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世界が推理小説になったから  作者: 塚山 凍
Period10:籠の外へ

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泥中の蓮

 ────倉庫に戻ってからしばらく経って。

 僕は本館に戻らず、さっと着替えてから幻葬市北部の小さな町を一人で歩いていた。


 倉庫の窓から直接敷地外に飛び降りたので、終夜たちは僕が抜け出したことにすら気が付いていないだろう。

 荷物をまとめるのに手間取っているのかな、くらいに思われているのかもしれない。

 もっとも、香宮は焼死体の死体検案に参加したいと言って色々と調べていたので、僕のことなんて眼中にないかもしれないが。


 適当に拾ったタクシーに乗り、この地点で下ろしてもらったのが十分前のことだ。

 幸運なことに、今日乗ったタクシーは違法業者でもぼったくりでもなく、無事に僕を北部の寂れた街並みまで運んでくれた。

 既に運転手も去った中で、僕は持参したメモとスマホの地図アプリに従い足を進める。


 周囲に広がるのは、本郷キララのアパート周辺と同じく、幻葬市内にしては寂れた様子の建物たちだった。

 幻葬市の中心部から離れているために、再開発の恩恵を受けなかったエリアなのだろう。

 空き家や潰れた店が立ち並び、文字も読めない看板ばかりが置いてあるその光景は、法壊事件よりも更に前……幻葬市が過疎に悩む田舎町だった頃の名残のように見えた。


「元々、北部はそこまで開発の手が入っていなかったはずだ。羽生邸も北部にあったし……」


 かつての記憶を振り返り、僕は独り言を零す。

 ここから更に北に進めば、羽生家のお屋敷だって見えるはずだ。

 まだ二ヶ月も経っていないのに、当時のことが嫌に懐かしく思えた。


 そんな感覚に浸っている内に、手元のメモに示された場所に到着する。

 見るからにオンボロな廃工場だ。

 二階建ての大きな建物なので、元々は大規模に事業をしていたのだろうけれど、今となっては見る影もない。


 ──鍵は無くて、正門が解放されてる……物騒過ぎるな。


 少なくとも「外」であれば、こんな建物はすぐにチンピラや反社の根城にされていたことだろう。

 探偵狂時代に存在する廃墟は、すべからく悪人たちのアジトと思って良いのだから。


 そう言う意味では、こんな廃墟が平然と放置されている幻葬市は、やはり治安がマシだと言えた。

 僕が来て以来、殺人事件が頻発しているのでそんな気がしないが、それでもやはり平和な方なのである。

 ()が住み着くまでは、この廃工場は悪用されずに放置されていたそうなのだから。


「お邪魔しまーす」


 何となく挨拶をしながら、僕は廃工場の中に足を踏み入れる。

 不法侵入だが、仕方がないだろう。

 段ボールが大量に積まれた一階には誰もいないことを確認してから、奥に見えた階段を使って二階へと上がった。


 大分放置されていたのか、階段は一歩踏み出す度にギシギシと音が鳴る。

 階段の果てに辿り着いた二階の床(つまり一階の天井部)も、足場としてはかなり不安定になっていた。

 ちょっと強く踏み込めば、床をぶち抜いて一階に転落してしまいそうである。


 しかし、そんな場所に彼は立っていた。

 僕をここに呼び込んだ張本人だから、当然ではある。

 足場など気にしていない様子で……守屋一は、悠然と佇んでいた。




「……来てくれましたか」


 僕たちを襲撃した時と同じく、ライダースーツと軍手を身に着けている彼は、嬉しそうに表情を崩す。

 目出し帽は被っていなかったので、その表情の変化は明確に感じ取れた。

 同時に、彼の顔の右半分が焼けただれていることもはっきりと分かる。


 ──自爆後に廃墟で発見された焼死体、やっぱり別人だったか……この人自身は、爆風を受けながらも逃げ延びたんだ。


 相手の様子を見て、僕は冷静に事の流れを推理する。

 恐らく発見された焼死体の正体は、彼の警備員時代の同僚とかだろう。

 守屋一はきっと、爆発物作成のために元同僚と協力していたのだ。


 香宮からの情報によれば、警備会社から退職金代わりに危険物を持ち出したのは、「リストラ社員の一人」ではなく、「リストラ社員の一部」だった。

 つまり爆発物の窃盗は、守屋一の単独犯ではなく、複数犯の可能性があることになる。

 リストラ仲間を巻き込んで、共謀して窃盗を働いた訳だ。


 ひょっとすると、この共犯者は廃墟の中に住んでいたのかもしれない。

 廃墟内で爆弾の作成に精を出しながら、こっそり生きていたのだろうか?

 それが昨夜の事件で警察に取り囲まれ、二人して自爆……この人物は焼け死んだ共犯者を見捨てて、火災の混乱に乗じて脱出したのだ。


「……ここは、私と昨夜死んだ仲間が見つけていたもう一つの拠点でしてね。爆発物を保管するために、最初はここを倉庫として利用していたんです。結局、幻葬市の中心部から遠すぎるということで別の廃墟に移転しましたが」


 僕の推理を察した様子で、守屋一が情報を補足する。

 爆発物の再製造と横流しのために拠点を移したが、それが昨夜焼けたので過去の拠点に逃げた、という流れのようだ。


「そして、僕をここに呼んだんですね……わざわざ、香宮邸にまで立ち寄って」


 そう言いながら、僕は手元のメモを広げて見せる。

 これこそ、僕が倉庫の換気をしている時に発見した物。

 トイレの窓の外側に、いつの間にか貼りついていた手紙だった。


 手紙はビニール袋に詰められた後、全体に粘着テープが巻かれてベタベタしたボール状になっていた。

 昨夜の内に敷地外からこれを投げ込んで、窓に貼り付かせたのだろう。


 この街に来た時、倉庫から財布が飛んできたことがあったけど、今回はその逆だ。

 倉庫から物を投げたのではなく、路地から倉庫に物を投げ入れた。

 肩が少し強ければ、このくらいのことはできる。


「驚きましたよ。変なゴミが貼りついていると思って回収したら、中から手紙が出てきて……」

「ハハハ……だが、その中身にはもっと驚いたでしょう?」

「ええ、だからここに来たんです」


 苦労して取り出した手紙の中身。

 それは端的に言うと、脅迫状だった。


「私は一連の事件の犯人だ、既に香宮邸には爆弾と盗聴器を仕掛けた。

 私がやろうと思えば、今すぐにでも爆破できる。

 警察や同居人に相談したことが盗聴器で分かった場合も、すぐに爆破させる」


 最初に、はっきりとそう書いてあった。

 僕が目を剥いたのは言うまでもない。


 これが僕宛てであることは、すぐに察せられた。

 アキラが言っていたように、香宮邸の倉庫で僕が同居を許されたのは学校内では有名な話だ。

 倉庫に手紙を貼り付かせておけば、高確率で九城空が読んでくれる────そう確信しての行動なのだろう。


「続けて、『爆死を避けたければ、この手紙を開封した者は今すぐ一人で添付した地図の場所に来い』と……言っては何ですが、古典的な脅迫でしたね」

「しかし、君は実際にこうして来てくれたじゃないですか。信じてくれた、ということでしょう?」

「信じたというよりは、万一の場合に備えたんですよ……だって、爆弾なんか仕掛けていないでしょう?」


 守屋一が爆発物を大量に保有していたのは事実だろうが、それを香宮邸に仕掛けるとなると難易度が違う。

 特に今は緊急時の警備システムが起動しているので、外部から部外者が入り込むのは困難だ。

 同居人である僕と終夜すら、帰宅する時には厳しいチェックを受けたのである。


 それに警備員たちは、忙しなく屋敷内を巡回していた。

 朝食の間すら、ちゃんと見張っていたのである。

 何か不審物があれば、流石に彼らが気づいているだろう。


 一応、彼らが警備しているのは本館のみであり、倉庫などは無警戒だが──だからこそ、この手紙が倉庫の窓に貼りついていたことを見逃したのだ──それにしたって逃亡犯が入り込む余地はない。

 総じて、この脅迫状は内容が疑わしいのだ。

 それでも万が一の場合を想定して(警備員たちが来る前に密かに爆弾が仕掛けられたパターンなど)、大人しく脅迫状に従い、こうして一人で来たのだった。


 それと、もう一つ。

 僕が脅迫状に従ったのは、個人的な理由もあった。


「僕は……直に話を聞きたかったんです。一連の事件の動機や、こうして僕を呼び出した理由について知りたかったから。終夜や香宮にこんなことをしに行くと言えば、絶対に止められる。だからこそ、彼女たちに無断でここに来た」


 そう告げて、僕は真正面から相手を見据える。

 僕の動機は話した。

 今度は、向こうの動機を聞く番だ。


「教えてください、守屋一さん。何故、僕をここに呼んだんですか?」

「単純ですよ……私の同族に、手を差し伸べたかったんです。私の同志になってもらうために」

「同志?」

「ええ……唐突ですが、九城空君。君に聞きたいことがあります。君はこの時代のことを、どう思っていますか?名探偵が作ったこの探偵狂時代のことを、どう解釈していますか?」


 焼けただれた顔をぴくぴくと動かしながら、守屋一は唐突に質問をしてくる。

 あっちこっち迷走する話の流れに困惑しながらも、僕は一応返答することにした。

 相手の話にまずは乗っからないと、聞きたいことが聞けない。


「どう解釈しているも何も……普通に、歪んで狂った時代だと思ってますよ。これは、多くの人々の共通認識でしょう。だからこそ現代は、探偵時代とかじゃなくて、探偵『狂』時代と呼ばれているんですから」

「まあ、そうでしょうね。殺人やテロが頻発して、夜間には危なくて誰も外出できず、警備員の仕事をしているだけで何個も爆弾を拾う……今はそんな、狂った時代です。だからこそ、幼少期から思っていたことがあるんですよ」

「何を?」

「不公平だなあ、と思ったんですよ。ええと、私の過去や、私が君を知った経緯についてはもうご存知ですか?」

「ええ、まあ。貴方がコインロッカーベイビーであることや、乳児院のバイトで僕について知ったことについては、おおよそ推理し終わっています」

「素晴らしい……なら、分かるでしょう?私たちのようなコインロッカーベイビーが随分と苦労をしているのに……世の中の金持ちどもは、この時代の苦難を全く味わっていないことが。殆どが海外に逃げましたからね。日本に取り残された人間だけが、酷い目に遭い続けた。私は昔から、それが我慢ならないタチでした。内心では、ずっと怒りを抱いていた。お前たちだけ逃げやがって、と」

「……」


 シンプルに、嫉妬に塗れた感想ではある。

 ただ同時に、一応は歴史的な事実に基づいた発言でもあった。

 終夜の両親や日本街の存在が示す通り、海外移住などの形で探偵狂時代の苦難から逃れた資産家が多数いるのは事実である。


「まあ、国内に残った者たちについても、これは同様ですがね。幻葬市内でも、幅を利かすのは名探偵の一族や地主などの財産を持つ者ばかり。名探偵なんか、今では神様みたいに崇めたてられている……彼の言うことには、誰も口を挟めない」

「今も昔も、金持ちのワガママばかりが通っていると言いたいんですか?」

「そうですよ。実際、探偵狂時代になって貧富の差は酷くなったでしょう?公的な支援は条件が厳しくなり続けて、国家自体が貧乏人の面倒など見なくなった。そうして食い詰めた貧困層は犯罪者に転落して、ますます治安が悪化。そして金持ちたちは家に引きこもり、次々と初期の移住者に続いて海外へと脱出していった……私たちは言わば、あらゆる存在から見捨てられた市民だ」

「……」


 これもまた、口汚いが事実に反してはいない。

 香宮の両親が好例だろう。

 海外移住ができるだけのお金がある人は、先達に続いて次々と立ち去っており……様々な事情で移住できない人ばかりが日本に居残っているというのも、その通りだった。


「自分で言うのも何ですが……私はそんな存在の中でも、ついこの間までは真面目に生きてきた方だと思うんですよ。社会への怒りは押し殺してね。探偵にはなりませんでしたが、警備員として学生時代の知識は生かしています。そしてクビになるまでは、真面目に働いていたつもりです。それなのに……」

「いきなりリストラを宣告されて、ショックを受けた?」

「ショックを受けたのはそこじゃないですよ……名探偵の一声で、それが決まったことです!」


 急に顔色を変えた守屋一は、そこで悔しそうにドンッと床を踏み鳴らす。

 パラパラと床が崩れたような音がした。


「これまでは問題もなく勤務していたのに……名探偵が『あの警備会社は変えろ』と言っただけで、私はクビになった!孫娘が事件を解いたものだから、そのまま勢いで決断して……いつもそうなんですよ!私たちみたいなのが精一杯頑張って生きているのに、金持ちが一言言えばそれは崩れ去る!こんなの……こんなの、理不尽でしょう!」

「……名探偵がそう決断したのは、警備員の一人が教師にストーカー行為をしていたことが発覚したからです。元凶である、その警備員を恨もうとはしないんですか?」

「良いじゃないですか、ストーカーくらい!幻葬高校で教師として働いている時点で、エリートみたいなものでしょう!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」


 段々と口調が乱れながら、守屋一はブルブルと体を震わせ始める。

 感情的になっているというより、地金が出ているような雰囲気があった。

 最早、何も隠そうとしていない。


「だから……だから、私は決めたんですよ!この不公平は是正しなくてはならないと!私たちみたいな恵まれない立場の人間は、名探偵のような恵まれた金持ちたちを害する権利がある!今まで散々不公平だったんだ。ちょっとくらいやっても良いでしょう!」

「そう考えたから……晶子さんを殺したんですか?」

「ええ。保釈されたと聞いた瞬間から苛立っていたんですよ。『鳥籠娘』という名前の飢えないニートみたいな暮らしをしているのに、父親を殺した贅沢者のことはね。最初は証言でも録音して小遣い稼ぎに利用しようと思ったんですが、余りにも間抜けな顔であそこにいたから……ニュースは大して見ていませんが、どうせ、世間の惨状も知らないような無知な高慢娘だったんでしょう?なら、私にはああいう馬鹿な金持ちを裁く資格がある!彼女だけでなく、他の恵まれた奴らだって……」


 そこで、守屋一はバッと右手を前に差し伸べた。

 こちらに握手を求めるように。


「私はもう、これからはああいう愚か者を排除して行こうと思うんですよ。勿論、リストラの元凶である名探偵の孫娘もね。だから……手を組みませんか、九城空君?君の協力があれば、名探偵の孫娘は必ず殺せる」

「……そのために、こんな手紙を出したんですね。終夜たちを殺すには、内側から手引きが要る。今のままだと、警備システムに邪魔されて襲えないから」

「そうです。あの屋敷は目立つ建物なので、所在はすぐに分かりました。しかし、外から見ても分かるほどの厳重な警備体制でしたからね。君が最初に推理した通り、爆弾なんてとても仕掛けられなかった。だから、協力して欲しいんですよ」

「……」

「それに、前から君には注目していたんですよ。運命的な偶然で再会できた、私と同じコインロッカーベイビー。君だって、自分の過去は理不尽に感じているでしょう?だから、ああいう鼻持ちならない金持ちどもに、私と一緒に痛い目を見せてやりましょうよ。全ての恵まれない人間の代表者として!」


 そう言いながら、守屋一はコツコツとこちらに歩み寄ってくる。

 ランランと輝く彼の瞳は、一切こちらのことを疑っていなかった。

 僕が彼の手を取ってくれるものだと、確信している表情。


 恐らく、彼は心の底から僕のことを仲間だと思っているのだろう。

 昔から富裕層への反感が強かったそうだから、反対に自分と同じ境遇の人間に対しては、強い同族意識を持つようになったのかもしれない。

 彼は資産家のことは無条件に敵視するが、コインロッカーベイビーのことは無条件で信頼する性格なのだ。


 なるほどなるほど、と僕は彼の性格を考察して。

 一度だけ、にっこりと微笑む。

 そして────手に持ったままだった手紙をくしゃくしゃにまとめて、彼の頭めがけて放り投げた。


 ペシン、と紙の塊が守屋一の顔にぶつかる。

 守屋一本人は、驚いた顔をしていた。

 自分が何をされているのか、分かっていないような表情。


 それを見て、僕は無性に腹立たしい気持ちに駆られる。

 だから、僕は本音をぶつけることにした。

 敬語を捨てて、「外」の口調で。


「……もう、黙れよお前。僕をお前と一緒にするな、気色悪い」


 一瞬の沈黙。

 しかしすぐに意味は伝わったのか、守屋一はサッと怒りで顔を赤くする。

 その変化を、僕は冷めた顔で見ていた。






 僕がここに来たのは、僕を呼び出した経緯だけでなく、殺人の動機を聞くためでもあった。

 終夜が推理という形で教えてくれたが、犯人の心の内など所詮本人にしか分からない。

 だからこそ、話を聞きたかった────本当に終夜が言うように、八つ当たりで晶子さんを殺したのか。


 結果として、終夜の推理は当たっていたらしい。

 彼女の推理力を褒めるべきか、それともこの男の人間としての器の小ささに呆れるべきか。


 何にせよ、守屋一が手前勝手な理屈で殺人を犯し、しかもそれを自分の中で正当化しているのは変わらない。

 その動機を僕が理解できないのも、変わらなかった。


 そう、何一つ理解できない。

 向こうは、さも「同じコインロッカーベイビーである君なら理解できるだろう?」みたいな雰囲気で話しかけてきたが、僕としては心外だった。


 確かに捨て子だった彼の過去や、いきなりクビになったことは彼の責任とは言い難く、人生を襲った理不尽ではある。

 しかし当たり前の話だが、そんなものは殺人の免罪符にはならない。

 世界が推理小説と化したからと言って、何をやっても良い訳ではないのだ。


 そもそも、自分は常に清廉潔白に生きてきたみたいな言い方をしているが、退職時に同僚とつるんで危険物を持ち出した時点で、彼は犯罪者である。

 あれこれ言い訳を付け足そうが、「最初は爆弾の横流しで生きていくつもりだったけど、無理だったのでイライラしてムカついた金持ちの娘を殺しました」という動機は隠せない。


 終夜や香宮を殺そうとしているのだって、単に殺人の後で歯止めが利かなくなっただけだろう。

 僕を仲間に引き込もうとしているのは、殺人計画の都合もあるが、共犯者が爆死したので道連れが欲しいというのもあるのではないだろうか。


 根本的に、小心者なのだ。

 仕事がなくなって殺人までやっちゃったものだから、このままでは怖くて生きていけない。

 そんな自分を鼓舞したくて、恵まれていない自分は恵まれた立場の人間を粛清する資格があってどうのこうの、なんて言い出した。


 だからこの男は……本当に、何も知らない。

 晶子さんがどんな人で、どのような経緯で殺人を犯して、逮捕後には罪悪感から悪夢を見るまでに苦しんでいたことを知らない。

 終夜の一家が日本街で迫害され、とても満ち足りたとは言えない暮らしをしていたことを知らない。


 探偵狂時代は混沌とした時代だ。

 別に資産家だからと言って、無条件に守られる訳ではない。

 それこそ守屋一の犯行が証明したことだが、資産家であるというだけで危険人物に狙われることすらあるので、富裕層は一層不幸になっているという言い方すらできる。


 言ってしまえば、現代は誰も彼もが怯えるしかない時代なのだ。

 究極的には、この時代に生まれ落ちた時点で恵まれた者など一人もいない。

 資産家だろうが捨て子だろうが、全ての人間が苦しんでいるのだ。


 だからきっと、終夜が言っていたことが一番真理に近い。

 彼女曰く────人には人の不幸がある。

 きっと、それだけのことなのだろう。


 それすらも分かっていない人間が、僕のことを同族扱いしている。

 自分と同種の存在だと、全てを理解できる相手だと自称して握手をねだってくる。

 それが本当に、本当に気持ち悪かった。


 人との繋がりが薄いこの時代、同族意識が強くなるのは分かる。

 終夜だって言っていたことだし、本郷キララの子どもを助けたのも根源はそこにあるだろう。

 僕が晶子さんと交流を持った切っ掛けだって、「悪夢仲間」という名の同族意識だった。


 しかしそれは、同族を盲目的に肯定する理由にはならない。

 僕と晶子さんが交流を持ったのは、互いに分かり合う部分があり、また晶子さん自身も自分の罪に向き合っていたからだ。

 晶子さんと仲良くなれたからと言って、この男と仲良くする気にはなれない。


 だから────。






「確かに僕にも、過去を理由に極端な行動をとる異常性がある。この街に来たのもその一つだ……でも、過去を言い訳にして殺人まですることはない。自分の境遇を盾にして、人殺しを正当化しようなんて思わない」


 前を見据えて、すらすらと言葉を紡ぐ。

 終夜との戦いを見る限り、この男は相当な実力者であり、間違いなく僕より強い。

 だけど、不思議と全く怖くなかった。


「晶子さんは、確かに殺人犯だった。だけど、保釈の後は普通に裁判を受ける予定だった……お前に裁かれる理屈なんて一つもない。お前に誰かを裁く資格なんて、あるはずがない」


 守屋一の顔が見る見るうちに紅潮する。

 火傷の痕もあって、焼いたトマトみたいになっていた。

 それを見据えながらも、僕の口は止まらない。


「その後の終夜や香宮を襲った件については、論外だ。お前はもう、屁理屈をこねて自分より幸せそうな人間を襲うだけの奴に成り下がっている……そんな時間を使うくらいだったら、真面目に再就職を頑張ればよかったのに。リストラされてから、まだ精々一ヶ月くらいしか経っていないんだから」


 少し、腰を低く構える。

 この後の展開が予測できたからだ。

 勝算があるかどうかを計算しつつ、総括を述べた。


「お前は恵まれない人間の代表者なんかじゃない。ただの僻みっぽい人殺しだ。同じ捨て子だったというだけで……これ以上、僕に擦り寄るな!」


 この街に来てからは言った経験のない、強い言葉たち。

 それを受けた守屋一は、いよいよ血管が破裂しそうな顔になっていた。

 だが、顔の赤みが頂点になったところで、無理してふっと笑う。


「……あ、ああ、なるほど。思えば、君は私とは違って義理の父親の元で幸せに生きてきたんですからね。私の崇高な考えが理解できないのは仕方がないか……君は、同じコインロッカーベイビーとは言え、養子として恵まれた暮らしをしていたのだから」


 自分を落ち着かせるように、守屋一はぶつぶつとそんなことを言う。

 彼なりに、僕の態度を上手く解釈しようとしているらしい。

 しかしこの期に及んで自分に甘いことを言うものだから、僕はつい煽るようなセリフを口にした。


「そうやって……自分とは考えの違う人間に何かを忠告される度に、『こいつは自分より恵まれているからそう言えるだけなんだ』と決めつけながら生きてきたのか?ちゃっちい生き方……」


 前にも言ったように、僕は人の立ち直り方にとやかく言う趣味はない。

 ただ、他者の生き方に理解を示すにしても、限度という物がある。

 率直な感想として、僕は彼の生き様に哀れみを抱いた。


 この感想は十分に伝わったのか……発言の直後、ブチンッと音が聞こえた気がした。

 多分、守屋一の中で何かが切れたのだろう。

 先程までが嘘のようにすっと表情を消した彼は、近くに置き去られた段ボール箱に右手を突っ込み────音もなく、大振りなナイフを取り出す。


 ──晶子さんを殺したのと同じ型の凶器……この場所に予備の武器を置いていたのか。


 僕たちを襲撃した時は、この廃工場に戻る余裕が無かったので、手持ちの銀色の警棒に頼るしかなかった。

 しかし今は、得物をナイフに戻す気らしい。

 中腰になってナイフを構えた彼は、殺意に満ちた顔でこちらに向き直る。


「残念ですよ、九城空君……私の手を取れば、君は間違いなく幸せになれただろうに。コンプレックスも何もない、満ち足りた暮らしができたのに。今から参ったと言えば、さっきの暴言は聞かなかったことにしてあげますよ?」


 彼の未練がましい言い草は、全く僕の心を揺らさなかった。

 確かに僕は、満ち足りた精神状態にあるとは言い難い。

 とにかくすぐ落ち込むし、悪夢は未だに見ているし、生まれに関するコンプレックスは根強く残ったままだ……終夜に生まれの事情を話したのすら、ついこの間なのだから。


 しかしだからと言って、この男と手を組もうなどとは全く思わない。

 それこそ、こいつに心配されるようなことじゃない。


 だから僕は静かにベルトから警棒を外して、ブンッと勢いよく振る。

 カンカンカンッと音を立てて、警棒がいつもの長さになった。

 互いに得物が揃ったことで、緊迫した場の空気が更に一段と張りつめる。


 ──武器が警棒だった時ですら、終夜より強かったんだ。ナイフを持った今だと、危険度は更に高いだろう。僕の背中の傷だってまだ治ってはいない……だけど、負けない。負けたくない。


 信じろ。

 義父さんから教わった技術を。

 これまで過ごしてきた日々を、出会った人たちから貰った信頼と熱を。


 相手は所詮、殺人を犯してからぐだぐだと言い訳するしかしない小者だ。

 どれだけ強かろうと、怖がる必要はない。


 見せつけるべきものは、恐怖の顔ではなく人の誇り高さ。

 怖がる暇があるのならば、胸を張れ。


 前を見据えて────高らかに吼えろ。


「僕の幸せは、僕自身の努力で必ず掴み取ってみせる……お前の道案内は必要ない!」


 バンッ、と床が爆ぜる。

 廃工場の一部が砕け散り、ナイフを構えた彼が飛び込んでくる。

 僕が突き出した警棒がそれを弾くと、小さな火花と共にガキャン、と大きな音が響いた。

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