アイハブ愛
あるところに、結婚をしてまだ日の浅い、とても仲の良い新婚夫婦がいた。
「君は本当にいつも可愛いね。」
「あら、あなたもいつもハンサムよ。」
二人はいつも仲睦まじく楽しそうに笑い合い、誰が見ても、幸せそうな夫婦に見えた。
住んでいる家はお世辞にも良い家とは言えなかったが、そんなことは彼にとってはどうでもよかった。とにかく彼女さえそばに居てくれれば他には何もいらなかった。
世の中では、年々結婚できない男女が増えつつあった。それは自己中心的な人間が増え、相手に対する理想や要求の肥大化が止まることを忘れたことに原因があった。そして、肥大化しすぎた理想や要求に対応できる人間は、もはやこの世にはほとんどいなくなっていた。
昔は流行った結婚相談所やマッチングアプリも、理想の相手なんか見つかるわけがないと、もう誰も使わなくなっていた。人間の人間に対する理想と現実の乖離が、今まで類を見ないほどに広がり、深刻な社会問題となっていた。
だが、この二人はそんな深刻な問題とは全く縁がないように、お互いがお互いを認め合い必要としていた。
まだ若い男には、そこまで稼ぎはなかったが、彼女のために毎日必死で働いた。彼女はそんな男を時に献身的に支えていた。
男は言った。
「ねぇ、A子。出会った頃、僕は嘘が嫌いだって言ったよね。それで僕達の間では隠し事なんてしないって言う約束だったろう。けど、すまない。実は今君に一つだけ、隠し事をしているんだ。」
「あら、なにかしら。」
「怒らないで聞いてくれるかい。」
「ええ。私はあなたのことなら何でも受け入れるわ。私からあなたの元を離れるなんてことはしないわよ。」
「嬉しいよ。実は、君に内緒で貯めていたお金で、君が欲しがっていたタンスを買ったのさ。ずっと欲しいって言っていた、可愛い手彫りのあのタンスさ。」
彼は俯き少し照れながら言った。そして彼女の顔を上目遣いで見た。すると彼女は光悦の表情を浮かべ、心の底から嬉しそうにしていた。
「あら、こんなことってあるのかしら。私すごい幸せだわ。あなた、私、あなたに出会えて本当に良かったわ。私、世界一の幸せ者だわ。」
女は一筋の涙を頬に伝わせながら、彼に抱きついた。その瞬間、彼の全身をこれ以上ないくらいの幸福感が一気に駆けめぐった。
「君のためなら何でもするよ。」
男は彼女の頭を撫でながら小さな声で、彼女の耳元で囁いた。
その時、プレレレン、プレレレンとタイマーが鳴る音がした。それと同時に彼女はスッと男の胸から離れた。彼女の顔は先程の光悦した表情とは180度真逆の冷徹な顔になっていた。まるで別人のように、纏っていた雰囲気を含め全てがあの音でガラリと変わった
「あ、もう時間なのか…。ねぇ、一つだけ聞いてもいいかい。僕たちの間には隠し事はないって言ったよね。これを聞いたら規則違反になるのは知ってるんだけど、どうしても気になるんだ…。君は今何人の夫がいるんだい。」
「タンスも買ってくれたことだし、いいわよ、教えてあげる。30人程ね。それと、振り込みはいつものところにお願いね。そのタンスは業者に引き取らせにくるから。」
女はそそくさと部屋を出ていった。窓から外を見下ろすと、黒くテカテカした車が彼女を迎えに来ていた。
男は寂しげにTVを付けた。TVには賑やかなCMが流れているところだった。それは、キッチンで料理をする若くて綺麗な女性に、背の高くハンサムな男性が寄り添って一緒に料理をしている映像だった。そして、テレビから流れ出る高い音声はこう言った。
「寂しいあなたに、理想的なお相手がいないあなたに、優しくハンサムな夫、美しく献身的な妻を貸し出し中。もちろんすぐに離婚も可能です。一週間の無料体験期間が付いています。必ずあなたの理想のお相手を派遣いたします。結婚したい人は是非こちらまでお電話を…。」