕は何だか落ち込んでくる。
当然と言えば当然の流れだけれど、聞いていて気分の良い話ではなかった。
青井君の兄が言うように、これは僕の責任に見られているのか……と思ったところで、隣からそっと香宮が僕の手を握ってきたのが分かった。
驚いてそちらを見ると、いつの間にか彼女は僕の顔をじっと見つめていた。
そのまま、軽く首を振る。
僕が繰咲駅から帰って来た時と、ほぼ同じ動きだった。
──……ああ、駄目だな。また、心配させた。
最近、香宮にはこうやって励まされることばかりだ。
いい加減、僕の落ち込み癖も何とかしないといけない。
少なくとも事件捜査中に落ち込んでいる暇はないな────そう理解して、僕は香宮に頷きを返しつつ、改めて画面に視線を戻した。
「ええと……つまりアキラが言いたいのは、弟のことで青井道隆は僕に悪感情を持っていたようだから、それがひょっとすると事件の動機になっているかもしれない、ということ?」
『はいっす。自分でも飛躍した結論だとは思うっすけど、この時代なら有りそうなラインっす……羽生晶子さんが保釈されたことは結構話題になっていたっすから、一介のゴミ処理業者である青井道隆がそれを知っていたとしてもおかしくない。その上でどこかから、被害者が兄貴の知り合いであると知ったなら……兄貴への八つ当たりや嫌がらせのために、青井道隆が羽生晶子さんに危害を加える可能性自体は、ゼロではないと思うっす』
「とんでもない理論だけど……否定できないのが悲しいわね」
最後に終夜が零した感想に、僕も同意だった。
旧時代であれば、こんな推理を警察に話せば鼻で笑われたことだろう。
いくら僕を嫌っていたところで、その僕と会う予定だった人を嫌がらせで殺すなんて、殺人の動機としては馬鹿げている。
しかし、今は探偵狂時代。
かつての常識が狂気とされ、かつての狂気が常識とされる時代。
優月先生の事件などを経験してきた僕たちは、この動機を否定しきれなかった。
元より今回の事件は、動機が大きな謎だったのだ。
長年「鳥籠娘」だったために、碌に知り合いもいなかった晶子さんを誰が殺したいと思ったのか。
青井道隆がこの動機で行動したのであれば、そこを説明することができる……アキラの推理は暴論でも何でもなく、しっかりと考えなくてはいけない可能性だった。




