胎内回帰
記者が続けた話によれば、羽生邸における殺人事件への注目は大きいらしい。
新興企業たるフェザーフーズの社長が娘を「鳥籠娘」にしていたという事実と、その「鳥籠娘」が父親を殺害して復讐したというドラマ性。
殺人事件が頻発する今の時代でも、こうした刺激性のある話題はやはり重点的に扱われる。
「しかもこう言っちゃなんだけど、犯人である羽生晶子自身の話が殆ど聞こえてこないから、世間としては彼女の声を聞きたくなっちゃっているんだよ。社長代理の羽生虎之助氏や顧問弁護士の会見は何度もあったが、自分たちに都合のいいことしか言っていないし……実態はどうなんだ、というのが新聞の購読者たちの声でね」
「……だから、保釈の際に一言コメントを貰おうとした?」
「そういうことだ。ちょっと時間が経ってしまえば、また裁判までどこかに匿われるのは確実なんでね……幸い、前々から保釈日の情報は漏れていた。だから保釈されるであろう時間に合わせて、留置場の前に多くの記者が張っていたんだ。でも、すぐに車で逃げられてしまって」
慌てて記者たちも車で追いかけると、この駅近くの駐車場に弁護士の車が停まっているのを発見。
当然近くにいるらしいという話になり、全員が探し始めた。
結果として、駅周辺を大勢の人間が走り回っていた……そういう流れらしい。
「ただこの駅も広いから、まだ見つかっていないみたいなんだがな……とにかく、そういう訳では今は事件って程のことは起きてない。安心しなよ、少年」
そう言ってから、彼は休憩終了とばかりに立ち上がってどこぞへと去っていく。
記者としての野次馬根性は垣間見えていたが、僕への配慮から察する限り、個人としては善良な人なんだろうなと思った。
アキラもそうだけれど、今の時代に無料で情報をポンポン教えてくれる人は希少である。
──まあただ、彼らのせいで全く安心できないのも確かなんだけど……!
不満と感謝を丁度半分ずつ抱きながら、僕はスマホを抱えて駅の様子を伺う。
今の話が正しいのなら、どうやら晶子さんたちは僕と合流できないような状況にあるようだ。
記者たちから逃げ回っていて、とても待ち合わせ場所まで来れないのだろう。
そうなると、僕の方から彼女たちを迎えに行く必要が出てくる。
記者よりも先に彼女を見つけて、すぐさまタクシーか何かに乗って離脱しないといけないのだ。
そのためにも連絡を取らないと────そう思ってスマホを取り出したところで、まるでタイミングを合わせるようにメッセージが届いた。
『羽生晶子様 東口B17区の脇道で待っています 迎えに行ってあげてください』
弁護士からのメッセージだ、ということはすぐに分かった。
今までは僕に連絡をとる暇もなかったのだろうけど、ようやく余裕が出てきたのかもしれない。
文面からすると、晶子さんをこの場所に置いて、弁護士本人は次の仕事か何かに向かったらしい。
──車椅子の、しかも記者に追われているような人を置いていかないで欲しいけどな……いやまあ、この弁護士も時間的に余裕がなかったのかもしれないけど。
何となく、この弁護士が晶子さんと関係が悪い理由が透けて見えた気がした。
しかし、今はそんなことに構っている場合ではない。
未だに慣れない駅の構内地図をスマホで確認しながら、僕は東口の方に向かってダッシュした。
────繰咲駅は幻葬市と「外」を結ぶ重要地点であるため、駅と名の付く施設の中でもかなり巨大な建物である。
旧時代には東京駅という大きな駅があったらしいけれど、規模的にはそれにも負けていないとホームページには書いてあった。
僕が生まれる前に東京駅は放火で焼失したので、それと比べられたところで正直ピンとこないのだけれど、とにかく日本有数の巨大な駅らしい。
当然無意味に広い訳ではなく、以前僕も体験した通り、「外」から来た人間を調べるための場所が多く設置されている。
手荷物検査やら、許可証のチェック場所やら、とかく厳しいのだ。
それらが乱雑に配置されていることもあって、繰咲駅の構内は迷路さながらの複雑な構成となっていた。
だから、僕が指定されたB17区というエリアに中々辿り着けなかったのは、ある程度は仕方がない話ではある。
初めて幻葬市に来て以来、この駅を利用する機会はほぼほぼ無かった。
スマホに出した地図とにらめっこしながら初見の場所を目指すのは、僕としてはハードルが高かったのである。
一応、構内のエリアはその用途に応じてアルファベットと数字で組み分けをされているので(A7区とかC12区とかいうように)、その意味が分かれば素早く動くこともできるようなのだが、この状況では無理だった。
結果から言えば、僕がその場所に到着したのはメッセージを受けてから十五分後のことだ。
B17区が少し奥に位置していたとは言え、ダッシュした割には時間がかかり過ぎたのは間違いない。
途中で通路を間違えてしまったのが痛かった。
もっとも、遅れた理由はそれだけではなく。
近づくにつれて目に入ってきた「それ」に触れたくなかったから、というのも大きいのだろうけど。
「この付近……コインロッカーが並ぶ場所だったんだな……知らなかった」
合流場所よりも二ブロック手前、B15区。
その通路を駆け足で通り過ぎながら、僕は肩を強張らせていた。
嫌なことを思い出してしまって。
──いやまあ、当然のことなんだけど……これだけ大きい駅なんだから、コインロッカーは沢山必要だ。それらをバラバラに置いたところで使いにくいから、一ヶ所に集めるのが普通だろう。
結果としてこのB15区の近くは、無数のコインロッカーとが立ち並ぶ、実用的なエリアとなっているようだった。
通路の両脇はコインロッカー、曲がった先にもコインロッカー、入り組んだ道の行き止まりにもコインロッカー、隠し部屋のような小スペースは全ての壁がコインロッカー……なんて具合である。
変化があるとすれば、偶に自販機が混ざるくらいだ。
地図を見る限り、B15区からB17区にかけては全てこんな感じらしい。
普通の人であるならば、この光景は何も感じないだろう。
コインロッカーしかなくて殺風景だな、と思うくらいか。
事実、周囲でコインロッカーの扉をガチャガチャ動かしている利用客たちは、何ともなさそうに荷物を置いたり引き上げたりしていた。
しかし、僕は違う。
こんな風景を見る度に、顔を強張らせてしまう。
言うまでもなく、自分の過去を思い出してしまうがために。
──落ち着け……僕が捨てられていたのは、もっと別のエリアだ。義父さんがここを利用していた時とは、配置も設計も変わってる。そもそも、僕が収まっていたコインロッカーは、臭いがとれなくて処分したらしいし。この付近は、僕の過去とは何の関わりも無い。
歩きながら、自分にそう言い聞かせた。
傍目には怖い人間に見えたかもしれないけれど、仕方がない。
自分を現実に留め置くためには、これは必要なことだった。
悪夢が一番酷かった中学時代なら、きっとこの繰咲駅を利用することすらできなかっただろう。
ある程度は落ち着いている現在だからこそ、こうして自分を窘めながらも動くことができているのだ。
だったらそれを利用して、僕よりも晶子さんのことを考えなければならない。
──多分、弁護士が記者に追われて、人通りのない場所に逃げこんだんだろうな。それで、ここに来た。コインロッカーしかない分、改札前とかに比べて人が少ないから……。
つまり晶子さんは、車椅子のままこのコインロッカーの海のどこかに放置されていると思われる。
流石に通路のど真ん中には置けないだろうから、B17区にある脇道のどこかで待機しているのだろう。
ただでさえ到着が遅れているのだから、さっさと行かないと────自分の過去を思い出さないようにしつつ、僕は急いだ。
「……よし、ここだ、B17区」
最後に急いだお陰で、何とかB17区にはすぐに辿り着く。
パッと見た限り、全くと言って良い程に人がいない区画だった。
恐らく、コインロッカーを使いたい人の大部分がもっと手前のB15区やB16区のコインロッカーを利用するので、こんな端っこまで来る人は少ないのだろう。
もっと言うと、B17区は建物の行き止まりになっていて、そこから先に繋がる場所がない。
B18区は存在せず、B16区から歩かないと辿り着かない区画……行くだけでもかなり面倒な場所なのだ。
それが分かっていて、弁護士も晶子さんをここに隠したのかもしれない。
「でも流石に、メインの通路にはいないな……ええと、晶子さーん?」
人がいないのを良いことに、大声で呼びかけてみる。
駅の端っこであるために線路から離れているこの場所は、構内の割にかなり静かだ。
だから、呼びかければ返事があって良さそう物なのだが────返答は無かった。
──暇過ぎて、ヘッドホンで音楽でも聴いてるのかな?或いは待ち疲れて寝ちゃったとか?
訝しみながらも、僕はB17区をしらみつぶしに探していくことにする。
曲がり角を見つける度に、その奥まで進んで晶子さんの影を探したのだ。
しかし順繰りに歩いてみても、何も発見は無かった。
──もしかして、この場所すら記者に見つかって、晶子さんが単独で車椅子を動かしてどこかに逃げたとか?不味いな、そうなったら探すのは大変だぞ……。
その場合はどうしようか、と思いながら僕は最後の小道を曲がってみる。
これ以降は完全に行き止まりになってしまうので、隠れられる場所としてはここが最後だ。
どうかここにいてくれ────そう思って足を踏み出した僕は、遂に念願の物を見つけた。
晶子さんが使っていたであろう、車椅子。
それが曲がった先に置いてあるのを発見したのである。
おお、と一瞬だけ僕は喜んだ。
だが次の瞬間、疑問を抱くことになる。
というのもその車椅子は、誰も載せていなかった。
車椅子だけが単体で放置されていて、晶子さん本人はどこにもいなかったのだ。
──車椅子を置いて、一人でどこかに行った?いやでも……。
晶子さんは決して、全く歩けないわけではない。
ただ本人の話では、つかまり立ちのような形でしか移動できないとのことだった。
そして昨日まで留置場暮らしをしていた以上、足の機能が悪くなることはあれ、良くなることはないだろう。
──つまり、車椅子を置いてどこかに行くなんて普通はできない。そうなると、誰かに連れ去られたとか……或いは。
……視界が狭まる。
何か黒い物に、自分の視野が犯されているかのような感覚に襲われる。
その感覚を抱いた直後、僕は周囲のコインロッカーを次々と開け始めていた。
何か訳の分からない、しかし切実な衝動に身を任せて。
車椅子の近くにあるコインロッカーを、片っ端から開けていく。
B17区の中でも更に端っこにあるせいか、周囲のコインロッカーは誰も使っておらず、扉を引くだけで全て開けることができた。
一切の抵抗なく、僕は次々とコインロッカーを開放していく。
近くに置かれているコインロッカーには、二つのタイプがあった。
手荷物を入れるための小さな物(大きめの電子レンジくらいのサイズ)と、キャリーケースなどを収めるための縦に細長いタイプ(高さ一・五メートルくらいのサイズ)。
何かを察していた僕は、細長い方のコインロッカーを開けまくる。
僕の努力は、やがて実った。
あっという間に、目的の物を見つけたのだ。
見つけてしまったのだ。
車椅子の右隣にあるコインロッカー。
細長いタイプが並んでいる中の、三列目。
それを開けた瞬間、ずずっとこちらの鼻に入り込むような異臭があった。
何とも血生臭いその臭いを不快に感じて、僕は眉を顰める。
同時に、「やっぱり」と思った。
驚きや恐怖ではなく、ある種の納得感を抱く。
羽生晶子がそこで死んでいるという事実を、僕は静かに確認した。
……かつて僕は、彼女のことを鉱物に例えた。
水晶に命を与えたかのような、生気を感じさせない様子をした人だったから。
そうだ、彼女は生物ではなく、静物に似ていた。
そういう意味では、彼女への第一印象は現在、更に強まっていると言えるだろう。
だって、動かないのだから。
白いワンピースの胸元からナイフを生やした彼女は、生きていた時よりも更に彫刻めいた姿に変わっていた。
ただし、美しさに関しては生前よりも劣っている。
体を無理に折り曲げ、細い手足を有り得ない角度にしてコインロッカーに押し込まれた姿は、どう贔屓目に見ても美しいとは言えない。
無様に伸ばされた手足は、まるで外に出たがっているように前方にだらんと垂れ下がっていた。
その無様さが、あんまりにも耐えがたかったからだろうか?
死体を見つけた僕は、悲鳴を上げるでも、通報するでもなく。
何故だか、彼女の手を掴んで引き上げていた。
本来、死体を発見した者はそれを不用意に弄ってはいけない。
旧時代でも、探偵狂時代でも、これは常識だ。
香宮のように死法学を専攻にしているのならともかく、僕のように死体への知識が浅い者は触れぬが吉である……重要な証拠品を潰してしまう恐れがあるし、死体を損壊する可能性もあるのだから。
しかしどういう訳か、僕はそんな行動をした。
彼女を外に出してあげたかった。
コインロッカーの中に、一秒たりともいて欲しくなかった。
僕が生まれた場所で、彼女に死んで欲しくなかったのだ。
その思いが通じた訳ではないだろうけど、僕は片手であっさりと彼女の体を引き上げる。
留置場暮らしだったのと、かつて「鳥籠娘」だったせいか、晶子さんの死体は驚く程に軽かった。
あっさりとコインロッカーから出てきた彼女は、僕の胸にすっぽりと収まる。
彼女の胸に刺さったナイフが邪魔になって、力一杯に抱き締めるようなことはできなかった。
彼女の死体が、僕を支えにしてのしかかるような形になる。
コインロッカー内で冷めきってしまった彼女の体は、柔らかく僕の胸元を包んでくれた。
しかし当然、その口元が動くことはない。
彼女は、死んでいるのだから。
「…………ぁ」
手紙の内容を思い出す。
生きるべきか死ぬべきかと、この時代の殺人犯にしては珍しい悩みを真面目に考えていた彼女。
その返事をする前に、彼女は死んでしまった。
「あ……ぁぁぁっ……」
お屋敷で過ごした一夜。
雨音に遮られた会話。
僕と話せなくなることを、本当に残念がっていた様子。
終夜が推理を披露した時の表情。
警察の逮捕された瞬間の、安心したかのような顔。
どこか晴れやかにお屋敷から消えた、彼女の穏やかな笑み。
「……あ…あああああぁ」
初めて留置場から手紙が届いた時の、新鮮な驚き。
彼女のために図書館に出向いたこと。
今日のために髪を切ろうとした時の、何だか後ろめたい気持ち。
「…………────っ!」
限界だった。
直後、僕は彼女の死体を抱えたまま何かを叫ぶ。
無数に立ち並ぶコインロッカーは僕の声を伝播させ、まるでさざ波のようにビリビリと扉を震わせていた。




