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世界が推理小説になったから  作者: 塚山 凍
Period10:籠の外へ

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番外編:針

 終夜雫の知る限り、香宮凪はとんでもなく出不精な少女だ。

 出会った頃から、これについては全く変わらない。

 いくら時代が時代とは言え、雫は彼女程に自分の足で出歩かない人間を見たことが無かった。


 朝だろうが夜だろうが、やることと言えば屋敷で死法学の研究をするだけ。

 両親がいた頃は彼らが、現在では雫が料理をしているが、それについても食卓まで出てくることは殆どなく。

 小学校や中学校についても、必要最低限の出席しかしないのが常だった。


 擁護しておくと、現代でこれはそこまで珍しい態度ではない。

 それこそ「鳥籠娘」がそうだが、外部の治安を恐れるあまりに引きこもりのような暮らしをする者は多い。

 凪の生き方について、彼女の両親がそこまで問題視しなかったのはこのためだ。


 しかしそれでも、彼女の引きこもり具合は突出していた。

 放っておくと、自主的に家の外に出ることが一秒たりとも無かったくらいなのだから。

 彼女が頻繁に会話する他者は、精々法医学教室のメンバーと雫くらいだった。


 ……だからこの日、雫はかなり驚いていた。

 十年来の付き合いであるこの少女が、今まで見たことがないような振る舞いをしていたから。




「あら、凪……何を持ち出してるの?」


 九城空が守屋一と死闘を繰り広げ、病院に担ぎ込まれた日の夕方。

 警察対応が一段落したことで、休憩がてら屋敷に戻った雫は、驚いて足を止めた。

 家で休んでいるものだと思っていた凪が、奇妙な行動をとっていたからだ。


「何って……寝袋だけど」


 キョトンとした顔で、凪は小首を傾げる。

 彼女の隣では、屋敷に未だに残っている警備員たちが荷物を運んでいた。

 彼らの手の中には、凪の言う通りに寝袋の姿もある。


「いや、寝袋を持っているのは分かるわよ。それを持って、どこに行こうとしているのか聞いてるの」

「……九城君の病室」


 決まっているじゃない、と言いたげに凪は傾けた首の角度を深くする。

 まるで、質問をする雫の方がおかしいと思っているようだった。


「……九城君が入院したのは聞いたわ。だから、ウチの警備員を使ってガードしようと思って。そうしないと、色々危険でしょう?」

「まあ、そうね。それについては私も頼もうとしてたところだけど……」


 凪が仄めかした危険性を察して、雫は頷いておく。

 ここで言う危険とは、「病室に野次馬探偵やマスコミが押し掛けて、彼の病状が悪化すること」を意味していた。


 大事件が起これば、数多の情報が売りさばかれるのは当然の理屈。

 それを得るために、マスコミや「情報」専攻の探偵が血眼になることもまた、探偵狂時代では常識である。

 故に空の病室には、情報に飢えた人間たちが怪我のことなどお構いなしに詰めかけてくることが予想された。


 だから雫としても、香宮家の警備員を病室に回すことには全く異存がなかった。

 強面のガードマンを二、三人置いておくだけでも、その手の被害はかなり減らせる。

 警備員たちには本来の職務とは趣旨の異なることをさせる形になるが、空が今回の事件で残した成果を思えば、このくらいの配慮は当然だろう。


 しかし、気になるのは────。


「それでも、凪本人が行く必要はないんじゃない?……その寝袋、アンタのでしょう?」


 唯一の疑問点を示して、雫はビシッと寝袋を指さした。

 警備員が運んでいる寝袋は、明らかに凪が地下室で愛用しているそれだった。

 これまでに何度か、地下室で寝ないように注意してきた雫だからこそ、それはすぐに分かる。


「病室に警備員を手配するのは賛成だけど、凪本人が泊まる理由はないでしょ?守屋一は死んだけど、まだ街の雰囲気はざわついてる。大部分の警備員はこっちに残ってるんだし、アンタは本館に残っていた方が安全な気もするんだけど……」

「……仕方がないじゃない。もう、病院の理事長にも話を通した後なのだから。今更行かなかったら角が立つわ」


 雫の指摘を受けた凪は、分かりやすく早口になった。

 そして、こちらを殆ど無視するようにしてスタスタと歩き出してしまう。

 あくまで香宮家に雇われている警備員たちもまた、雫の相手はせずにそれに続いた。


 途端に、香宮邸はガランとした静けさに包まれる。

 一応、居残り組の警備員が巡回しているのだが、そんな物音は広い建物の中ではノイズにすらならなかった。

 だから雫は一人、静かな広間でため息を吐くのだった。


「『九城君のことが心配だから、ずっと傍にいることにした』って素直に言えばいいのにね、あの子も……」






 どうやら、凪と九城君が急速に仲良くなっているらしい────雫がそれに気が付いたのは、幻葬高校に入学する直前だった。

 後で分かったことだが、彼が凪に対して自分の過去を打ち明けたのが、丁度この時期らしい。

 だから雫は、彼らの変化に随分と初期から気づいていたと言えるだろう。


 これに気が付いた時には、かなり意外に思った記憶がある。

 自分で連れてきておいてなんだけれど、雫が空を同居人として選び、屋敷の中に立ち入らせたのはかなり強引な行動だった。

 元々の約束もあって渋々同居を認めてくれたけれど、倉庫に見知らぬ男子高校生が住むようになったことは、凪としては正直不快な出来事だったことだろう。


 しかし、あっという間に空と凪は距離を縮めていった。

 今の二人の空気感は、とても知り合って二ヶ月程度とは思えない。

 彼がリビングに顔を出した瞬間、そっと凪が紅茶を淹れ始める仕草などは、家族以上の親密さを感じさせる程だった。


 最初の頃、雫はこの変化をシンプルに喜んでいた。

 どうしても「日常の謎」が解けない雫としては、空の協力と同居は必要不可欠。

 そんな彼が家主である凪と不仲にならずに済んだというのは、とてもラッキーなことに思えた……どうせ同居するのなら、ギスギスするよりも仲良しな方が良いに決まっている。


 しかし同時に、疑問にも思っていた。

 九城君はどうして、そこまで急に凪と仲良くなれたのだろうか、と。


 元来、凪は人見知りする方だ。

 家族などの気を許した相手とは流暢に会話するけれど、他の人間に対してはじっと黙っていることが多い。

 雫自身、初めて出会ってから仲良くなるまではかなり苦労した。


 そう言う意味では、九城空はイレギュラーだ。

 雫以上の速度で凪と仲良くなり、フランクに話せるようになったのだから。

 彼らの関係の詰め方は、雫にとって長らく謎だった。


 一応、最近になって雫はその謎に解答を貰った。

 実は初期から彼は凪に対して自分の過去を明かしており、幻葬市に来た経緯なども全て開示していた……だからこそ不審がられなくなり、仲良くなったのだと。

 空はあの日、そんな説明をした。


 雫としても、その場では彼の説明で概ね納得した。

 なるほど、そんなことがあったのかと頷いたのだ。


 ただ……少し後になって、「本当にそれだけなの?」とは思うようになった。


 確かに過去の話を聞いたことで、凪から見た九城空が「不審な男子高校生」から、「切実な理由で同居を望む人間」に変わったのは間違いないだろう。

 何だかんだ言いつつ凪は優しいので、その過去に同情と共感を示したことも想像できる。

 しかしそれだけでは、仲良くなる理由としては弱い気がした。


 探偵狂時代では、困っている人間などいくらでもいる。

 九城空自身も言っていた通り、彼よりも悲惨な過去を有する人間だって、探せば大勢いるだろう。

 雫や凪としても、これまでに悲惨な過去を持つ犯人たちに遭遇した経験はゼロでは無かった。


 しかしそれらの事件では、凪は犯人に強い興味を示してはいなかった。

 一定の同情を口にしたことはあったが、所詮はそれまで。

 彼女が一番興味を持つのは死体のことばかりであり、生きている人間の事情など二の次だったのだ。


 そんな彼女が、九城空に対しては随分と興味を示している。

 こうして、怪我した彼の元に駆け付けようとするくらいに。

 これはやはり、ただ過去を聞いたからだけではなく────。






「思春期に良い感じの男子と出会ったから、ちょっと気になってるってことよね……私でも分かるわ、アレは」


 動き回った分の汗を流すべく、シャワー室手前で雫は着替える。

 服を脱いだせいか、隠し立てのない考え事が口から零れた。


「凪、殆ど同年代の異性と話したことなんてなかったし……ある意味、純粋培養な子よね。そういう状況で男子と同居なんてしたから、意識せざるを得なかった……みたいな?」


 時代の状況と資産家の令嬢という立場から、雫や凪は同年代の男子と会話する機会が少ない。

 様々な意味で危険があるからだ。

 特に学校で口を開こうとしない凪の場合は、同い年の男の子と会話したこと自体がまず無かった可能性が高い。


 だからこそ、九城空は凪にとって特別な異性だったのだ。

 彼女の生活圏に現れた男子というだけで、物珍しい存在なのだから。

 望む望まないに関わらず、注目せざるを得なかった。


「しかも九城君、普通に良い人だしね。辛いことも多いはずなのに、凄く頑張ってる……注目してた相手のそんな内面を知ったら、まあ、芽生える感情もあったのかしら?だから今回、ああやって押し掛けてるというか」


 シャワーを浴びながら、雫は慣れない推察を終える。

 普段は「日常の謎」が不得手な雫だが、この推理についてはそう外していない気がした。

 いくら「殺人」専攻でも、ここまで近しい話題であれば流石に理解は可能だ。


「私としてはどうでもいいことだけどね、うん。九城君はあくまで、推理のパートナーってだけだし……」


 最後に言い訳がましく、そんなことを言って。

 雫は短いシャワーを終えようとする。

 この後も彼女は、周囲への説明とマスコミ対応で忙しいのだ。


 ──えーっと、お祖父様にも連絡は一応しておいて……学校の方はもう誰か言いに行ってるかしら。野次馬探偵を撒く時間を考えると、お見舞いにはしばらく行けない……。


 ぼんやりと、これからの予定を確かめようとする。

 すると何故か、唐突に雫の胸にチクンと痛みが走った気がした。

 小さな氷の針が、心臓に刺さったように。


 ──え、何この感じ。


 不思議に思って、雫は反射的に胸にシャワーを当てる。

 氷の針を溶かせるように。

 しかしどれだけシャワーで温めても、その感覚は消えてくれなかった。

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