沈黙の是非
「その推理が正しいのなら……三堂さんの見た、『ショックを受けて碌に動かなくなった涼風さん』の姿は、あくまで演技ってことになるのかな。呆然自失としている様にアピールしつつ、実は彼女は凶器を回収していた。そして他の生徒が駆け付けてきたタイミングを見計らって自然と自室とかに戻って、実行犯の佐川先輩の代わりに凶器を隠してあげた」
内心の動揺を隠しつつ、僕は香宮の推理を更に発展させる。
三堂さんの証言を信じつつ、涼風さんを共犯者と考えるのなら、こういう流れになるのだ。
勿論、三堂さんの証言を嘘だと考えることもできるのだけど、警察に秒で解放された彼女よりも、未だに帰ってこない涼風さんを疑うのは当然と言えた。
「……勿論、これは不合理な仮説よ。被害者に酷い扱いをされていたらしい同室者とは違って、涼風さんには殺人の共犯になる理由がないもの。あくまで、こう考えたら警察が未だに凶器を見つけていないことに説明がつく、というだけの考えだから」
言い訳をするように、香宮は早口で続ける。
推理に自信がなくて言い訳しているのではなく、僕のためにそう言ってくれているのだとすぐに分かった。
前回の事件の終盤において、僕と涼風さんの間に起きたアレコレは香宮にも伝わっている────ここで涼風さんを殺人犯として疑うということへの躊躇いを、彼女も知っているのだ。
しかし今の時代、いかなる人間も犯人として疑わなくてはならないというのもまた事実。
それが死体を見るたびに倒れていた少女であろうと、例外はない。
僕は自分の中の戸惑いに気が付かないフリをして、香宮の推理に乗っかった。
「でもそうなると、涼風さんが凶器を隠せた場所は自室か、せいぜい寮の設備のどこかしかない。彼女だって佐川先輩と同様、死体発見直後から警察の取り調べを受け続けているんだから、そこ以外には隠せないはずだ。だから警察が隣室を調べれば、それで解決するかもしれないけど……」
「……それも正直、楽観的な推理に思えるけどね、私としては。さっき言ってた、下水タンクを漁らせたらいつかは解決するだろう、みたいな期待とそう変わらないわ」
僕が推理をまとめ直すと、話を打ち切るように終夜が口を挟んだ。
どうも彼女としては、ここまでの凶器消失の推理は納得のいかないものばかりだったらしい。
専攻が「殺人」の探偵として、彼女は真剣そのものな顔で僕たちを見ていた。
「何にせよ、涼風本人の証言もないままで推理を積み上げたところで、これ以上は難しいわ……無理に続けると、欠席裁判になってしまう。本人の弁明が無いんだから、いくらでも彼女を疑えるもの」
「まあ、それはそうだけど……でも終夜、それならどうする?」
「とりあえず、まだ聞けていない情報の精査ね。私はまず、警備会社の方を当たってみるわ。個人的に、ちょっと気になることもあるし」
そう言うや否や、終夜は推理会議を自ら打ち切って立ち上がる。
流石に驚いて止めようとしたのだが、時すでに遅し。
あっという間に彼女は僕たちから遠ざかってしまい、豆粒のようになった背中が見えるだけになってしまった。
──無理矢理、この話を中断したな……。
彼女の背中を見てようやく、僕は彼女が「涼風蜜姫共犯説」を検討させないために、ああやって急に駆け出したらしいことを察した。
欠席裁判では真相を掴めないというのも嘘ではないのだろうが────僕にこれ以上、この話をしたくなかったのだろうか。
気遣われていることを察して、僕は何とも言えない恥ずかしさを抱く。
「この前から思っていたけどさ……別にそんな、僕に気を遣わなくていいよ、二人とも。二人が優しいのはこの一ヶ月くらいでよく知っているけど、僕のために推理を歪めるようなことをしたら、本末転倒なんだから」
いたたまれなさの余り、口から飛び出た言葉だ。
取り残された香宮に、直接言っておく。
気遣われている立場で偉そうな発言をしているように聞こえたかもしれないが、本心だった。
そもそも、推理とは気遣いと対極にある行為だ。
探偵はいつだって、犯人や被害者や遺族のことを気遣わずに推理を進め、たった一つの真相に辿り着く。
犯人や関係者に遠慮しながら推理を進める探偵は、絶対に真相を掴めないだろう。
僕は一応、この街で探偵になろうとしている学生だ。
そんな僕が、「知り合った女の子を傷つけたことを気にしているから、彼女が共犯者かもしれないと考えるのが辛い」なんて情けない態度を示しているのだから、本来なら終夜たちは怒らなければならない。
厳しく叱るくらいで丁度良いんじゃないだろうか────そんなことを口にしようとしたところで。
「……っ」
急に唇に触れる物があって、僕は発言を中断させられた。
目の前では、香宮がちょっと背伸びをして僕の口元に手を伸ばしている。
彼女の細い人差し指が、僕の唇にピトッと押し当てられている……そう気が付くのに、数秒かかった。
「……そこまで、九城君。貴方のそういう、的確な自己分析ができるところは素敵だと思うけれど……今から言おうとしている言葉は自己分析ではないわ。ただの自虐」
あの日から思っていたけれど、貴方に自虐は似合わない。
さらりとそう続けて、彼女は僕の口から手を離す。
「……それに、私たちが気遣いをしているというのも誤解。私たちは別に、貴方に配慮して有力な仮説を考えないようにしている訳じゃない。ただ単に、役割分担をしようとしているだけよ」
「役割分担?」
「ええ。涼風さんが犯人の一味である可能性は、当然考えなくてはならない。でも、貴方がそればかりを推理する必要は無いわ。折角三人いるのだから、私や雫に任せれば良いじゃない。そこを役割分担したところで、探偵失格とはならない……違う?そもそもこの仮説、私が言い出したことなのだから」
「……」
──僕が「涼風蜜姫共犯説」を考えたくないのなら、別に考えなくていいってことかな……そこは代わりに、終夜や香宮が考えてくれるから。
論理的と言えば、論理的な流れだった。
現実問題、前回の事件で涼風さんに罪悪感を抱える僕がこの仮説を深めようとしたところで、迷走するのがオチだろう。
元より僕たちは全員専攻が違うのだから、より冷静に推理できるだろう彼女たちにそこは任せようというのは、香宮らしいド正論だった。
「でも……それはそれで、終夜や香宮にばかり負担をかけて悪い気もするんだけど」
「そこは気に病まなくていいわ。単に、私たちが自発的にやった役割分担だもの。こんなところで、貴方が不要な傷を負う必要はない。誰しもが傷つきやすいこんな時代だけど、だからと言って無制限に傷ついて良いはずがないわ。話に聞いた三堂さんではないけれど……私たちも同居人の暗い顔なんて、好き好んで見たくないから」
今回の被害者はそういうタイプではなかったようだけど、と香宮は言葉を続ける。
それを聞いて、僕は香宮が実にシンプルな理由で動いていることをやっと理解した。
過剰に気を遣っているとか、極端に同情しているとかではなく……本当に同居人として、気にかけてくれていたのか。
──……変な感覚がする。
自然、自分の胸を撫でる。
さっきまでとは違う恥ずかしさが、そこから湧いている気がして。
その動きを誤魔化すように、軽口を叩いた。
「……今の僕って、そんなに暗い顔をしてたかな?香宮から見て」
「暗いわね。私が試薬を落として貴方のことを疑っていた時すら、もうちょっと明るかったわ」
出会った時のエピソードを振り返られて、思わず苦笑を返す。
大家から直々に泥棒と疑われ、終夜と共に途方に暮れていた時よりも、今の僕は暗いのか。
それは確かに、見ていられないかもしれない。
「まあ要するに、貴方ができない推理はこちらでしておくから、貴方は貴方の得意分野を考えて欲しい。私が言いたいのは、それだけよ」
「得意分野か……でもそうなると、『日常の謎』関連になっちゃうけど。いつもみたいに、落とし物がどうのこうのみたいな」
この街に来てからこちら、僕は落とし物関連の謎解きばかりしている。
財布が空から落ちてきたことから始まり、試薬消失もオチは落とし物だったし、図書館でもトイレに落とした物について考えていた。
果たして殺人事件の中で、その推理は役に立つだろうか────そう聞いてみると、香宮は実に奇妙な反応を示した。
「そうね、落とし物……落とし物?」
不意に真剣な顔になった香宮は、自ら口元を手で覆った。
自分の喉から声が零れることすら、邪魔に思っているかのように。
そのまま、一切のノイズを受け入れない様子で考え続ける。
「ど、どうかした、香宮?」
「いえ、ちょっと……九城君の言葉で、思いついたことがあって。もしかすると……」
そう呟きながら、香宮は黒いスマホを取り出して何やら検索し始める。
何だ何だと思ってそれを見守っていると、やがて状況に変化が訪れた。
香宮が説明をしてくれたのではない────僕のスマホが、また震え出したのである。
──な、何だ?何か、矢継ぎ早に色々起きてるぞ?
内心結構動揺しつつ、僕はとりあえずスマホの対応を優先する。
画面をパッと見てみると、案の定というべきか、表示されていたのはアキラの名前だった。
別れ際に約束していた続報とやらが、早速来たのか。
「はい、もしもし……アキラ、何か進展あった?」
どんな情報が来るかと妙に緊張しつつ、僕は通話を開始。
するとその途端、スマホからは大音量でアキラの叫び声が飛んできた。
『速報っす、兄貴!涼風さんが……今、取り調べから解放されたみたいっす!長時間取り調べされていたメンツでも一旦解放する方針になったみたいで、今、女子寮の前は野次馬探偵が集まって大騒動に……!』
それは余りの爆音だったために、隣にいた香宮にすら聞こえたのだろう。
思わず反応を伺った僕の前で、一旦思考を打ち切ってくれたらしい彼女は僅かに驚いた顔になり。
それから、僕の前でしっかりと頷いた。
「……行ってあげて。さっきも言ったように、他の細かい推理は私たちの方でしておくから」
華奢な体には似合わない程の、力強い言葉。
つくづく、僕の同居人たちは頼り甲斐があり過ぎる。
それを再確認してから、僕は走った。
女子寮の前は、アキラの言う通りに大量の人間でごった返していた。
事件の話が広まったのか、朝の時点では来ていなかった生徒まで現場に駆け付け始めたらしい。
そのタイミングで重要関係者が警察から解放されたので、集まった野次馬探偵たちはライブで熱狂するファンみたいになっていた。
簡潔に言えば、非常にうるさい。
偶々女子寮から出てきた無関係の生徒すら、関係者と勘違いされてもみくちゃにされていたけれど────結果から言えば、僕は涼風さんと会うことに成功した。
群衆を突破できるだけの体力がないので、正面の出入口を避けて横の方から女子寮に近づくと、寮に併設されている寮監の部屋(僕が宅配便を受け取りに来たプレハブ小屋)の裏に出た。
するとその裏道を駆け抜けるようにして、パジャマみたいな格好をした涼風さんがひょっこり出てきたのである。
長時間の取り調べで疲弊した彼女が、野次馬探偵に対応できるはずもなく、騒ぎに紛れて逃げ出したらしいことは一目で分かった。
ひょっとすると、警察の方も流石に配慮して、逃げやすい通用口から出してあげたのかもしれない。
何にせよ、僕としては幸運だった。
幸運に遭遇したのであれば、真っ先に掴むのが鉄則。
僕は裏道で人に出くわして面食らっている涼風さんに構わず、彼女を即座に確保。
そのまま、喧騒の陰で脱出を図った。
「ここなら……しばらくは誰も来ないと思う。まだ聞いていないかもしれないけど、今日は臨時休校になってるから」
かくして、十数分後。
パジャマ姿の彼女を引き連れた僕は、校舎内の一室、授業の際に使う階段教室に逃げ込んでいた。
本来は授業をする予定だったので鍵が開いており、なおかつ休校となった影響で誰も人がいなかったので、僕たちとしては使いやすかったのだ。
「まあ、空調はついてないけど……寒くはない?」
「い、いえ……大丈夫です。見かけよりは生地が厚いので」
てんやわんやでここまで連れてこられ、ずっと無言だった涼風さんはそこで初めて返事をする。
メガネの位置を調整し、パジャマの襟を摘まんで困ったように笑う姿は、いつも通りのそれだった。
……優月先生の事件後からのいつも通り、ではあるのだけど。
「ええと、どうしてここに連れてきてくれたのか、まだ聞いてなかったですけど……その、私から事件の話を聞きたいからでしょうか?」
「あー……まあ、そうだね。取り調べから長い間帰ってこなかったから、心配になって。警察から難癖を付けられているんじゃないかって思ってたから」
立ち話のままで軽く説明してみると、涼風さんはバッと目を見開く。
そして、急に謝り始めた。
「そ、そんな心配させてしまっていたんですか!?……す、すみません。でも、全然違います!私の取り調べが長かったのは、全く別の理由ですから」
慌てた様子でそんなことを言われて、僕はかなり意外に思う。
何だか、予想していた反応と全く違う。
その疑問を解消するべく、率直に問いかけてみた。
「別の理由って……どんな理由?」
「単純です。私、警察の取り調べに完全に黙秘していましたから……刑事さんも困って、中々帰す許可を出せなかったんです」
本当に、悪いことをしてしまいました。
そんなことを言って、彼女はしゅんとしてしまうのだった。




