番外編:例外
小さい頃、犬が苦手だった。
噛むからだ。
父親の知人が飼っていた犬にちょっかいを出して、反射的に噛まれてしまった時、大した傷も無いのに私は大泣きをした。
同じ時期、猫も苦手だった。
引っ掻くからだ。
野良猫を見つけた時、私は警戒した猫に掌を引っ掻かれて、これまた泣いた。
当然と言うべきか、人間も苦手だった。
意地悪するからだ。
保育園で泥団子を投げてきたり、髪を引っ張ってきたりする子たちが嫌で、私はよく拗ねて蹲っていた。
そして、虫の類はもっと苦手だった。
苦手どころか、嫌いだったと言っても良い。
うねうねしていて、ぞわぞわして、ビュンビュン飛んでくるあれらに平気で触れる人のことが信じられなかった。
確か、保育園に通っていた頃の話だったと思う。
園児たちを集めたイベントの一環で、「カブトムシ・クワガタムシふれあい大会」なるものが開かれた。
名前の通り、世界中のカブトムシやクワガタムシが教室の一画に展示され、それを自由に触って良いというイベントだった。
今思えば俗なイベントだけれど、園児たちは結構楽しんでいた記憶がある。
探偵狂時代になって以降、「子どもたちが雑木林で虫捕り」なんてことは、安全面から殆ど行われなくなっていた。
比較的治安が良いとされる幻葬市内でも、好んで行う人間はそうそういない。
特に私が通っていたのは、香宮家の一人娘が通っても恥ずかしくないとされた保育園……資産家の子どもばかりが通う、富裕層向けの場所だった。
園児たちは皆、「鳥籠娘」とはいかないまでも、大事に大事に育てられた恵まれた者たち。
森に入ったこともない子どもたちは、本当にそれまで、カブトムシやクワガタムシのことを図鑑でしか知らなかったのだ。
だからなのか、保育園で開かれた「カブトムシ・クワガタムシふれあい大会」は大盛況だった。
ワーワーキャーキャー言いながら、色んな子たちが初めて触るカブトムシやクワガタムシを愛でていた。
しかし当然ながら、私は楽しくなかった。
虫が嫌いだからだ。
カブトムシやクワガタムシすら触れない私は、教室の端っこの方でいじけていた気がする。
……そんな時だ。
カブトムシたちを収めた飼育箱の中に、ちょっとした変化を認めたのは。
とあるケースの中にいるカブトムシだけが、全く動いていないことに気が付いたのだ。
どれだけ揺すろうが、触ろうが、全く動かない。
当然、そのケースにはどの園児も寄り付かなかった。
全く動かないので、子どもの目には楽しくないのだ。
でも、私はそのカブトムシが何だか気になった。
だからてくてく歩いて、そのケースを掴んだ。
これなら触れる、という気がしたから。
私が虫を含む動物全般を苦手になったのは、勝手に動くからだ。
いきなり噛んだり飛んだりするから、怖くて嫌いになってしまった。
逆に言えば、全く動かない虫なら自分でも大丈夫なのでは────幼いながらに、そんな推理をしていた。
実際、この推理は的中した。
私はそのカブトムシに普通に触れたし、カブトムシも触られている間は一切動かなかった。
それをしげしげと眺めることで、ようやく、私はこのイベントを楽しむことに成功した。
当然のことながら、これには訳がある。
そのカブトムシは、既に死んでいた。
展示中に園児の誰かがうっかり殺してしまったのか、展示前に寿命か病気で死んだのかは分からないけれど────私はずっと、カブトムシの死骸を愛でていたのだ。
だとすると、不思議な話だ。
あのイベントは多分、「子どもに人気があるカブトムシやクワガタムシの生態を知ることで、生きている命の大切さを学ぶ」とか、そういう情操教育のために開かれたはず。
しかし私は、そんなお題目の逆を行った。
既に死んでいる命であれば、私でも安心して触れる。
そんなことを、確かに学んだ。
私が「死法学」を専攻するようになった切っ掛けは、もしかしたらあのイベントかもしれない。
最近、そんなことを思う。
もしもこんな時代でなければ、私のような子どもは随分と不気味がられていただろう。
特に、「カブトムシ・クワガタムシふれあい大会」を経験した後が酷かった。
外出する度に、虫の死骸や枯れた植物を拾ってきていたのだから。
流石に、生きている虫や犬猫を殺して死体にするようなことはしなかった。
旧時代的な倫理観もちゃんと持っていたから。
でも、既に死んだ命であれば嬉々として拾っていた。
小さな子が、自分の好きな物を延々と弄るというのはよくある話だと聞く。
強い刺激に慣れていないので、同じようなことばかりを繰り返すのだ。
だから幼児の行動を観察すると、同じアニメばかり見続けたり、同じ遊具でばかり何時間も遊び続けたりする。
私の場合、その対象は死体だった。
積み木でもお絵描きでもアニメでも遊具でもなく、死体を触るのが一番楽しかった。
何せ、死体は安全だ。
遊具で遊んでいると、思わぬ怪我をすることがある。
他の子と遊ぼうとすると、喧嘩になって傷つく恐れもある。
でも、死体相手ならそれがない。
抵抗しないし、反撃してこないし、怪我する心配もまずない。
探偵狂時代では滅多に見つからない、無害な存在なのだ。
他の子たちは、変だ、気持ち悪いとよく言ってきた。
家に帰ると、両親も似たようなことを言っていた。
でも、私は彼らが死体をそんなにも忌避する理由がよく分からなかった。
どうして、そこまで死体が怖いのだろう?
こんなにも無害で安全なのに、どうして避けるのだろう?
死体はそんな風に部屋に置くものじゃない、と彼らは言う。
だけど自宅の仏壇を見ると、亡くなった人の遺骨が普通に置いてあることがある。
死人の一部だった遺骨を屋内に置くのはOKなのに、どうして他の死体は駄目なのか。
死体のある部屋でなんて寝られる気がしない、と彼らは言う。
でも、彼らは入院した時には普通に病院のベッドで寝ている。
病院のベッドには間違いなく、誰かしらの死体が乗っていたことがあるはずで……何なら病院だと、寝ている瞬間に隣の患者が死ぬ恐れだってある。
それでも、彼らは入院中に病室で平気で寝ている。
あれが大丈夫なら、私の行為だってそうおかしな物ではないだろう。
死体のことなんて日常的に考えないのが普通だ、と彼らは言う。
だけど探偵狂時代では、死体について考えることの方が遥かに普通だ。
だからこそ、この時代では「死法学」が流行ったのだから。
これらの理屈は、所詮は詭弁に過ぎないかもしれない。
でも、いつしか私は決めてしまっていた。
他の皆が恐れる死体に、私だけは寄り添おうと。
詰まるところ、私は、生者よりも死者の方が好きなのだ。
少しだけ自己弁護をすると、この思考は現代ではそんなに悪趣味な物ではない。
寧ろ、とても意義深いことだ。
探偵狂時代では、死体を恐れることの方が問題である。
例えば幻葬市の「外」は治安が悪く、山奥などに行くと他殺体が平然と埋められていることもあると聞く。
そんな死体は誰にも見つけてもらえず、いつかは腐って土に還ってしまう。
犯人の痕跡も、被害者の苦痛も、全て隠れて見えなくなってしまう。
しかもその手の場所を「外」の人々は不気味がり、近づこうとしないらしい。
死体が見つかったら嫌だからと言って、山奥に深入りすること自体を避ける人がかなりいるそうなのだ。
だからこそ死体は更に見つかりづらくなって、今この瞬間も、孤独に腐ってしまっている……。
私に言わせれば、これこそ問題だと思う。
そんな風に死体を見ようとしないから、誰かの殺人が完全犯罪に化けてしまうのだ。
死体が発見されないので、そもそも殺人事件であると立証できません────裁判所のそんな判断を勝ち取って、殺人犯たちは逃げてしまう。
要するに人々の死体を恐れる気持ちが、犯罪を見つかりにくくしている訳だ。
変に死体を恐れて行方不明者の捜索を怠るから、いっそう治安が悪くなる。
法壊事件からこちら、そんなことばかりをこの国は繰り返してきた。
この連鎖を止めるためにも、「死法学」は必要で。
私のように死体を恐れない人間が必要であることも、また事実だった。
人はその命日が分からなければ、ちゃんと死ぬことすらできないのだから。
中学生くらいになると、私は上記の考えを確固たるものにしていた。
周囲にも請われれば熱弁した。
ただ、周囲の理解は乏しかった。
死法学の意義は分かるけれど、香宮家の令嬢がやらなくても、と何度も遠回しに言われた。
基本的には私に甘い両親すら、そのような態度だった。
私に対してそんな振る舞いをしなかったのは、この世で二人だけ。
一人は、幼い頃から私の友人でいてくれる少女・終夜雫。
そして、もう一人が────。
「んっ……ああ……う……」
不意に苦しそうな声が聞こえて、私はぱちりと瞳を開いた。
隣を見てみると、そこでは病人が随分と苦しそうな顔をして寝ている。
心配になって、私はソファベッドを降りてそちらに近づいた。
「九城君、大丈夫?病院の人を呼ぶ?」
パッと時計を見てみると、時刻は午前二時十三分。
九城君が犯人との死闘を終えてここに担ぎ込まれて、意識を取り戻した次の晩のことだ。
昨夜は夜通し羽生晶子さんへの手紙を口述し続けた彼だけれど、今夜は普通に寝てくれた。
だから私も、引き続き泊まり込んでいたのだけれど……。
顔をしかめて眠る彼を見て、私は手早くバイタルサインを確認する。
──汗を掻いているけれど、体温は高くなっていない。脈は少し速いけれど、咳き込む様子や息切れの様子はない。概ねバイタルは正常……となると。
悪夢を見ているのだろう、と察する。
彼の話では、かなりの頻度で見るとのことだった。
昨夜は手紙を書くのに忙しかったために、悪夢を見ることを避けられていたのだけど、なまじ普通に寝たことで悪夢に囚われてしまったようだ。
──やっぱりこの悪夢、そう簡単に治るものではないようね……どうしよう。普通なら、すぐに起こした方が良いのでしょうけど。
本来なら、悪夢にうなされている人間のことは叩き起こした方が良い。
長く悪夢を見る方が辛いからだ。
しかし九城君の場合、色々と事情が違っていた。
彼は悪夢を見てから起きてしまうと、もうその晩は寝られなくなるらしい。
そして現在病人である彼には、一分一秒でも長く寝ていて欲しいのが私の本音である。
──なまじ起こしてしまうと、もう今晩は寝られなくなる。そうすると、傷の回復には良くない。でも当然放置すると、この悪夢を見続けてしまう……。
死法学を通して得た医学知識と、純粋な心配。
色んな考えがせめぎ合って、私は動きを止めてしまう。
それでも、ただ彼が苦しんでいるのがどうにも辛くて────ごそごそと彷徨っていた彼の右手を、思わず掴んだ。
「大丈夫、九城君……大丈夫だから」
彼の腕を抱き、祈るように自分の額にかざす。
それは本当に苦し紛れの行為で、何か意味がある訳ではなかった。
私がこれまで得た知識に、「悪夢を見ている人間の手を握ると、その夢は消える」なんてものはない。
だけど……本当に不思議なのだけれど。
しばらくそうしていると、すっと九城君の顔が穏やかになった。
うめき声は消え失せて、代わりにスース―と寝息が聞こえるようになる。
──また寝付いてくれた……?
その変化を不思議に思いながら、私は彼の手を握り続ける。
彼の話では、どんな治療をしても悪夢は消えなかったとのことだったけれど。
一体、何が起きたのだろうか。
──単純に、レム睡眠の時間が終わったのかしら?理屈上、ノンレム睡眠に切り替わる頃にはどんな悪夢も終わるはずだから……。
人間は睡眠中に、レム睡眠という時間と、ノンレム睡眠を呼ばれる時間を交互に繰り返している。
悪夢のように複雑でストーリー性の高い夢を見るのは、概ねレム睡眠の時間だ。
だからレム睡眠が終われば、悪夢は見たくても見られなくなる……たった今、九城君もそうなったのかもしれない。
──何にせよ、苦しみが終わったのなら良かった……。
少し安心して、しかし掌は握ったまま。
しばらく、私は九城君の穏やかな寝顔を見続けた。
何となく不思議な気分になりながら。
だって────。
「こんな風に……生きている人の横顔を見続けるなんて、初めてかもしれない」
死体の顔なら、何度も見たことがある。
死体の顔面の変化を記録することもまた、死法学や解剖では重要なことだ。
擦過傷一つ見逃さないように、私は様々な死に顔を観察する癖を身に着けていた。
しかし、生きている人間の寝顔となると経験は浅い。
両親や雫の寝顔だって、こんなには見たことがない。
それを、たった数ヶ月前に知り合ったばかりの少年相手にしているのだから、本当に人生とは複雑怪奇だ。
「九城君と知り合ってから……私、色んな初めてを奪われている気がする」
何となく、そんなことを呟いて。
それでもまだ、私は彼の隣にいた。
幼い頃に抱いた私の考えは、今でも変わっていない。
生きている人間よりも、死体の方がずっと好きだ。
不謹慎を承知で言えば、法医学教室から「事件が発生した。新しい死体が運び込まれてくるから見学に来ないか」と連絡がある度に、胸をときめかせることだってよくある。
次はどんな死体に出会えるのだろう。
その死体の死因を究明するためには、何をすれば良いのだろう。
そう考えることが、私にとって幸せな時間だった。
だけど、どうしてだろう。
今回の事件の終盤、九城君が一人で真犯人と戦いに出向いたことが分かった時。
下手すると死んでいるかもしれない、なんて話が出てきた時。
その時の私は、全く嬉しくなかった。
地下室に籠ったまま、何も考えられなかった。
もしかすると、九城君の死体が法医学教室に運び込まれるかもしれない────僅かでもそう考えた瞬間から、気が狂いそうな感覚に襲われ続けた。
だから今は、自分の考えに修正を加えないといけないのかもしれない。
考えそのものは変えなくても、例外は認めておかないといけないだろうから。
私は、生きている人間よりも死体の方が好きだ。
ただし、少なくとも終夜雫と九城空に関しては、この限りではない。
両親を含む他の人たちには悪いけれど、そんな風に書き換えておこう。
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※次回更新は未定です。決まり次第お知らせします。




