やり残し
その宅配便が届いたという連絡がされたのは、アキラと知り合ってすぐの頃だった。
今日の講義が終わり、さあ帰ろうかという時。
講義室から出ていこうとしたら、何故か廊下からアキラがひょいっとやってきたのである。
「兄貴!講義終わったのなら、今、ちょっと良いっすか?」
「アキラ?……良いけど、何?」
彼に学校内で話しかけられるのは初めてだったので、僕は驚いて足を止める。
かつてはバス賃を巡って少々ゴタゴタしたのだけど、元々の性格もあってか、アキラは変わらない様子で話しかけてきた。
それに引きずられるように、僕たちは特に遠慮もなく話を続ける。
「いやあ、実は今朝出る時に、学生寮の寮監さんから伝言を頼まれたんすよ。兄貴宛ての宅配便が学生寮に届いているから、引き取りに来るようにって」
「……宅配便?」
「そうっす。自分もよく知らないっすけど、ちょっと前に『外』から届いたって……兄貴の父親から送られてきた物って言ってたっすけど」
──義父さんからの宅配便って……ああ、そっか。なるほど。
しばし話を飲み込めないでいたが、そこでようやく何が起きているかを察する。
分かってしまえば、簡単な話だった。
まず義父さんが、四月以降に僕に何かを送ろうとしたのだろう。
配送物の正体は知らないが、とにかく「外」から幻葬市に宅配を頼んだ。
その時、彼は届け先として幻葬高校学生寮の住所を書いてしまったのだ。
僕はこれまで──喧嘩別れしたこともあって──義父さんに香宮邸で暮らすようになったことを報告していない。
彼は未だに、僕は学生寮に住んでいるものだと思っているのだ。
だから自然と、学生寮宛てにしてしまった。
しかし学生寮の寮監としては、そんな物を送られても困る。
そんな生徒、寮内にいないのだから。
そこで本来なら僕と同室であったはずのアキラに声をかけてみると、彼が僕のことを知っていたので、これ幸いと伝言を頼んだという流れらしい。
「ゴメン、事情は分かった……すぐに引き取りに行くよ。ええと、学生寮のどこに行けば良い?」
「何か、寮監の住む別棟に来いとか言ってたっすね。別棟と言いつつ、ただのプレハブ小屋っすけど……学生寮に届いた物は全て、一度寮監のチェックを受ける規則っすから」
「それで、僕の荷物も寮監さんのところでストックされてるんだね……どこだったっけ、別棟って」
「自分、案内するっすよ!どうせ、自分も今から学生寮に帰るところだったっすから」
そう告げるや否や、スタスタとアキラは僕を先導し始める。
悪いなと思いながらも、僕は彼について行った。
学生寮付近の地理に詳しくない僕としては、彼の案内は非常に助かったのである。
ドヤドヤと動き始める生徒たちの流れに乗って、僕たちは馬鹿に広い校内を歩き続ける。
黙って歩くのも変なので、自然と雑談が始まった。
「……そう言えばアキラ、僕の連絡先は知ってたっけ?」
「いやあ、まだ交換してないっすね。だから今日も、こうして直に会いに来たんすよ。専攻が専攻なんで、やろうと思ったら調べられるっすけど、いくら何でもそんなことしたらキモイっすから」
さらっと怖いことを言いつつ、スマホを取り出したアキラは「兄貴としては、教えても良い感じっすか?」と聞いてくる。
わざわざワンクッション置くのが、彼らしい気遣いだった。
治安が悪化したこの時代、連絡先の交換は旧時代よりも大きな意味を持つ。
ホイホイ他人に教えていると、それを悪用される可能性が高いからだ。
特に専攻が「情報」であるアキラにそんなことを教えると、何らかの理由で僕が悪人に命を狙われた時なんかは非常に不味い。
その悪人相手に、アキラが僕の情報を売る可能性が出てくるからだ。
この辺りのリスクを自認しているからこそ、アキラも一々確認を取っているのだろう。
──まあでも、別にアキラには教えても良いだろうな……心情的にも、実益的にも。
そう思って、僕はいそいそとスマホを取り出す。
他者を信頼してはいけないこのご時世だが、図書館での一件を見る分には、彼は誰にでも僕の連絡先を売るような人には見えない。
それに以前言った通り、専攻が「情報」である人物の知り合いになっておくのは、非常に有益な行為だ……ここで連絡先を教えない方が、長期的には不利益があるだろう。
「良いよ、今日みたいにわざわざ講義室に来てもらうのも悪いし、これからは普通にスマホで連絡をしよう」
そう言いながら、僕はスマホを操作して連絡用のアプリを起動する。
このアプリを使うと、自分のIDやら何やらを示したQRコードが出せるのだ。
それをアキラのスマホで読み込んでもらえば、連絡先交換は終了となる。
──でも、どうやって出すんだったかな。終夜や香宮相手には、賃貸契約書に書いた連絡先を手打ちで登録してもらったから……このアプリを使うのは、ちょっと久しぶりだ。
そこまで機械に強いタイプではないこともあって、僕は微妙に操作に苦戦してしまい、色々とアプリ内のアイコンを押しまくる。
すると触る場所を間違ったのか、自分の情報ではなく、アプリに内包された電話帳が表示されてしまった。
その一番上────例の事件の際に登録していた、「涼風蜜姫」の連絡先が出てきたのを見て、僕の動きは少し止まる。
「……アプリ操作、苦戦している感じっすか?」
僕の動きが止まって心配になったのか、ひょいっとアキラが僕のスマホを覗き込む。
当然ながら彼にも涼風さんの名前が目に入ったようで、アキラは「あー、なるほど」と言いたげな顔になった。
専攻のお陰か、流石に察しが良い。
「今日は来てなかったすね、彼女。確か、兄貴と殆ど同じのを選択してたはずっすけど、さっきの講義室にもいませんでしたし」
「ああ……ゴメン。変な空気にして。それよりも連絡先、ちゃんと交換しよう」
どこか同情的にアキラが呟くと同時に、僕は彼女の連絡先の表示を消して、QRコードを今度こそ呼び出す。
そしてようやく、互いに連絡先を交換したのだった。
────四月に起きた優月先生殺害事件、及び僕たちへの襲撃事件。
これらの推理が全て終わった時、僕は一つの真実を涼風さんに告げた。
本人は全く悪くないが、これらの事件の発端には彼女の行動があるのだと、そう教えた。
当然ながら、あの事実は彼女に大きな衝撃を与えたらしい。
次の日は学校に来なかったし、その次の日も来なくなってしまったくらいだ。
傷つけた負い目のある僕は何もできず、無人の隣席を見つめるばかりだった。
しかしそれでも、彼女はこの時代の人間だったのだろう。
真相を知って三日も経つと、一応は学校に来るようになった。
いくら何でも、入学して一ヶ月程度しか経っていないこの時期に休み続けるのは不味いと思ったのだろう……出席日数が足りなくならない程度には、彼女はポツポツと登校し始めた。
学校に来るようになってからの彼女は、傍目には大して変化のない様子に見えたはずだ。
講義中も休憩時間もずっと黙っているだけだが、元より多弁な性格ではなかったこともあって、そこまでの変化ではない。
必修授業のクラスメイトたちも、そんな彼女を柔らかく受け入れているようだった。
終夜と僕の予想通り、あの事件の真相は噂レベルとは言え学内でも広まっていたが、涼風さんに悪評が立つようなことは幸いにしてなかった。
流石に犯人の行動が突飛過ぎたこともあって、生徒たちの間では涼風さんへの同情の方が勝ったらしい。
クラスメイトたちからは、「入学早々怖い目に遭ったけど、もう元気が出て学校に来るようになった子」だと見られているようだった。
しかし当然ながら、僕はそこまで呑気な解釈はしていない。
なまじ隣の席にいるからこそ、分かってしまう。
学校に来てくれたからと言って、決して彼女が立ち直っている訳ではないことに。
彼女が学校に来るようになってから、僕は未だに一言も交わしていない。
「そう言えば兄貴、今の流れで思い出したことがあるんすけど、質問良いっすか?」
辿り着いた学生寮の門を超えつつ、涼風さんのことをぼんやりと考えていると、唐突にアキラが話題を変える。
慌ててこちらも意識を戻すと、「不躾に聞いて申し訳ないっすけど」と続けられた。
「確かあの事件の時、兄貴って犯人に襲撃されたんすよね?包丁持った奴に襲われて。その後に終夜さんが駆け付けたっすけど、最初の一撃は兄貴が受けたとか」
「まあ、その通りだよ。それがどうかした?」
「いや、不意打ちを食らいながらも、兄貴が怪我無しで切り抜けたのは凄いなと思って……もしかして兄貴って、凄い強いんすか?包丁持った犯人を追い払えるレベルで」
「いやいや……そんなんじゃないよ」
変な誤解をされそうになっていることを察して、僕は苦笑する。
襲撃事件の流れまで知っているのは凄いが、そのせいで妙なことになっている。
情報屋的なポジションであるアキラがこんな話をしているところからすると、例の事件の話には尾ひれがついて、僕は過大評価されているのかもしれない。
「義父さんから護身術は習ったけど……そんな、物凄く強くはなれなかった。護身用の武器を持っていれば、とりあえず安心して外出できるってくらいで。襲撃されても無傷で済んだのは、正直ラッキーパンチだと思う」
「そうっすかね?あの犯人はここの学生っすから、それなりに鍛えていたはず。そいつ相手にラッキーを起こせるのは、兄貴が元々強いからだろうって話になっているんすけど」
「オーバーだって。特に今は、その護身用の武器も碌に持ってなくて……」
そこまで言ったところで、僕は自分の台詞にハッとなる。
さっきから会話中に何かを思い出してばかりだが、本当に頭をよぎる概念があったのだから仕方がない。
この時ようやく、僕は義父さんが送ってきた物の正体を察したのだ。
「つまり……アンタの親が送ってきたのは、その武器だったってこと?」
「そうそう。この街に来る少し前にうっかり壊して、義父さんに修理と宅配を頼んでいたんだよ。もっと修理に時間がかかると思っていたから、最初はピンとこなかったんだけど、意外と早く直ったらしくて」
その日の夜、香宮邸のリビング。
いつも通り終夜と食事していた僕は、彼女への報告ついでに、学生寮にから引き取った物について解説していた。
もう食事自体は終わっていたこともあって、僕は腰に引っかけていたそれをすっと取り出す。
「これが、その送られてきた武器だ。特殊警棒って言うのかな」
「変に短いわね。二十センチくらいしかなくない?」
「いや、長さは……」
二十センチ弱の金属棒をしげしげと見つめる終夜の前で、僕はブンッと軽く警棒を振ってみる。
すると遠心力に従うように、カンカンカンッと音を立てて警棒の先端が延長された。
ロケットのように段を重ねた警棒は、あっという間に一メートル以上の長さに化けている。
「……こんな風に、伸ばしてから使うんだ。まあ、短いままでも使えるけど」
「ふーん……手つきが慣れてるわね、九城君。格好良く見えるわよ?」
「それはどうも。まあぶっちゃけた話、慣れてるって程に熟練した使い手でもないけどね」
僕が警棒術を本格的に習い出したのは、中学に入ってすぐの頃だ。
誕生日関連のことで精神的に参っていた僕を見かねた義父さんが、気分転換に体を動かそう、とか言って教えてきたのが始まりである。
つまり護身術のキャリアは三年弱であり、この時代の基準で言えばまだまだ初心者だった。
「この前の動きのキレを見る限り、間違いなく素手の終夜の方が強いと思うよ……寧ろ終夜は、どこでああ言った格闘術を学んだんだ?」
「あれはこう、お母様が小さい頃から鍛えてくれたから……でもやっぱり、アンタが武器を扱えるっていうのは良いことだわ。危険な事件に巻き込まれた時でも、ある程度は任せられそうだし」
「確かに。君としても、気遣う対象が減るのか」
この間の事件で、密かに僕と涼風さんを護衛していたという終夜の話を思い出す。
僕がそこそこは戦えるようになった今なら、彼女もああいう気遣いはしなくてもよくなるだろうか。
だとしたら確かに良いことだな……なんて考えたところで、戦い前提に思考を巡らせている自分たちを俯瞰して、僅かに苦笑する。
「……本当なら、幻葬市でこんなにも戦いの心配をしないといけないとは思っていなかったんだけどな。『外』よりは平和と聞いていたし」
「そうね、でも今は仕方ないわ。珍しく学内での殺人が起きてから、街の空気も変にピリついている。特にウチはほら、凪が殆ど戦えないから……警戒し過ぎるくらいで丁度良いわ」
「そっか、そっちもあったか……」
直接的に聞いたことは無かったが、やはり香宮は幻葬高校の学生には珍しく、殆ど戦闘能力がないらしい。
彼女の細い体格を見れば納得するしかないが、その状態で今の時代を生きるのは大変である。
終夜が彼女の世話を焼くのは、香宮を守るためでもあるのだろうか。
「とにかく、アンタの武器も届いたことだし、警戒心強めで行きましょう。学内での殺人が起きた今、授業時間すら安全ではないと証明されちゃったんだから」
最後にそうまとめて、終夜は食器を片付け始める。
一つ頷いてから警棒をしまった僕は、彼女のそれを手伝うべく腕をまくった。
彼女の言葉が正しかったと示されたのは、それからすぐのことだった。
この次の日、僕はアキラの電話によって叩き起こされることになる。
再び、学内で殺人事件が起きたために。




