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運命の番の体は薄かった

「こんにちは、(つがい)さん」



 木漏れ日が落ちる静かな森の中。

 お使いを終えて紙袋片手に歩いていた少女、エルゼは、突然目の前に現れた男性にそう声をかけられた。


 少し長めの艶のある黒髪を風に靡かせながら、形のいい唇に浮かべる妖艶な笑みは、エルゼが十七年間生きてきた中で出会った誰よりも美しく、じっと見つめてくる澄んだ青い瞳から目が離せない。


 前触れはあったから彼女は驚きはせず、至って冷静に足を止めた。

 いつからか、ふとした瞬間に感じるようになり、遠く離れたどこかに確かに存在する、知らないけれど知っている懐かしい何かを求めて焦がれる気持ちをずっと抱いてきたから。


 その気配を感じる時に、胸の奥に込み上げてくるのはただ一つの感情だった。

 ──会いたい。

 誰かは分からない。顔も名前も声もどこにいるのかも、何もかも知らない誰かに無性に会いたくて。


 輪郭のない存在に恋焦がれる日々。もどかしさに堪えきれずに両親に相談したエルゼは、それは『番との共鳴』だということを知った。


 エルゼには竜の血が流れている。

 彼女は数百年前に番となった竜と人の間に生まれた子の子孫だ。

 竜の血は気高く、どれだけ薄まろうとも消えることはない。体に流れるほんの僅かなその血により、竜の持つ強靭さや生命力の強さ、特別な力をその身に宿すことがある。


 竜の持つ習性もしかり。番と呼ばれる伴侶を求めて一生を添い遂げるというもの。

 すべての竜に番が存在するわけではなく、出会ってお互いが恋に落ちてから番となる者、生まれた瞬間から運命によって定められた番が存在する者がいる。


 エルゼは後者だった。

 だからある日突然目の前に現れた人物に驚くことなく、自分がずっと待ち続けていた人にようやく会えた喜びを抱く。


 彼女ははらりと落ちてきた長い銀色の髪を耳にかけ、日の光を受けた森の木々の葉のような、鮮やかな緑色の瞳に笑みを浮かべて穏やかに挨拶を返した。


「こんにちは。遠路遥々ようこそお越しくださいました。長旅だったようですね」


 彼が身に着けているのは薄汚れて所々に穴が空いた黒いローブ。ズボンの裾は擦り切れている。そんな姿から、なかなか大変な旅路だったことが窺えた。


「そうだね。君の存在に気付いて旅を始めてから半年かかったよ。それにしても──」


 言い終わらぬまま、彼はエルゼの首元に顔を近付けて、すんすんと匂いを嗅いだ。


「あー……これやばいね。すごくいい香り」

「あからさまに嗅ぐのは止めていただけますか」


 エルゼは羞恥心からほんのりと頬を染め、不快そうに目を細めて低い声で訴えた。

 彼はすぐにエルゼから一歩後ろへ離れ、形のいい唇に妖艶な笑みを浮かべる。


「あはは、ごめんね。今回だけ許して」

「今回だけですよ。気持ちは分かりますし」

「でしょ」


 エルゼもできることなら心ゆくまで嗅ぎたいと思ってしまったので、強く怒りはしない。

 竜の血がその身に流れているといえど、感性は普通の人間と何ら変わりないので、さすがに恥ずかしくて我慢している。


「では、一先ず我が家に来ていただけますか? そこでゆっくり休んだ後、今後のことを話し合う、というのでどうでしょう?」

「うん、それは助かるよ。さすがに疲れたからね」


 二人は共にエルゼの家の方へと向かって、森の奥深くへと歩みを進めた。


「自己紹介をしていませんでしたね。私はエルゼです。よろしくお願いします」

「俺はクラウスだよ。よろしくねエルゼ」

「いきなり呼び捨てですか……別に構いませんが。私はクラウスさんと呼ばせていただきますね」

「うん。好きに呼んでくれて良いよ」


 クラウスは初対面からあまりに気さくすぎるが、存在を意識しあっていた番という関係なので、不快感は抱かない。

 何だかんだとお互いのことを話しながら歩く。

 クラウスはエルゼの二つ年上の十九歳だという。


 二十数分歩き、森を抜けた先にぽつんと存在するエルゼの家に到着した。

 家の敷地は周りをぐるりと柵に囲われ、魔獣除けの香袋が入った木箱があちこちに設置されている。


「お帰りなさいエルゼちゃん。そちらの方はどなた?」


 玄関を開けるとすぐに、エプロン姿で籠とはさみを持ったエルゼの母、セルシアと出くわした。


 夕食に使う野菜を収穫しに畑へ行くところだった彼女は、無意識にはさみの先端をクラウスに向けながら、首を傾げて問いかけた。後ろで緩く結わえた長い赤髪も同じ方向にぷらんと落ちる。


 小柄で華奢な風貌に垂れ気味の目は優しげなのに、そこはかとない圧を放つ。


「ただいま。こちらの方は私の番のクラウスさんです」

「はじめまして、薬師をしておりますクラウスと申します。突然の訪問失礼いたしました」


 クラウスが礼儀正しく挨拶をすると、セルシアは手に持っていたはさみを籠の中に置き、口元に手を添えながら瞳を輝かせた。


「あらーあらあらあらあらまあまあまあまあ」


 クラウスの顔をまじまじと見ること数秒、彼女は自身の後方にある扉に向かって叫んだ。


「あなたー早く来て! すごい、すごいわよ。超絶可愛い孫が抱ける未来が確定したわ!」


 セルシアは興奮気味に気の早すぎる歓喜の声をあげた。

 数秒後、パタパタという足音と共に、エルゼの父であるダンが走り寄ってきた。

 所々が紫色に染まった白衣姿で、指先も白衣と同じ紫色に染まっている。エルゼと同じ銀色の髪は後ろに撫でつけている。


「母さん、孫だって? どういうことだい?」


 ダンは走ってズレた眼鏡をかけ直しながらセルシアに尋ねる。


「見て、この方がエルゼの番なのよ。こんなイケメン見たことないわ。こんなのもう二人のどっちに似ても可愛い子が産まれるに決まっているじゃない!」

「番だって!? それはめでたい。しかも本当にイケメンじゃないか! でかしたぞエルゼ。父さん孫は甘やかしまくるって決めているんだ」

「母さんもよ。可愛がりまくるわ」

「あぁ楽しみだ。今日はお祝いだね母さん」


 二人は顔を見合わせてはしゃぐ。


「ええ、今夜は魔鳥の丸焼きにしましょう。今から森で仕留めてくるわ! あとは何にしようかしら。奮発して町で最高級のステーキ肉とワインを買ってきちゃっても良いわよね!」

「安産のお守りも必要じゃないかい?」

「そうね。母さんうっかりしちゃった。後はオムツと肌着も必要よね。あらどうしましょう、ベビーベッドはお友達に譲ってしまったわ」


 当人たちを無視して盛り上がるエルゼの両親。この人たちが暴走気味なのは日常茶飯事なので、気の早すぎる会話にエルゼは特につっこまない。

 だけどさすがに恥ずかしいので、気まずそうに顔を赤くしながら止めに入る。


「二人とも、盛り上がるのはそのくらいにして、まずはきちんと挨拶をしませんか。クラウスさんが呆然としていますよ」


 挨拶した後から放置されていたクラウスは、エルゼと同じように気まずそうな顔をして突っ立っていた。


「あぁ、すまなかったね。私はエルゼの父親のダンだ。よろしく頼むよ」

「母のセルシアよ。ご挨拶が遅くなってごめんなさい」

「はじめまして、クラウスと申します」


 エルゼの両親はクラウスの妖艶な笑みに見惚れてポッとなった後、家の中に招き入れた。


「それじゃ母さん町までひとっ走りしてくるわ」


 セルシアは手に持っていた籠を机に置き、左手に財布を、右手に包丁を持って出かけていった。


「それじゃ、父さんは作りかけのものを完成させないといけないから部屋に篭るよ。夕食の時間までクラウスくんのこと頼んだぞ」

「分かりました」


 ダンも途中で手を止めていた作業があるため、仕事部屋に戻っていった。


「騒がしい両親ですみません」

「楽しくていいんじゃないかな。俺けっこう好きだよ」

「そう言っていただけて嬉しいです。頭のネジは足りないけれど優しくて自慢の両親なんです」


 そう言ってエルゼはふわりと微笑んだ。

 そしてまずは旅の汚れを落としてはどうかとクラウスに提案する。彼には何よりも第一にシャワーを浴びてもらいたいと切実に思った。

 控えめに言って彼はとてつもなく汚れている。


「うん。さすがにこの格好で家の中をうろつくほど無神経じゃないよ。浴室借りるね」


 クラウスは汚れてボロボロのローブをその場で脱いだ。

 色っぽい鎖骨がちらりと覗くVネックのシャツに、スラリと長い足がお目見えした。


「これもう処分してもらえないかな。雑巾にもならないだろうし」

「そうですね。分かりました」


 ローブを手に持つクラウスに、エルゼは柔らかな表情で答えて手を差し出し、ローブを受け取った。

 同時にクラウスに彼女から流れてくるのは負の感情。


 番は相手が強く抱く思いを時たま感じ取ることができる。

 細かな感情までは分からず、楽しい、嬉しい、幸せといった正の感情と、辛い、悲しい、嫌悪といった負の感情のどちらかということしか分からない。


 正の感情は番が近くにいると常時自然と発せられるもの。よって、相手が負の感情を抱いた瞬間しか感知できない。


(汚いローブを渡して悪かったな……)


 屑入れに直接入れるべきだったと反省しながら、クラウスは浴室に向かった。

 脱衣所で服を脱いでいる最中に、家の外の遠くの方から聞こえてくるのは魔鳥の断末魔の叫び。

 セルシアとの対面時に感じた圧を自然と思い出した。


 シャワー後はリビングでエルゼが淹れたお茶を飲んで一息つき、旅の疲れを落とすため夕食の時間まで客間のソファーで眠った。


 数時間後、しっかり休んでスッキリ目覚めたクラウスは、夕食の時間だと呼びに来たエルゼと共に、彼女の両親が待つダイニングへと向かった。


 ダイニングテーブルの上には、魔鳥の丸焼きを始めとする豪勢な料理がずらりと並ぶ。

 ボロボロなローブ姿から一転、清潔感のあるシャツとズボン姿になったクラウスに、エルゼの両親は熱い視線を向け、その後、エルゼには眉尻を下げた残念そうな顔を向ける。


「ま、世の中そんなもんだ」

「元気だして。こればかりは仕方ないわ」

「お気遣いなく」


 両親からの慰めの言葉に、エルゼは淡々と返した。


「ねぇエルゼ、俺の何かを残念がられているのは気のせいじゃないよね?」

「気のせいですよ。そんなことより、せっかくのご馳走ですから、温かいうちに遠慮なくどうぞ」

「……うん。いただきます」


 はぐらかされてしまった感は否めないが、追求しないことにした。

 自ら進んで傷付きにいくことはしない。


 夕食の後は、エルゼとクラウスは居間で楕円形のテーブルを挟んで向かい合わせに座り、今後について話し合った。


「これからどうしましょうか。クラウスさんの故郷に挨拶に行くとしても、すぐには行けません。仕事もありますし、最低でも半年は猶予をいただけると嬉しいのですが……」


 エルゼは浮かない顔で少し申し訳なさそうに伝えた。

 これからどこで暮らすかはともかく、クラウスの故郷に挨拶に行くだけでも片道半年以上はかかる。今の仕事は辞めるか休職せざるを得ない。


「あぁ、別に仕事は辞めなくていいし、これからもここに住んだら良いよ。俺このあたりに住むつもりだし」


 笑顔で軽く答えるクラウスに、エルゼはポカンとなる。


「へ? でもあの、ご挨拶に行かないというのは、さすがにどうかと思うのですが……」

「両親は数年前に亡くなってるんだ。それからずっと、俺は旅の薬師として生きてきたから、もう故郷に戻る必要はないよ」

「そうでしたか……」


 明るい表情と声色をしているけれど、彼からは負の感情が伝わってくる。エルゼはクラウスの境遇に胸を痛めて俯いた。

 物悲しい気持ちを抱きながらも、ここから離れなくていいことに安堵してしまった。


 今の仕事は彼女にとって天職だから。




 ***




 翌日の朝。エルゼは仕事に向かうため身支度を整えていた。


 長い銀色の髪はハーフアップにする。白い襟付きのシャツ、膝丈の紺色スカートに黒タイツ。胸元に赤いピンバッジのついた紺色のジャケットを羽織れば、勤め先である冒険者ギルドの受付嬢の完成である。


 支度を終えて朝食の場にやってきたエルゼに、クラウスはほんのりと頬を染めた。


「受付嬢オーラが出てるね。君、絶対にギルドで人気でしょ」

「ふふっ、よく分かりましたね。実は昨年度の実績トップなんですよ。人の才能を見抜く力は誰にも負けない自信があるんです」

「それはすごいね」


 クラウスは『そういう意味で言ったんじゃないんだけどな……』と思ったが、腰に手を当てて得意げに語るエルゼの話に、にこやかに耳を傾けた。


 昨晩、今後のことを話し合った時に、彼はこの家に住むことが決まった。

 昨年家を出たエルゼの兄が使っていた部屋が空いていたので、そこを使うことになった。

 エルゼの兄は番を求めて旅立った後、めでたく結婚して異国に腰を落ち着けたので、もう戻ってくることはない。



 手早く朝食を済ませた後、エルゼは制服の上から分厚い黒いローブを羽織った。

 ギルドへ行くには森を抜けないといけないため、首から魔獣除けの香袋を下げて護身用の短剣を腰に携え、頑丈なブーツを履く。


「それでは行ってきます」


 彼女は一足先に一人でギルドへ向かい、クラウスは自作の薬を携えて、後からダンと共に向かう予定だ。

 ダンはクラウスと同じ薬師である。


 銀色の髪を左右に揺らして元気に走っていく後ろ姿を、クラウスはじっと見つめていた。

 エルゼの両親は複雑そうな表情を浮かべながら、その姿を見守った。

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