・第四話
「お 追いついたわよ、この……」
声が、響く。
少女はその声に、はっ、と息を呑んだ。慌てて顔をそちらの方に向ける、OL風の、二十代半ば、という女性が、荒い息を付きながら立っていた。
そこでやっと、少女はこの男が何をしたのか、という事を思い出した。
少女はそのまま、男の身体をとん、と前に軽く押す、それだけで、男の身体はその場にどう、と俯せに倒れた。そのまま少女は、男が履いていたスニーカーの靴紐をするり、とほどいて、男の手首を後ろ手に縛りあげた。
そのまま、自分がこの男を捕らえた拍子に落ちてしまったらしい、目の前の女性の物と思しきバッグを拾い上げると、ゆっくりと彼女に差し出す。
「あ ありがとうございます」
女性は、まだ荒い息を付きながらもバッグを受け取り、ゆっくりとファスナーを開けて中身を確認した。
どうやら、中身にも問題は無かったらしい。
そして。
女性は、そこでようやく顔を上げて、少女をはっきりと見る。
「……貴方、大丈夫だったの?」
女性が問いかける。確かに、自分の様な、明らかに十代と思われる少女が、こんなひったくり犯相手に立ち回りを演じれば、誰もがそう思うだろう。
「大丈夫、ですよ」
少女は言う。
そうだ。
大丈夫だ。
何の問題も無い。
自分は……
自分は、今し方、あのひったくり犯と対峙した時にさえも。
ちっとも、『恐い』とは感じなかった。
むしろ……
むしろ……
「……っ」
そこまで考えて、少女は一瞬息を呑む。
そうだ。
どうして……
どうして、自分は……
この男を……
簡単に……
簡単に、殺そうだなんて……
解らない。
だけど。
自分は……
自分は……
少女は、目を閉じる。
「あの……」
声がする。
目の前の女性だ。
少女はゆっくりと目を開ける。彼女はじっと……
じっと、少女の顔を見ていた、自分を心配してくれているのだろう、ありがたい事だが、今は……
今は、必要以上に他人と関わらない方が良い。警察は……
少女は、もう一度。
もう一度、ぼんやりと頭の中で、さっき考えた事を思い出す。
警察はダメだ。
絶対に、ダメだ。
それに……
自分は、必要以上に他人と関わってはいけない。
今は……
今は、早くここを離れるべきだろう。
「……大丈夫です」
少女は女性に、にっこりと笑いかける。何だか前にも、こんな風に誰かに笑いかけた事がある、そんな気がする。
「それじゃあ、私はちょっと急ぐので」
そのまま少女は、女性の返事も待たずにくるり、と彼女に背を向けて歩き出した。
少し歩いて、ようやく背後の喧噪が遠ざかって来た頃、少女はたっ、とアスファルトを蹴って走り出す。
記憶が無い。
自分が誰なのか、解らない。
だが。
それでも、あの場に留まって、警察などに見つかるのは危険だ。
きっと……
きっとそうなれば。
自分は……
自分はその時……
自分の顔を見たり、自分と口を聞いたり、自分と関わった全ての人間を……
「……殺して、しまう」
少女は、呟く。
それが……
それが恐ろしくて……
少女は、ひたすらに……
ただ、ひたすらに……
逃げる様に……
走った。