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世界が推理小説になったから  作者: 塚山 凍
Period6:二つに一つ

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35/71

「名探偵」の名の下に

 名探偵。

 この三文字を見て、貴方は誰のことを連想するだろうか。


 旧時代であれば、きっと色とりどりの答えが出たに違いない。

 ホームズやポアロの名前を出す人もいれば、金田一や明智と答える人もいただろう。

 古典の名作に限らず、もっと現代の探偵を持ち出す人もいたはずだ。


 或いは、フィクションではなく現実の人の名前を出す人も存在しただろうか。

 ウチの部活の部長の推理力は凄いとか、親戚の誰それが探偵のように賢いだとか。

 そう言ったある種の比喩として、かつて「名探偵」の名前は乱用されていた。


 だからきっと、旧時代における「名探偵」とは、たった一人を指す言葉ではなく。

 多くの人が、好きな探偵のことを自由にそう呼んでいたのだろう。


 しかし、それも今となっては昔の話。

 旧時代が終焉を迎え、探偵狂時代に至った現代日本では、この質問に対する答えはたった一つに決められている。


 僕だって、「『名探偵』は誰か?」なんて聞かれたら即答できる。

 何を当たり前のことを聞いているんだ、と驚くかもしれない。


 いやいや、「名探偵」は誰かなんて────そんなの、幻葬高校理事長・御門尊臣(みかどたかおみ)に決まっているじゃないか。

 間髪入れずに、そう答えることだろう。




 御門尊臣の名前が大きく取り上げられるようになったのは、旧時代の終盤。

 彼がまだ二十歳そこそこの若者だった、昭和五十年代からのことだ。

 もっとも、これは探偵としての名声では無かったが。


 当時の彼は、著名な投資家として名を知られていた。

 不動産投資を少しでも齧っている人であれば、誰しもが名前を聞くレベルの人だったらしい。

 彼が売買に携わった土地やマンションは必ず値上がりするとして、エコノミストが一挙手一投足に注目していたとも言われている。


 この表現は、誇張でも何でもない。

 後にバブルと呼ばれる好景気へ向かっていた日本の中で、元々資産家の出身だった彼は経済の流れを掴み、瞬く間に資産を数百倍に増やしていた。

 もし法壊事件が起こらなかったとしても、日本有数の資産家として歴史に名を残していただろう────そう評されるくらい、彼の才覚は突出していた。


 そんな彼が、唐突に探偵事務所を自費で立ち上げたのは、殆ど道楽のような物だったらしい。

 昔から推理小説が好きで、探偵事務所の所長という立場に憧れていた。

 不動産投資の一環で手に入れたビルを遊ばせておくのも勿体ないから、趣味も兼ねて探偵として活動してみるか……動機なんて、その程度だった。


 言葉を選ばずに言えば、金持ちのお遊びだったのだ。

 そろそろ三十歳になろうかという投資家の「探偵ごっこ」のために、御門探偵事務所は立ち上げられた。

 車や無線、盗聴器なども揃えたが、それらの出費は節税としての意味の方が大きかった、と後に彼本人が自伝でぶっちゃけている。


 しかし彼が偉いのは、設立だけで満足しなかったことだ。

 流石に小道具だけ買って放置するのもアレだと思ったのか、地道に探偵としての仕事をこなし始めた。

 探偵としての彼のキャリアは、ここからスタートする。


 元々の得意ジャンルもあってか、仕事は経済関係の物に偏っていたらしい。

 借金を返さずに夜逃げした社長を探してくれ、あの会社の赤字の額は分からないか、政治家の資金に不透明なところがある……そんな依頼をこなして、信用を積み上げていった。

 探偵狂時代の言い方に従えば、専攻が「経済」の探偵として活躍したわけだ。


 元々、直感や天運に任せて投資をするのではなく、細かな情報を精査して金の流れを掴む人物だった。

 情報収集のための人脈作りも欠かさず行うなど、地道な努力も苦にしないタイプ。

 そのお陰か、彼は瞬く間に探偵としても名前を知られていった。


 法壊事件の発端となった、死刑囚の冤罪に関する事件についても、財界からのタレこみという形で知ったという噂だ。

 あの事件は闇が深く、警察上層部や検察、法務大臣までもが関わった大きな不祥事だった。

 仮に真相をマスコミに公表しても、このままでは犯人たちの権力によって揉み消されてしまう……真相を知る者たちは、そんな懸念をしていたそうだ。


 しかし、御門尊臣であれば話は違う。

 フリーの投資家として名前が知られ、数多の人物に強力なコネを持ち、しかも探偵として確かな能力を持つ稀有な人物。

 そんな彼を頼って、事件解決の依頼が持ち込まれたのだ。


 そこからの活躍は、僕たちの時代には教科書に載っている話だ。

 大きな混乱を招きながらも、確かに彼は元凶を討つことに成功した。

 不祥事に関わっていた人間は全員、暗い監獄の中で余生を過ごすことになった。


 無論、一連の対応には批判も集まった。

 結果論ではあるが、「彼が告発なんてしたから日本の治安が悪化したんだ」、「全てあの男のせいだ」、「公表するにしてももっと穏便なやり方は無かったのか」……そんな批判が彼を包んだ。

 終いには、「実は全て、御門尊臣による自作自演なんじゃないか?警察の不祥事を捏造して、名を挙げようとしたんじゃないか?」という陰謀論まで囁かれた。


 ────しかし、それら全てを吹き飛ばしてしまうくらいに、彼の名声もまた高まっていて。

 その声の力で、彼は探偵を超えた。


 普通の探偵ではない、「名探偵」となったのだ。






 ────履修登録の申請終了から、さらに少し経った日。

 四月も下旬となり、何とかこの高校のシステムに慣れようとしてきた頃。

 幻葬高校の体育館に集められた僕らには、独特の緊張感が漂っていた。


 前方のステージには、大きな机とマイク、そして「理事長からのお言葉」と書かれた垂れ幕が飾られている。

 普段は他にも色々置かれているのだが、既に全て撤去されていた。

 老齢である名探偵がうっかり転ぶようなことがないように、教師陣が配慮したのだろう。


 ──確か、名探偵は今年で七十八歳……本来なら、理事長職を続けるのも難しいはずの年齢だ。だから、入学式で挨拶が出来なかったんだし。


 待っている間に、何となくこの「理事長挨拶」の経緯を振り返る。

 本来ならこのイベントは、入学式の中で行われるはずだった。

 入学式のプログラムの一環として、僕たちはこの学校の理事長────名探偵から、入学を祝う言葉を貰う予定だったのだ。


 名探偵が新入生相手に講演をするのは、幻葬高校の恒例行事であり、楽しみにしている生徒も多かったと聞く。

 何しろ、日本中の探偵から尊敬を集める彼の姿を、直に見ることができるのだ。

 例えるなら、熱心な信者の前に神様が直接降臨するような物で、興奮するなという方が無理があった。


 しかし残念なことに、体調面の問題から名探偵は入学式への出席をキャンセル(わざわざ入学式よりも前に連絡が来た)。

 仕方なく、僕たちは「ごく普通の入学式」を体験したという流れになる。


 今日のこれは、その穴埋めだった。

 名探偵の体調が改善したために、今日になって再び、体育館で講演をしてくれることになったのである。

 だからこそ、こうして全校生徒が体育館に集まったのだった。


 必修授業の全てが中止になり、体育館に集合してから十五分経つ。

 まだ来ないのかな、と座ったままの僕たちが不安になったところで────ステージの袖に動きがあった。


 何かをボソボソと相談するような声の後、ひょいっと、背の高い老人が壇上に姿を見せる。

 着古したスーツと、色あせたネクタイを身に着けた彼は、散歩でもしているかのようなノリでステージの中央にまで進んだ。

 彼が手に持つ杖が、静まり返った体育館にコツコツと音を響かせる。


 やがてマイクに向き直った彼は、その具合を確かめるようにゴンゴン、とマイクを叩いた。

 そして少しだけ生徒を見た後、ふっと笑ってから一礼。

 頭を上げた時には、もう話し始めていた。


『今年度の新入生の皆さん、初めまして……二年生、三年生の諸君はお久しぶり。どうも、幻葬高校理事長の御門尊臣です。いやあ、入学式の時はすまなかったね。ちょっと風邪をこじらせてしまって。ゴメンゴメン』


 飄々とした話しぶりに、一年生の多くが呆気にとられたように口を開ける。

 無論、僕も同じだった。

 あれ、名探偵ってこんな感じの人なんだ、と率直に驚く。


 ──若い時はマスコミの前にも結構出ていたけど、六十を過ぎてからは幻葬市の外にあまり出てこなくなって、最近の様子は「外」からは分からなかったから……。


 それでも、テレビでよく見る若い頃の記録映像では、もうちょっと勇敢な感じの人だったのだけど。

 どうやら、歳を取って大分丸くなっていたらしい。

 随分フランクな様子で、彼は話を続けた。


『いやあ、ぶっちゃけた話、この挨拶も、風邪ひきついでにサボろうかと思ったんだがね。校長の方から生徒たちが楽しみにしている、と頼まれて……いやはや、君たち、もっと他に楽しみはないのかね?流石にもう、私のような老いぼれの言葉を楽しみにしなくても良いと思うんだが』


 困ったもんだ、と言いたげに名探偵は腕を組む。

 勿論、僕たちが返答することはできないので、会場はそれなりに気まずい雰囲気になった。

 理事長挨拶の序盤で、こんな挨拶は不要だなんて言われても、対応に困る。


『それでもまあ、来た以上はやらないといけないから何か話すよ、五分くらいだが……ええと、そうだな、何を話すか』


 話の内容を決めていなかったのか、壇上で名探偵は更に困ったような顔を見せる。

 おいおい、まさかこのまま終わるんじゃないだろうな。

 聴衆が不安になったところで、『……アレで良いか』という呟きをマイクが拾った。


『えー、新入生たちに、改めて思い出して欲しいんだが……こんな学校に来たということは、恐らく君たちにはそれなりの動機という物があったと思う。歴史に名を残す探偵になりたい、この日本を立て直したい、殺された家族の仇を討ちたい、シンプルに大金が欲しい。ああそれと、他の地域よりは安全な幻葬市に住みたいというのもあるかな?』


 入学式からある程度経ったとは言え、まだ忘れてはいないだろう。

 手を後ろに組みながら、名探偵はそう問いかける。


『無論、どんな動機で来たとしても構わない。入学試験に受かった以上、君たちはウチの学生としての資格を持つ。ここで学んだ末に、君たちはどんな存在になっても良いし、逆に何者になれずともそれで良い。好きにやったらいいんだ、君たちの人生なんだから……だが一つ、探偵の卵である以上は覚悟しておいてほしいことがある』


 そこで、名探偵は僅かに言葉を溜める。

 会場の静寂を味わうように。

 それから、「覚悟」の内容を教えてくれた。


『平たく言えば、二つの後悔を背負えるようになって欲しい、ということだ。探偵になった以上、絶対に生じてしまうであろう二つの後悔……想像がつくかな?』


 答えを期待するように、名探偵はマイクを会場に向ける。

 しかし、声を発する生徒はいなかった。

 残念そうに眉を下げてから、彼はさっさとその答えを告げる。


『二つの後悔というのは、実にシンプル。一つが、推理できなかったことへの後悔。そしてもう一つが……推理してしまったことへの後悔だ。探偵として生きたならば、君たちは遅かれ早かれ、この二つの後悔を絶対に味わうことになる』


 こればっかりはどうしようもないからな、と名探偵は呟く。

 どこか、悲し気な眼差しだった。


『少し解説すると……一つ目の方は、割と分かりやすい話だろう。場合によっては、ここに入学する前から味わった人も多いと思う。推理ができないという後悔。悔しさ、と言い換えても良いかな?』


 そう告げた瞬間、僕よりも前の方に座る終夜の肩がピクリと跳ねたのが分かった。

 覚えのある話だったのだろう。

 殺人事件は解けるが、「日常の謎」は苦手という終夜の弱点────名探偵が言うところの「推理できない後悔」を、何度も味わったに違いない。


『これから事件に関わっていけば、何度もこの後悔を味わうことになる。探偵が多すぎる時代だからね。頑張って謎を解こうとしたところで、別の探偵に先を越される。自分一人ではどうしても事件が解決できなくて、泣く泣く別の探偵を紹介する。そんな場面は何度もあるだろうし、その度に思ってしまうだろう。チクショウ、どうして解けないんだって』


 私も最初の頃はそうだった、と名探偵は遠くを見る。

 自分の過去を振り返るように。


『こちらの後悔は、まあ、努力して知識を増やすしかない。頑張っていけば、その内消える後悔だ。だが……二つ目の後悔に関しては、少々事情が異なる』


 そこでまた、名探偵は言葉を溜める。

 言いづらそうな様子だった。


『二つ目、すなわち推理してしまったことへの後悔……これは、一年生はピンと来ない人が多いと思う。しかし、二年生や三年生であれば少しは分かるんじゃないか?今までも、何度か思ったことだろう。ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と』


 彼の言葉通り、一年生全体の頭の上に「?」が浮かんだのが分かった。

 しかし、名探偵は講演を止めない。


『真実というのは、探偵にとって追い求める対象だ。だが同時に、真実の多くは、聞く側にとって不都合だったり、不快な印象を残したりするものでもある。恐らく、君たちはこれから何度も、依頼人から罵られるだろう。こんな話は聞きたくなかった、という風に。そして同時に、君たち自身も思うはずだ。こんな真相は知りたくなかったと』


 一息に言ってから、彼は目を閉じる。

 どこか疲れた雰囲気だった。


『こちらの後悔については、実は私も解決法を教えられない。というのも私自身、解決法を知らないからだ。推理できないことへの後悔は、推理力を高めていけば解決する。しかし推理してしまったことへの後悔は、推理力を高めても解決しない。寧ろ、悪化すると言っても良い。推理力が上がれば上がる程、それを知る機会は増えるから……結局、探偵本人が一人で苦しむしかないんだ。この歳まで探偵を続けてきたが、二つ目の後悔に対する上手い解決法だけは、分からないままだった』


 そこまで言ってから、彼はニコリと笑った。

 少しだけ、無理矢理感のある笑み。


『ここの集っている人たちは、皆若い。老いぼれた私とは違って、未来にいくらでも時間がある。だから何時か、君たちがこの二つ目の後悔の解決法すら身に着けることを……私にも分からなかったその手法を開発することを、心から期待している。それができた時には、きっと……君たちこそ、名探偵と呼ばれることになるだろう』


 ことん、とマイクが置かれた。

 名探偵が改まった様子で一礼する。


『よく覚えておいて欲しい。知らないということは罪深い。だが、知り過ぎるということは業が深い。このジレンマを解消するためにも……君たちの活躍を、理事長として心から祈っている』


 言いたいことだけ言うと、彼はスタスタとステージから去っていった。

 拍手が追い付いたのは、数秒後のこと。

 唐突に終わった話に面食らった新入生を残して、場の全員が義務のように拍手をし続けた。






「……名探偵、何か良いこと言ってたね。早口で、よく分からない部分もあったけど」


 理事長挨拶が終わり、各々が適当に教室に戻っていく中、僕は何となく終夜に話しかける。

 別に話し合いたいことも無かったのだけど、帰る途中でバッタリ出会えたので、無言で進むのも変だと思ったのだ。

 とりあえず直近の話題を振ると、何故か終夜は「ハンッ」と何かを小馬鹿にしたような笑いを零す。


「お祖父様、若い人に会うと必ず一度はあの話をするのよ。多分、去年や一昨年も同じようなことを話したはず。そう言う意味では、ちょっと手抜きした挨拶なんじゃない?」

「ふーん……それじゃあ、本当に事前に話を決めてなかったのか……」


 終夜の話を受けて、僕は反射的に相槌。

 だがすぐに、今の話に聞き捨てならない部分があることに気が付いた。


「……あれ、ちょっと待って、終夜」

「何?」

「いや、その……今、『お祖父様』って」


 そう言えば終夜の家について、今まであまり聞いていなかったな、と思いながらの質問。

 これを受けた彼女は、見覚えのある「言ってなかったっけ?」とでも言いたそうな表情になった。


「お祖父様はお祖父様よ。私、御門尊臣の孫だもの……より厳密に言うと、私の父の母が、名探偵の愛人だった。だから一応、御門家の親戚ってことになるわね。本家の人間ではないけれど」

「……え?」


 何でもないことのように語る終夜。

 彼女の顔を見つめながら、僕は久しぶりに絶句した。

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