崩落
────思考を現実にもどして、廃工場での戦いの中。
二本の警棒で守屋一を打ち据えた場面。
僕の攻撃をまともに受けた守屋一は、目を回して膝をつこうとしていた。
恐らく向こうとしても、火傷やら何やらで体力的には万全とは言えない状況だったのだろう。
その上で頭部に強烈な一撃を貰ったことで、立っていられなくなったらしい。
両膝をドスンと床につけてから、彼はぐらりと上体をこちらに倒してきて────。
「……ハァッ!」
そこに、容赦なく僕は追撃を加える。
こちらに倒れこんだ彼の胸を狙って、回し蹴りを叩きこんだのだ。
確実に意識を飛ばすようにするための、心臓近くを狙った駄目押しの一撃を。
残虐なことをしているとは思わない。
まだ、相手を倒せたと決まった訳ではないのだから。
一応僕も人殺しにはなりたくないので、うっかり殺さないようにするだけの手加減はしたけれど。
微妙な力調整を一瞬で行わないといけないのだが、これは幸い上手く行った。
胸への衝撃で完全に気絶した彼は、白目を剥きながら反対方向にすっ飛んでいく。
バタン、と音を立てながら仰向けに転がって……後はもう、ぴくぴくと痙攣したように動くことしかしなかった。
「よ、し…………勝った……か、な……?」
まともに動けなくなった彼の姿を見た瞬間、僕の体をどっと疲れが襲う。
思い出したように、切り裂かれた右手と蹴られた背中がズキンズキンと痛み始めた。
損傷具合で言えば、大概こちらも満身創痍だ。
相手のことを言えないくらいにフラフラになった僕は、警棒を両手に持ったまま、その場にガクリと崩れ落ちる。
心臓がドキンドキンとうるさかった。
──でも、まだだ……早く、相手を拘束しないと……。
本当なら、勝者として安堵したい場面。
しかしまだ気を緩めるには早すぎたので、僕はぐっと歯を食いしばる。
守屋一の気絶がどれだけ続くかは分からない。
すぐに起き出して襲ってくる可能性もある。
彼をギチギチに縛り上げるか、両手両足の骨を折って動けなくするまでは、とても安全とは言えないのだ。
だから僕は、うっかりすると眠ってしまいそうな疲労に包まれながらも、何とか次の行動に移る。
警察や救急車も遅ればせながら呼んだ方が良いだろうけれど、まずしないといけないのは拘束だ。
二本の警棒を杖のようにして床に突き立てつつ、僕は気合いで足を進めて────。
その瞬間、異変が生じる。
僕たちの立っている工場二階の床が、ゴウン、と聞いたことのないような音を奏でたのだ。
「え……何だ?」
異音に注意を逸らされてしまい、僕はついキョロキョロと周囲の様子を伺ってしまう。
何かこう、音と共に結構な振動が僕を襲った気がしたのだ。
ついでに言うと、パラパラと頼りない音が足元から聞こえるような……。
──……床か!?
途端に、ぞわりと寒気が走った。
衝動に突き動かされるまま、僕は慌ててその場から飛び退く。
本能で次に起きることを察したのだ。
事実、その予感は正しかった。
この直後────廃工場二階の床は、崩落した。
唐突に大小のヒビを生じつつ、床そのものが割れて一階にまで落ちていったのである。
「おっと……っと……おおう!?」
内臓がひっくり返りそうな浮遊感と戦いつつ、僕は必死に消えていく足場から逃れようとする。
アクションゲームなどで、一度踏むと消えてしまう床の上を操作キャラが全力疾走するステージみたいなのが偶にあるが、リアルにあれをやっている感覚だった。
踏みしめる度に消えていく床から逃れて、僕はまだ原型を保っている窓の方へと駆け出していく。
──来た時から、古い床だとは思っていたけど……もっと警戒すべきだったか!?
思えば、ちょっと強く踏み込むだけで足が床にめり込む程に劣化していたのだ。
そんな場所で低威力とは言え爆弾をぶっ飛ばした以上は、警戒しなくてはならない結末だった。
嘘みたいな勢いで、床や配管が消えていく……気絶した守屋一を巻き込みながら。
崩落から逃れようと疾走する僕の背後でも、ゴウンゴウンと大きな音を立てながら、瓦礫と化した床が一階に落ちていく。
少しでも立ち止まったが最後、僕もまたその音を自分の体で奏でることになるのは明白だった。
満身創痍の現状でそうなってしまえば、最悪それだけで死んでしまうかもしれない……何とか壁に辿り着いた僕は、警棒をベルトに引っかけつつ、必死の形相で窓際に縋り付く。
「うおぉぉぉぉ……凄いな、これ」
窓の縁に座り込んだ僕は、僅かに残った二階の床に足を着けて、目の前の崩壊を見守った。
火山の噴火をゼロ距離で見学しているかのような、奇妙な気分だ。
恐怖心は最早消え去ってしまい、代わりに呆れのような感情が湧いてくる。
──古い建物とは言え、こうもあっさり崩れるって……よくもまあこんなところで戦う判断をしたな、守屋一。
まさか、こんなに危険な場所であんなドタバタを繰り広げていたとは……。
戦いの最中に崩落が起きたとしても、全くおかしくなかったのだ。
自分たちに襲いかかっていたリスクを自覚して、僕は乾いた笑いを浮かべた。
「というか……おーい、生きてるか?」
もうもうと立ち込める粉塵で下の様子が全く見えない中、僕は一応そんな声かけをする。
命を懸けたやり取りの後にしては間の抜けた言葉だったが、確認せずにはいられなかった。
先程見た光景からすると、倒れた守屋一は瓦礫と共に派手に転落していた。
あんな人間とは言え、ここで死なれると色々ややこしいことになる。
もし死んだら、僕が殺したような扱いになるのだろうか……そう不安に感じてると、やがて煙の奥から途切れ途切れに声が聞こえてきた。
「ハハハ……ハ、ハ……まさか、君がそう聞いてくるとは……やっぱり君は、恵まれた人間ですねえ……」
──あ、生きてた。
この僻んだ口調は、守屋一のそれと見て間違いない。
どうやら、転落のショックで意識を取り戻したようだ。
とりあえず、口が利ける状態にはなったらしい。
──まあでも、拘束の手間が省けたかな。多分、瓦礫で生き埋めになっているんだろうし。今から警察と救急車を呼べば、犯人確保と病院への搬送は同時にやってくれるか……。
そう計算しながら、僕は血だらけの手でスマートフォンを取り出そうとする。
万が一にも「香宮邸に爆弾を仕掛けた」という脅迫状が本当だった場合に備えて、僕は指示通りに誰にも連絡せずにここに来ていた。
だから救助は今から呼ぶしかないのだけど、ここまで来てもらうとなると時間がかかるかもしれない……そう案じながら画面を点けたところで、一階から更に声が聞こえてくる。
「これで……君は、私を倒したヒーローということ、ですか……また名探偵の孫に褒められるんでしょうかねえ……囮に使われているような間柄なのに……健気なことだ……」
「……黙っていられないのか?」
「いやいや……認めているんですよ……間違いなく、私は打ちのめされたんですから……ですが……」
瓦礫の底から、ずっと守屋一はぶつぶつとよく分からないことを言い続ける。
意外と元気だなこの人、と僕はある種呑気に構えていた。
しかし────。
「でも……勝ったからと言って……生きて帰れるとは限らないでしょう?……それを今から……教えてあげます、よ……」
「……え?」
こちらを呪うように呟かれた、彼の言葉。
流石に気になって、僕は一階に視線をやる。
すると、それを待ち構えたように彼は最後の言葉を吐いた。
「さあ……君も…………」
時間経過により、煙が晴れる。
瓦礫と一緒くたになって埋まってしまった彼が、潰れた段ボール箱を抱えて手を動かしているのが見える。
彼は血塗れの顔でニヤリと笑ったこともまた、はっきりと見えた。
「私と、一緒に…………死のうではないですか……ハハハハハハハハハハハハハハハハハ……!」
数秒後。
廃工場には、崩落に続く第二の変化が起きた。
工場全体が、爆発したのだ。
全て、後から分かったことだけれど。
実は守屋一は、この時点でも爆弾の一部を廃工場内に保管していた。
僕が二階に上がる前に見た、一階に積まれた段ボール箱の中には、それなりの量の爆弾が詰まっていたのである。
よく考えればこれは当然の話で、最初はここを爆発物の保管所としていたのだから、いくらかは残していたとしてもおかしくはない。
予備のナイフと一緒で、いざと言う時のために残していたのだろう。
昨夜の廃墟での火災でかなりの爆薬が燃え尽きてしまっていたので、彼にとってこの爆弾たちは、唯一残った切り札と言える武器だった。
しかし彼は、僕との戦いでそれを使おうとはしなかった。
使用したのは、ポケットに隠した小型爆弾だけ。
倉庫に保管していた爆弾の方は、戦いの中では持ち出していない。
これは単純に、爆弾で僕を倒すのはやりにくかったからだろう。
低威力とは言え、爆弾というのはうっかりすると自分も被害に遭う武器だ。
最初は僕を仲間に引き入れる算段だったこともあって、彼は爆弾の使用を控え目にしていた。
そもそも二階で戦い始めたこと自体、これらの爆弾に気づかれないためだったのかもしれない。
もしも一階で僕と戦っていた場合、戦闘の余波で自然と爆弾の存在が暴かれ、追い詰められた僕がそれらを逆に利用してくる可能性がある。
それを恐れていたために、彼は二階で待ち構えていたのだ。
しかしこの時、状況は変わっていた。
二階の床が崩落したことで、彼は一階に積んだ爆弾の中に自ら突っ込むような形になった。
幸い爆弾には何も起きなかったが、生き埋め状態ではあるので、このままでは駆け付けた警察に逮捕されてしまう……その屈辱が、彼に異様な判断を下させた。
恐らくは手さぐりで周辺を漁り、組み上げ済の小型爆弾を掴み取ったのだろう。
その場から動けないまま、彼はそれを起動させた。
戦いの中でそうしたように、彼らが作成していた爆弾はスイッチを押して転がしておけば、その内勝手に起爆する……この時も、瓦礫の中で爆弾は正しく爆ぜた。
一度爆発するだけなら、目眩し程度の威力しかない代物だ。
ちょっと火薬の多いクラッカーと言っても良い。
しかし周囲に大量の未加工爆薬が散らばり、更に大小様々な瓦礫まであるという今の状況が、彼の粗雑な爆弾を必殺の兵器へと変えていた。
最初の爆発は他の爆弾を起爆に導き、連鎖的にそれらを爆ぜさせていく。
そして爆発が一度起きる度に、墜落していた瓦礫たちは爆風に押されて、周囲へと銃弾のように飛び散っていった。
そうやって飛び散った瓦礫の下からは新たな爆弾が出てきて、それも高温で発火して────やがては。
……ズガァンと盛大な音がして、廃工場の一階が嘘みたいに吹っ飛ぶ。
元より老朽化していたこともあって、建物自体が耐えられなかったのだ。
大小の瓦礫が内側から建物を貫くように飛散して────守屋一の命が爆破四散すると同時に、僕が寄り縋っていた工場の建物もまた、一気に崩壊した。
「……うわぁっ!?」
爆破を目撃した時の僕は、詳しい内情は分からなかった。
一階で守屋一が何か変なことを言っていたと思ったら、突然目の前で爆発音が響き始めたのだから。
この時点では全ての爆弾が起爆した訳ではなかったけれど、第一陣の閃光と爆風だけでも十分に打ちのめされた僕は、そのまま自分も一階に落ちてしまいそうになる。
──駄目だ!これ、外に出ないと……!
状況は分からないが、一階で爆発が起きたのは間違いない。
階段なんてとっくの昔に壊れているので、二階の窓枠に腰を下ろしている今の僕には、外に飛び降りる以外に逃げ道が無かった。
守屋一が窓を蹴り破ってくれていたので、窓を開ける必要はない────ただただ生存本能に従って、僕は外へと身を乗り出した。
「……っ、痛っ!」
しかしタイミング悪く、窓から逃げようとした僕を激痛が襲う。
一階で今にも膨れ上がろうとしていた火薬によって、瓦礫の一つが物凄い勢いで吹き飛び、僕の背中に直撃したのだ。
丁度そこは守屋一に痛めつけられた場所であり、僕は激痛に呻いて姿勢を崩してしまう。
普段なら、飛び降りる途中で姿勢を崩したところで大した問題じゃない。
空中で姿勢を立て直すくらいなら、僕でもできる。
しかし今は、そんなことは不可能だった。
二階から地面に飛び降りようとしているところなので、滞空時間が殆ど無い。
爆風で加速したこともあり、僕は体勢を立て直せないまま飛び降りてしまい……地面に頭を向けてしまう。
──不味い、頭から落ちる……!
たかが二階からの転落とは言え、頭から落ちると部位によっては命に係わる。
満身創痍の今の状態では、碌な防御もとれない。
守屋一との戦いには勝ったのに、こんなところで死ぬのか────それを自覚した瞬間、すっと黒い死の影が僕の背中を撫でた気がした。
もう、目の前に地面が見えている。
腕も碌に動いてくれず、やれることがない。
焦りと悔しさから、僕は両目をぎゅっと瞑った。
「……九城君!」
何かを諦めそうになった、その瞬間。
僕は突然、とある少女の声を聞いた。
途端に、死の影がすうっと僕から離れる。
──何だ、今の……声は……?
走馬灯にしては、異様にはっきりとした声だった。
どうしてこんな声が、と思ったところに追い打ちがかかる。
空中を落下していたはずの僕が、誰かにふわりと抱き留められたのだ。
いや、抱き留められたと言うのは正確性に欠けるか。
何者かが天高くジャンプして、空中の僕にしがみついたと表現するのが正しいだろう。
かなり荒っぽいやり方だったが、その人物が横から突っ込んだお陰で、僕の落下軌道は大幅にずれた。
「わ、わ……おわああああ!?」
頭から落ちることを回避した代わりに、僕は自分を抱き留めた人物と一緒に地面をバウンドすることになる。
互いに互いを抱きしめ合いながら、ゴロゴロと吹っ飛んでいったのだ。
勿論かなり痛かったが、回転と摩擦が落下のエネルギーを奪ってくれたために、廃工場からかなり離れた場所でその勢いは止まり────結果として、僕たちはそこまで怪我をせずに地面に降り立った。
そうして脱出したところで、背後からひときわ大きな爆発音が響く。
反射的に目を向けると、廃工場内で大きな火球が発生したこと、更に天井がボロボロと落下し始めた様子がはっきりと見えた。
いよいよ、一階にあった爆弾の全てが爆発したらしい……危ないところだった。
──でも、その前に……。
廃工場の壊れ具合よりも、ずっと重要なこと。
それを改めて確認したくて、僕は視線を前に戻す。
すると、僕を抱き締めながら「イタタ……」と言っている少女の顔がはっきり見えた。
「何で……ここにいるのかな、終夜?」
「それ、こっちの台詞よ。どうして一人でこんな危ないことしてたの、九城君?」
僕を空中で抱き留めた存在……何故か現場に駆け付けている終夜を見ながら、僕は純粋に疑問を露わにする。
すると、終夜も同様に質問をした。
彼女の方は、いささか不満そうではあったけれど。




