彼女は逞しい肉体に夢中
ギルドに到着したエルゼは、更衣室で身に付けた魔獣除けの香袋と短剣を外し、ローブを脱ぐ。
ブーツからパンプスに履き替え、鏡の前で身だしなみをチェックした。
「おはようございます」
「おはよーエルゼちゃん」
同僚と挨拶を交わした後は、新着の依頼書を掲示板に貼ったり朝の準備を手早くすませて、自分が担当している受付カウンターに座った。
営業時間になりギルドの正面入口が開くと、ぽつぽつと冒険者たちがやってきて、掲示板の前や道具売り場へと各々向かった。
エルゼのカウンターにも一人、また一人と冒険者がやってくる。
彼らはエルゼに自分に合った依頼を選んでほしいと頼み、彼女はにこやかに対応していった。
業務開始から一時間経った頃、逞しい長身の男性がやってきた。
上級冒険者の資格を持つ、スッキリとした青い短髪に凛々しい眉の、この町で人気上位を誇る爽やかイケメンだ。
「おはようエルゼちゃん」
「おはようございますバルトルトさん。体調の方はすっかり良さそうですね」
エルゼは相手の目を見て完璧な営業スマイルを浮かべながら、目の前の腕に心の中で語りかけ始める。
(上腕二頭筋さんお久しぶりです。やはり少ししぼんでしまいましたか……ですがそれも哀愁があり味わい深いですね)
「やっと医者の許可がおりたよ。今日からまたガッツリ依頼を受けさせてもらうから、じゃんじゃん回してくれるかな」
「それはとても助かります。ですが無理は禁物ですよ。バルトルトさんの健康が第一ですから、様子を見ながら適切な依頼のご提案をさせていただきますね」
そう言いながら、療養生活により力強さが激減した目の前の体に、心の中で労りの声をかける。
(丁寧に時間をかけて元の素晴らしい肉体に戻るお手伝いをさせていただきますね)
エルゼに慈愛に満ちた表情を向けられ、バルトルトの頬はほんのりと染まった。
「エルゼちゃんに心配してもらえるなんて、一週間寝込んだ甲斐もあったなぁ」
「ふふっ、こうやって回復できた今となっては笑い話ですが、もう泥酔して下着一枚で野外で寝るなんてことしちゃダメですよ。お体の健康はもちろんのこと、そんなことでせっかくの名声に傷がついてしまったら勿体ないです」
エルゼは憂いを帯びた表情になった。
(ええ、本当に勿体ないことをしました。肉体美をさらけ出して路上に一晩転がっていたなんて……服の上からでも生唾ものな大胸筋をぜひとも生で拝見したかったのに……)
そのことを思うと、今でも切なくて胸が苦しくなる。エルゼは少し悲しそうにまつ毛を伏せた。
艶のある物憂げな表情に、バルトルトの胸はトクンと高鳴る。
「っっそんなに心配してもらえて光栄だよ。これからはもっと気を引き締めて頑張るから、いつものようにサポートを頼むね」
「もちろんです。こちらこそ、日頃バルトルトさんのお役に立てていることを光栄に思っております」
(間接的にでも、その素晴らしい肉体を作るお手伝いができて光栄です)
エルゼに輝かんばかりの笑顔を向けられ、バルトルトはすっかりのぼせ上がる。
本日分の依頼を見繕ってもらうと、彼はぽーっとしながら去っていった。
その様子を、少し離れた所からクラウスは怪訝そうにじっと見ていた。そして隣のギルド長に静かな声で尋ねる。
「……どこからどう見ても可憐な受付嬢にしか見えませんが、本当に頭の中は筋肉一色なんですか?」
「残念ながらそうなんだよね。さっきのイケメンの顔なんて、見ているようで見ていないよ、きっと」
「そうですか……」
ギルド長はやれやれといった顔でエルゼを見つめながら、彼女がギルド職員募集のチラシを握りしめてやってきた日のことを思い出す。
それは今から二年前のこと。
受付業務を志望する少女がやってきたから面接を頼めるかと、職員がギルド長室を訪れた。
了承した後、職員が連れてきた少女を目にしたギルド長に衝撃が走った。
銀色の長い髪がふわりと揺れ、大きな緑色の瞳は吸い込まれそうになるほど美しい。
小柄で庇護欲にそそられる儚げな空気を纏った、とてつもない美少女がそこにいた。
(これはもう、見た目だけで採用決定だな……)
ギルドは町にいくつか存在するため、何だかんだで人気商売である。所属する冒険者の実績や知名度、職員の質、人気などが物を言う。
この子が受付にいるだけで、男性冒険者がひょいひょいと釣れること間違いなし。
内心ではすでに採用印をポンと押しているが、慣例通りきちんと面接の手順をふむことにした。
「このギルドの受付業務を志望する動機を教えてもらえるかな?」
ギルド長が尋ねると、少女は恥じらいながらもはっきりと、鈴を転がすように思いを口にした。
「冒険者たちの鍛え上げられたお体を間近で見たいからです。あの素晴らしいお体を間近で見られるのに、お金を払うどころかお給金をいただけるなんて……そんな夢のような仕事は他にはありません。こちらの職員募集のチラシに運命を感じました」
少女は頬を染めながら、聞き間違いであってほしいような言葉を紡いだ。
(……いかんな。最近忙しすぎたせいで幻聴が聞こえるようにまでなってしまったか…)
職員が立て続けに退職したことにより、ギルド長はここ最近ずっと雑務に忙殺されていた。
彼は深呼吸した後、改めて質問する。
「すまないがちょっと疲れているせいで、きちんと聞き取れなかったようだ。もう一度はっきりと言ってもらえるかい?」
「はい。分かりました。えっと……志望動機は冒険者たちの鍛え上げられたお体を堪能するためです。あの素晴らしい肉体を合法的に舐め回すように間近で見られるのにお金を払うどころかお給金をいただけるなんてそんな夢のような仕事は他には無いと思いあわよくばその手触りを堪能させてもらえるかもしれないと……そろそろ肉体美ポスターや写真集を眺めてうっとりするだけでは満足できなくなっていたところで出会ったこちらの職員募集のチラシに運命を感じました」
残念ながら聞き間違いではなかったようで、しかも先程よりも生々しい表現になってしまった。
ギルド長は天を仰いだ。
息継ぎを殆どすることなく一気に言い切った少女は、ふわりと可憐に微笑んだ。
今聞いた言葉は全て幻聴だったのかと思わせる程の可憐さで、いや本当マジで頼むから幻聴であってくれないかなと、ギルド長は頭が痛くなり額に手を当てた。
しばし悩んだ後、彼は部屋にいた職員に尋ねた。
「どう思う?」
「そうですね、何とか隠し通す方向でどうかと」
「君もそう思うか」
「ええ。中身がどうであれ、この子を逃すべきではないです」
「だよね」
やはりそうかと、ギルド長はもう無駄に悩むことを止め、エルゼの仮採用を決めた。
体をじろじろと見られると大抵の人は不快に感じるものだと教え、肉体美を堪能していると相手に知られないよう、あからさまに舐め回すような視線は厳禁。細心の注意を払うことを約束させる。
正直言って不安は大きかったが、見習いとして受付業務の補助から始めさせた。
最低限の業務さえこなせるようになれば良いと、期待せずに長い目で様子見するつもりでいた。
(それがまさか、一年で実績ナンバーワンにまで上り詰めるなんてね……)
エルゼの人の本質を見抜く目と事務能力は目を見張るものがあった。
中身はどうであれ採用して本当に良かった。
女性冒険者の相手を始めたエルゼを眺めながら、ギルド長はしみじみと思った。
***
「おはようございます、マルティナさん」
(あぁ、今日も美しい大腿四頭筋を拝めて幸せです。生きてるって素晴らしい)
力自慢な女性冒険者マルティナのショートパンツの下から覗く美しい太ももに、エルゼは心の中で語りかける。
マルティナがこちらに向かって歩いてくる間にしっかりと堪能してあるので、エルゼはきちんと相手の目を見て挨拶をした。
「おはよ。今日も半日でさくっと終わってガッポリ稼げる依頼選んでもらえる?」
「かしこまりました。そうですね……今日はいつも以上に左足の調子が良くなさそうですし、あまり動き回らずに済むものが良さそうなので、これとこれでどうでしょう」
エルゼは手元の依頼一覧表に目をやり、最適なものを瞬時に選びだして提案する。
彼女は常人とは比べ物にならないほど目が良く、一目で相手の体調や実力までもを見抜く能力を持っていた。
「さすがエルゼちゃん。言わなくても分かってくれると思ったよ。朝からどうも調子悪いんだよねー」
マルティナは眉尻を下げて苦笑いした。
彼女の左足の膝下には、黒い痣のようなものが浮かんでいる。
「──魔障ですか」
不意に隣から発せられた声にマルティナの肩は軽く跳ね上がる。
「っっびっくりした。いつの間に……」
自分はこれでも上級冒険者の端くれなのにと、声をかけられるまで存在に気付けなかったことに驚く。そして声をかけてきた白衣を纏った男性、クラウスのあまりの綺麗さに息を呑んだ。
「魔障はジルを配合した塗り薬ですぐに治療できるはずですが……あなたはアレルギーをお持ちなんですね」
「ん、あぁそうなんだよ。前に一度塗った時に蕁麻疹と呼吸不全で死にかけてるんだ」
「では、コカトス草のアレルギーはお持ちですか?」
「コカトス? いや、それは初めて聞く名前だからちょっと分からないな」
「では試してみますか? ちょうど手持ちにありますので、今すぐにアレルギーの有無を調べられますよ」
クラウスは白衣の下、腰ベルトに着けたポーチから小ぶりのケースを取り出した。その中にいくつも並ぶ小瓶から一つ取り出しながら提案を持ちかける。
微笑を浮かべる黒髪の男性のあまりの美しさにマルティナは一瞬ぽーっと見とれたが、すぐ我に返った。
「いや、そもそも君は誰なのさ?」
「マルティナさん、その方は私のつが──」
「助手ですよ、助手。エルゼのお父上の助手のクラウスといいます。ね、エルゼ?」
番と言い切る前に言葉を被せたクラウスは、突き刺すような視線でエルゼに牽制する。
「……そうです、この方は私の父の助手なんです」
なぜかは分からないが、番と言ってはいけないということだけは瞬時に理解したエルゼは、彼に話を合わせることにした。
「そっか。それなら安心だね。その何とかっていう薬草さ、試させてもらえるかな」
「はい。ではパッチテストからいきましょう」
クラウスは小瓶に入った液をマルティナの二の腕に一滴垂らした。
「どうですか? ピリピリとした痛みを感じますか?」
「痛くはないけど……じんわりと温かいような?」
「それは正常な反応なので大丈夫です。アレルギーの心配はなさそうですね」
クラウスはそう言って、ケースからいくつもの小瓶を取り出してカウンターに並べた。空の小瓶にいろんな液を少しずつ加え、調合していく。
蓋を締めて上下に数回振ると、液体だった瓶の中身はクリーム状になった。
「患部に触れさせていただいて大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だよ」
女性の足に触れるため了承を得てから床に膝をつき、クラウスは指に付けた薬をマルティナの足の魔障に塗った。
真っ黒だった患部は、薬が浸透した部分だけ薄墨色になる。しっかり効果があることが証明されると、クラウスは口元に軽く笑みを浮かべた。
あまりの妖艶さに、年上好きのマルティナでさえ先程から何度もクラリとなりかけている。
患部に満遍なく薬を塗り終えると、クラウスはすっと立ち上がり、マルティナに薬瓶を差し出した。
「どうぞ。これを患部に朝晩塗れば三日程で完治するはずです」
「うわー! ありがとう。他の薬で一ヶ月以上かけてゆっくり治していくしかできなくてマジで困ってたんだ。本当に助かったよ。これいくら?」
「お役に立てて光栄です。今回はお試しということでお代は結構ですよ。効果に満足していただけたら、次からご贔屓にしていただけたらありがたいです」
「そっか。それじゃお言葉に甘えて貰っちゃうね。ありがと!」
マルティナは晴れやかな笑顔でお礼を言い、エルゼに選んでもらった依頼の手続きを済ませてギルドから出ていった。
元通りとは言えなくとも足の調子は確実に良くなったようで、軽やかに去っていく後ろ姿を見届けたエルゼは、薬の調合に使った小瓶を箱に片付けているクラウスに声をかける。
「ありがとうございました。マルティナさんはアレルギーのせいで服用できる薬が限られているといつも困っていたので、本当に助かりました。先程のものはクラウスさんの国で採れる薬草ですか?」
「どういたしまして。あれはここから三つ国を越えた先にある山でしか採れない薬草なんだ。昨日の夜ダンさんと薬作りの話で盛り上がった時に他国の薬草を見せたら、知らないものがいくつもあるって興味津々で観察してたよ」
エルゼの父であるダンは、腕の良さを認められてこのギルドに薬を納品している薬師の一人である。
「そうでしたか。この地にも輸入できないか、後でギルド長に相談してみます」
「あぁ、それならさっきギルド長に挨拶しに行った時についでに済ませてあるよ。俺が知ってる物で重要度が高そうな物は一通り報告済みだから、順次手続きしてくれるはずだよ」
クラウスは昨日この地にやってきたばかりだというのに、あまりの仕事の早さにエルゼは感心した。興奮気味に彼の両手をがしっと掴み、尊敬の眼差しを向ける。
「さすがですクラウスさん。あなたのような方が番で良かった。誇らしく思います」
きらきらと輝く瞳にクラウスはたじろぎ、それと同時に抑えきれない熱が湧き上がる。
二人は今初めて触れ合った。
初めて触れ合った手からは、言葉では言い表せない何か温かいものが流れていた。
「うわ……これやばいね。興奮してきちゃったんだけど」
「口に出さないでいただけますか?」
気持ちは分かるけれど。高揚する気持ちを抑え込みながら、エルゼは不快そうに目を細めた。
「はは、ごめんごめん。……っとそうだ、ギルド長からの伝言だよ。『二人の関係は他言無用で。番だなんて公開しちゃダメ』だってさ」
「分かりました。ですがなぜでしょう?」
「ギルドの受付嬢は皆の憧れだからね! だってさ」
「そうですか」
憧れだから公開してはいけないという理由にどうやったら結びつくのか分からないが、人から憧れてもらえるような仕事ぶりだと評価されていることは誇らしい。
他の受付の女性たちの中には、既婚者や恋人持ちであることを公にしている人もいるのにな……と少し経って気付いたが、いちいち指摘はしなかった。
エルゼは楽しく仕事ができたら何だっていい。