最後の挨拶
「……うん……んん?」
もぞもぞ、と自分の手が変な動きをした。
右手と背中がズキリと痛む。
イタタと呟くと、意識がはっきりと夢から帰って来たのが分かった。
「……どこだ、ここ」
痛みをこらえながら起き上がった僕は、周囲をキョロキョロと見渡す。
確か僕は、燃える廃倉庫の隣で終夜に膝枕をしてもらっていた──そして、ぼんやりと良い夢を見ていた──はずなのだけれど。
今の僕は、どうやら白っぽい部屋のベッドで寝かされているようだった。
「あの後……病院に運ばれたのかな。それで、今まで気絶していた?」
推測しながら右手を見ると、守屋一に切られたところに包帯が巻かれ、更に上からギプス固定をされていた。
病院の人間が処置してくれたらしい。
処置されてもじわじわ痛んでいる辺り、結構深い傷だったようだけれど……とにかく、ここが病院なのは間違いないようだった。
──よく見たら、服も入院着になってるな。点滴も……というか、色んなところに湿布が貼られているような。
改めて自分の体を見ると、包帯と湿布で体の殆どが埋め尽くされていた。
どうやら、内出血や切り傷の全てを処置したらしい。
格好だけ見ると重病人だな……と呆れたところで、僕はもう一つの事実に気づく。
「……香宮?」
僕の寝ているベッドの隣、小さな椅子が二、三個置かれているスペース。
そこで、黒いワンピースを着た香宮が寝ていた。
うつむいた姿勢のまま、すやすやと寝息を立てている。
「付き添ってくれていたのかな……というか、今って夜?」
パッと窓を見てみると、既にカーテンが引かれている。
カーテン越しに光が透けていないことからすると、少なくとも日は沈んでいるようだ。
近くに時計が無かったので、仕方なく僕は左手で──右手はまだ痛んだので──香宮を揺り起こす。
「おーい……起きてー……申し訳ないけど」
声だけでは起きそうにないので、左手で彼女の肩を揺さぶった。
すぐさま、パチリと香宮は瞳を開ける。
アメジストのような彼女の瞳が、じっと僕の姿を捉えた。
「くじょう、君?」
「あ、うん。おはよう」
「……っ」
直後、香宮はとても感情的な顔をする。
瞳を見ているだけで、その奔流の激しさは理解できた。
しかしここが彼女の凄いところなのだけれど、一秒で香宮はそれを抑え込んだ。
すっと自分の目元を隠して、平静を保つ。
そして、何事もなかったように「あら、おはよう」と返事をしてくれた。
「そっか、今はもう日付が変わる頃……半日くらい寝ていたんだね、僕」
「ええ。検査もしたけれど、特に頭などに損傷があったわけではないわ。単純に疲れ過ぎて気絶したというところ……他の怪我も酷かったから」
病院関係者及びその他の友人知人に連絡して、ついでに事件関係者の動向について聞いてから、香宮と現状について話をする。
主治医は深夜ということで既に帰っており、警察も未だにバタバタしているらしく、対応が必要な客人はいなかった。
結果的に、香宮と話す時間は有り余っていたのだ……ひとしきり一人で勝手に動いたことを謝罪した後は、自然と怪我に関する話が多くなっていた。
香宮が言うには、手の甲の傷だけでも十針は縫ったらしい。
他には無数の内出血、背中側の肋骨三本にヒビ(背中を蹴られたせいだろう)、ガラス片で切られた傷多数、右手の手根骨のヒビ(足で踏まれたからだ)などが目立つ負傷のようだった。
完全に痛みが取れるまで一ヶ月はかかる、とも言われた。
「じゃあ、このギプスはそのせいか……胸の方も何か固定されているけど、これは肋骨のヒビのため?」
「そういうこと。手術も検討されたけれど……完全に砕けた訳ではなく、ヒビが入っているだけだから。固定による癒着を待つ方針になったそうよ。勿論、回復具合によっては別の治療法に変わる可能性もあるけれど」
専攻を生かしてか、香宮はすらすらと僕の病状を解説してくれる。
死体の知識だけでなく、生きている人間の病状についてもかなり詳しいようだった。
本当に頼りになる子だなあと思いつつ、僕は質問内容を変える。
「僕の状態は分かった。それで……その、守屋一の方はどうなったのかな。あの爆発についても聞きたい」
「……廃倉庫の消火はもう終わっているわ。幸い他の建物の被害は少なかったけれど、爆発地点の倉庫は完全に崩壊。焼け跡からは、一人分のバラバラ死体が発見された」
「今度こそ、それが守屋一?」
「ええ。既に法医学教室の方で調べて、守屋一で間違いないと確認している。因みに前日に廃墟で見つかった方の焼死体についても、警備会社をリストラされた元社員であることの確認がとれたそうよ。事件前から所在不明だったって」
「じゃあ共犯者も含めて、これで身元は全員判明……被疑者死亡という形ではあるけれど、事件は終わった訳だ」
守屋一の自爆を許してしまったということに、一抹の悔いを抱く。
本当なら、彼のことは警察に確保させたかった。
死などという一瞬の苦痛で全てを終わらせるのではなく、逮捕した上で罪の重さについて考えさせるべきだった……かつて、晶子さんが味わったように。
しかし中々、そう上手くはいかないらしい。
こういうところ、僕たちは所詮探偵の卵だ。
法壊事件の際、名探偵は犯人全員を自殺も高跳びもさせずに逮捕まで導いたが、その手腕の凄まじさが改めて分かる気がした。
……僕の悔いは分かっているのか、香宮はそこで何も言わなかった。
多分、いつものように「気にしなくても良い」と告げようとしたのだけれど、それは僕が決めることだと思い直したのだろう。
代わりに、話題を変えるように口を開いた。
「……とりあえず、警察への説明は雫が全てやってくれているわ。警察は現場検証で忙しいし、雫もそちらに付き合っているから、朝までは特に誰も来ないでしょう」
「そうか……終夜には、本当に感謝しないといけない。勿論、君にもだけど」
「……私に?」
「終夜に聞いたんだ。香宮が焼死体の検証をしたことで守屋一の生存が分かって、それを僕に伝えようとしたことで失踪に気づいたって。もしも香宮がそれに気づかなかったら、終夜は爆発に間に合わなくて、僕だって死んでいたかもしれない。偶然の作用かもしれないけど……感謝してるんだ、本当に」
「大したことではないわ。九城君の言うように、死法学への興味が偶々良い方向に働いただけだもの」
「それでも……ありがとう。結果論だろうが何だろうが、助けられたことに変わりはないから」
「……」
ストレートに感謝してみると、香宮は無表情で押し黙った。
パッと見ただけでは、不機嫌になったかのように思える表情。
しかし僕には、それが照れている証なのが分かった。
何だかんだ言いながら、二ヶ月近く過ごしてきたのだ。
初めて出会った時のように、彼女を死体だと勘違いすることはもうない。
彼女はクールでも無感情でもなく、寧ろ過保護気味かつ心優しい少女であることも分かって来た。
今だって、こうして付き添ってくれているくらいなのだから────そう思ったところで、「あれ?」と思う。
「ごめん、香宮。話変わるけれど、ちょっと良いかな」
「何かしら」
「いやその、君は当たり前みたいにここにいるけど……今って深夜なんだろう?だったら、付き添いって面会時間的に無理なんじゃないかな、普通。同居人とは言え、血縁者でもない訳だし……その、どうやって香宮はここに?」
「ああ、それは……」
何を今更、と言いたげな表情で香宮はスマートフォンを弄る。
何回かの操作で出てきたのは、この病院のホームページらしいサイトだった。
でかでかと貼られている理事長の写真の上に、トン、と香宮は指を置いた。
「ここ、大きいけれど民間病院なのよ。そして民間病院の理事長というのは、病院の敷地を有している地主が務めることが多いの。つまりこの病院のトップは、幻葬市の地主の一人ということ。当然、香宮家とも交流があるわ」
「じゃあ、もしかして例の地主ネットワークで……」
「『私の大切な人が入院しているんです、四六時中傍にいさせてください』と言ったら、すぐに特例で認めてくれたわ。屋敷から警備員も駆け付けて、病室の前に待機してる。ここの理事長はお年寄りで、若い子に甘いから」
さらっと明言する香宮に、僕は「おおう……」とちょっと引く。
彼女たちと知り合った直後は、終夜だけを強引で人の話を聞かないタイプだと思っていたけれど、こういうのを見ると香宮も実はそのタイプであることが改めて分かった。
終夜と香宮が同居できている理由って、この辺りにあるんじゃないだろうか……何だかんだ、思い切りのいい部分が似ているから。
──まあでも、「使える権力は出し惜しみしない」っていうのも、この時代を生きるために大事なテクニックだしな。僕がどうこういう話でもないか。
こういう場面で、「香宮は資産家の娘だからこんなことができるんだ」とか言って僻み始めたら、いよいよ守屋一と同じルートである。
ぐだぐだ考えずに、ラッキーとだけ思っていればいいのだろう。
実際、僕に不快感などは特になく、香宮の助力を純粋に心強く思っているのだから。
──でもそうなると、変な時間に起こしちゃったな。香宮はずっとここにいる気みたいだし、何かやることは……。
大体の話を終えたところで、僕はそんなことを考え始める。
事件後の事情は分かったけれど、これから朝まで何時間もある。
変な時間に起きたせいで眠気もないし、どうやら香宮も眠くはないようだった……さてこれから、何をして時間を潰そうか。
食べ損ねた香宮の手料理でも食べようかとも思ったのだけど、流石に病院で料理は無理だろう。
いや正確には、料理を頼むと香宮がゴリ押しで何とかしそうで怖い。
例の地主ネットワークで、病院の食堂を貸し切りにするとか普通にやりそうだ。
──ああ、だったら……あれが良いかな。
そこでふと、僕は自分のやるべきことを思い出す。
事件捜査の間から、解決したらやろうと考えていたことがあるのだ。
良い機会なので、警察が来る前にそれを済ませておきたかった。
「……どうかしたの?傷が痛む?」
急に黙ってしまった僕を心配して、香宮がこちらの顔を覗き込む。
心配し過ぎているのか、随分と顔が近い。
手を振って大丈夫だと言ってから、僕は「また話が変わって悪いけど……」と前置きした。
「今から、便箋を用意してもらうことってできるかな。病院の売店で買っても良いし、警備の人にお屋敷から持ってきてもらうのでも良いんだけど」
「可能だとは思うけれど……手紙でも書くの?」
「ああ。僕は今、右腕がこんな感じだから。申し訳ないけど、香宮に代筆して欲しくて」
「代筆するのは構わないわ。でも、誰に送るの?」
当然の疑問をぶつけられて、僕は僅かに笑う。
そのまま、さらりと宛名を告げた。
「晶子さんだよ」




