探偵ならざる幻葬市民
大小の染みが残る廊下と、ギイギイと音を立てる階段と、風が吹く度に謎の綿が舞う廊下と、蓋が存在しない郵便受け。
それらの間を抜けて、目的とする部屋の前に佇む。
インターホンは見当たらなかったので、普通にドアをノックした。
「本郷さーん、いらっしゃいますかー?」
無反応を覚悟していた。
まだ帰宅していない可能性は結構あるし、既に帰宅していたとしても、探偵と関わるのが面倒で居留守を決め込まれる場合もある。
だからこそ、これ一つで何か動くとは思っていなかったのだけど……意外なことに、扉の奥からはドタドタと足音が聞こえてきた。
「……はい、本郷だけど。誰、あんたら」
ガチャリと開けられた扉から姿を現したのは、監視カメラで見た通りの女性だった。
くたびれた金髪が目立つ、やや太めの女性。
話し方もそうだが、ヤンキーっぽい人というか、失礼な感想だが柄の悪い人だ。
「お休みのところすいません、幻葬高校の学生で、九城空と言います。実は少し、繰咲駅で起きた事件のことでお話を聞きたくて……」
「えー?さっそく来たのお?……警察の相手だけで、嫌になるほど疲れたのに」
途端にしかめっ面になる本郷キララを見て、僕はまあこうなるか、と思う。
今の時代、殺人事件に巻き込まれた人間は二重三重に追い回される宿命にある。
警察の取り調べを終えても、僕たちみたいな探偵が話を聞きに来るからだ。
僕自身、駅から香宮邸に戻る時には野次馬探偵たちから逃げてきている。
彼女がどれほど僕たちを鬱陶しく思っているかは、容易に想像できた。
だからこそ、相手の心を開くために敢えて僕は踏み込む。
「……手間だと感じていることは重々承知です。実は僕も、今日はあの駅にいたんですよ。死体発見直後から、本郷さんと同様に警察に話を聞かれ続けて……その上で他の探偵にも追われました。しつこいですよね、アレ」
同情を籠めて告げてみると、本郷キララは目を丸くする。
とりあえず、興味を引くことには成功したらしい。
「……あんた、あの事件のことで警察に話を聞かれたの?じゃあもしかして、例のコインロッカーのところに来てたとか?」
「来てたというか、死体の発見者です。だからこそ、こうして推理に動いています」
隣で涼風さんは驚いていたけれど、止めなかった。
こういうタイプには、変な駆け引きよりもぶっちゃけた話の方が効果がある……気がする。
果たして、本郷キララはキョロキョロと何かを探すような顔になり、そのまま「ちょっと待って」と告げた。
「話聞きたいなら、あたしが知ってるくらいのことは話すけどさ……同じく事件に関わったお仲間だし?でも今、家が汚いから、ちょっと外に出ようよ。外でタクシー停まってるけど、あれ、あんたらでしょ?」
「そうですね、手近なお店にでも入りましょう」
「あ、私、運転手さんに安全なお店がないか聞いてきます!」
こういう場合に備えて、タクシーの運転手に待機を命じていたのが幸いした。
予想以上にポンポンと進んだ話に喜びつつ、本郷キララは荷物をまとめると言って部屋に引っ込み、涼風さんはタクシーを呼びに走る。
一時的に暇になった僕は、何となく近くにあったガスメーターの表記を、二、三個程ボーっと見て時間を潰した……どれも同じような状態だったけれど。
タクシーの運転手に頼んで十分程度走ってもらい、一軒だけあったファミレスに場所を移す。
当然ながら、ここで話を聞いている間はタクシーも待ちぼうけになってしまうのだけれど、運転手は快く了承してくれた。
彼を呼んでくれたのは終夜なので、彼女から色々言い含められているのかもしれない。
何にせよ、話を聞く準備は意外とあっさりと整った。
適当な席に座った僕と涼風さんは、本郷キララに改めて向かい合う。
「では……時間を取らせて申し訳ありませんが、今日の動向について聞いてもよろしいでしょうか」
「良いけどー、その前に吸っても良い?ここ、喫煙OKな店だし」
ポケットから煙草の箱を取り出しながら、本郷キララは期待に満ちた目をする。
入店前からソワソワした様子を見せていたところからすると、どうも結構なヘビースモーカーらしい。
僕と涼風さんがアイコンタクトの末に頷くと、彼女はこれ幸いとライターで煙草に火をつけた。
「いやあ、ありがと。ちょっと前まで、そこそこの期間吸ってなかったからさ。その反動で最近は手放せなくなって」
「……禁煙でもされていたんですか?」
「んー、まあそんなとこ。で、何から聞きたいって?」
口から煙を吐きながら、本郷キララは気だるげに問い直す。
煙草臭さにちょっと距離をとる僕の隣で、涼風さんが質問をしてくれた。
「その、さっきも言ったように、私たちは今朝の繰咲駅で起きた殺人事件について調べているんです。それで、死体発見前に本郷さんが現場を訪れたらしいって聞いて……何か見たものがないか、気になって」
「なるほどなるほどー……でも私、特に何も見てないよ。だからこそ、サツもすぐに解放してくれたんだしさ」
「それでも、一応聞かせてください。今日はどんな用事で、あのコインロッカーが集まる区画に行ったんですか?」
「そんな大した用事じゃないんだけどー」
何で皆そんなに聞くかな、と言いながら本郷キララは煙草を手で弄ぶ。
彼女が手を動かす度に、裾が伸びてだるんだるんになった洋服が細かに揺れていた。
袖口は原型を保っているのだが、腹部の生地がかなり傷んでいるらしい……生活の苦しさが滲み出しているような服装だった。
「あの場所に行ったのは、単純に就活のため。あたし、今は無職なんだよね。だから職探し中でさー……それで面接しないといけなかったから、あの駅の方に行ったってワケ」
「……因みにですが、前職は?」
「コンビニのバイトしてた。更にその前は、ガールズバーのバイトで、その前は……忘れちゃった。中学出てから、色々やってきたしね。どこも短かったけど」
「フリーターをしていた、という理解でよろしいでしょうか」
「そうそう。でも、仕方がないじゃん?あたし、『オリジナル』だもん。探偵にならないままでこの街に住もうと思ったら、そういう生き方をするしかないし。あたし、頼りになる親戚とかもいないしさー……そのせいで、ずっと貧乏暮らしなんだけど」
──やっぱり、「オリジナル」だったか。それなら言ってることも一理ある……まあ、普通に就職してる「オリジナル」も多いとは聞くけど。
愚痴っぽい本郷キララの発言を聞いて、僕は納得と呆れを同時に抱く。
彼女が言うように、推理力を持たない「オリジナル」たちにとって幻葬市は住みにくくなった、というのはよく言われる話だ。
推理力がないために、この街のメイン産業である幻葬高校関連の職業には当然就けず、それ以外の職業で生きていかざるを得ない立場になったのだから……農家などをしてひっそり生きる人が多いのも、これが理由である。
しかし当然のことだが、彼女が職を転々とした原因についてはまた別の話。
例えばこのファミレスの店員がそうだが、幻葬市でも探偵以外の雇用は探せば見つかる。
本人は自分が「オリジナル」だからと言い切っているが、職が長続きしないのは彼女自身の問題もあるのだろう。
勿論、そんなことはここでは聞かない。
僕たちが聞きたいのは、もっと別の話である。
「では、就活のために繰咲駅付近を訪れる必要があり、それでコインロッカーを利用したんですね。一応聞きますが、何を入れたんです?」
「えーと、背負ってたバッグに入ってた、水とかお茶とか。どこかで飲むかと思って持ってきたんだけど、意外と重かったからうんざりしてたんだよね。でもその場で飲みきるには量が多かったし、捨てるのは流石に勿体ないし……それで、コインロッカーに預けて、後で飲もうかなって」
「だからこそ、B17区に入ってすぐに立ち去ったんですね?」
「そうそう!あの場にいた時間、ほんの数分なんじゃない?だから、死体も何も見てないよん。B17区に入ってすぐのところにあるロッカーに水入れて、そのまま引き返したもん。警察に聞いたけど、死体って結構奥の方のロッカーに入れられてたんでしょ?あたし、そんなとこまでは入ってないから、全然気づかなかった」
まあ結果から言えば、気づかなくてよかったけどね、と言葉が続く。
一連の話を聞いてから、涼風さんが心配そうに口を挟んだ。
「ええと、そうなると本来行くべきだった面接というのはどうなったんですか?」
「そんなの、中止になったに決まってんじゃん。サツに呼ばれたから、そっちの対応をしないといけなくなったし。だからこうして、今も暇してたってこと」
気の毒そうな顔をする涼風さんの隣で、僕はふむと考え込む。
気になることがあるような、ないような。
何とも判別しがたい感覚になりながら、質問を重ねる。
「念のために聞きますが、B17区で不審な物を見たとか、怪しい人影を見たとかはありませんか?」
「いやあ、全く。ほんとに、ちょっと行ってペットボトル入れて、すぐに戻ったし」
「では、全く違うことを聞きますが……本郷さん、どうしてB17区に行ったんですか?ペットボトル数本を中に入れるだけなら、もっと手前のB15区やB16区のコインロッカーを使っても良かったと思うんですが」
「いやほら、面接の後には、あたしって荷物を取りにいかないといけないじゃん?その頃にはもうお昼で、B15区やB16区は人で一杯になってるかもだし。それで、どんな時でも人が少なさそうな端っこを選んだというか……因みに、あたしが使ったコインロッカーにちゃんと水とかが入ってたことは、警察が確認してるよん。指紋とかも採取済み」
「そうですか……最後に、興味本位で聞くんですが、就活中なのに私服なのは良かったんですか?監視カメラに映った姿によれば、スーツとかを着てなかったようですが」
「いやいや、バイトの面接一つでそんなスーツとか着ないから。向こうもそれで良いって言ってたし」
連続した質問に、本郷キララはすらすらと答える。
煙草を根本までじっくりと吸いながら回答する様子には、淀みは殆ど見られなかった。
「……それで、他に聞きたいことは?」
終いには向こうに会話の主導権を握られ、僕と涼風さんは顔を見合わせる。
スムーズに質問が終わったこともあってか、僕たちはそれ以上の疑問を思いつけなかった。
結果、涼風さんが一応の挨拶をして、この場をお開きにしようとする。
「ご協力いただき、ありがとうございました。また何か聞きたいことが出てくるかもしれないので、可能なら携帯の電話番号を知りたいのですが……」
「……ケータイ、持ってない。言っとくけど、固定電話もないからね。家の状態を見たら分かるでしょ?」
やや気分を害した様子でそう呟きながら、本郷キララはガッと水を飲む。
恐らく、電話代を払えるような生活状況ではないのだろう。
慌てて涼風さんが謝ろうとすると、それを制するように彼女は自嘲した。
「まあ、ここ一年近くは碌に就活もしてなかったしね。男にも捨てられて、あんな他に住んでる人もいないボロアパートに住んでたくらいだしー……」
「……『オリジナル』として、ご実家は市内にあるのでは?」
「そんなの、もう売っちゃったよ。親ももういないし。大した値段にならなかったけど。男に貢いでたからさあ、全然手元に残らなくて」
段々と愚痴っぽくなっていることに自分でも気が付いたのか、そこで本郷キララは口をつぐむ。
そしてやはり彼女の方から、「じゃあ、話が終わったなら帰るから」と言って立ち上がった。
ついでに、僕の方を見ながら頼み事もする。
「他の探偵から話を延々聞かれるのもアレだからさー……これからそういうのが来たら、『幻葬高校の九城空って子に全部話したから、聞きたいならそっちに行け』って言っても良い?そうしてくれたら、あたしとしてはかなり楽なんだけど」
「ええ、それは良いですよ。最初からそのつもりでしたから」
探偵たちの相手に疲れた事件関係者が、しばしば使う手である。
最初に話を聞きに来た探偵に全てを託すことで、自分がそれ以上の対応をしなくても済むようするのだ。
代わりに僕たちが野次馬探偵の相手をしないといけなくなるのだけど、そのくらいの代償は覚悟していたので、すぐに頷いた。
もしかすると最初から、僕たちにこの役目を引き受けさせるために話をしてくれたのかもしれない。
「あんがとね。じゃあ、そういうことで……まあでも、いくら死体を見つけたからって、あんまり張り切り過ぎないようにしなさいよ、あんたら。本当は警察の仕事なんだしさ」
最後に何故か警句めいたことを言いながら、笑って本郷キララは立ち去る。
律儀にお辞儀する涼風さんの隣で、僕はじっと彼女の背中を見つめていた。




