9話 元使用人はだてじゃない。
ただそれでもやはり、なかなかここでの生活に慣れることはできなかった。
朝食の時間を終え、シルヴィオ王子が城へと出向いて以降のこと。昼食を終えたあたりで、私は再び手持ち無沙汰になる。
「……昔の私、なにしてたっけ」
ここへきてからというもの、大半の時間、似たようなことばかりを考えている。
私はほとんど常に、することを探していた。
ひと月後に控えている王子との婚姻式への準備や、聖女としての訓練など、やるべきことが控えているとは聞かされていた。
けれど、ひとまずこの屋敷の生活に馴染むことを優先してほしいとの配慮で、現状はなにの課題も与えられていない。
シルヴィオ王子の父、つまりはシーリオ国王とそのお妃・ビクトリア様への謁見も、王の体調がすぐれないとのことで延期となったままだ。
つまり手持無沙汰――。
だから、淹れてもらった紅茶を啜って、令嬢らしく優雅な時間を過ごしてみようとはするのだけど……
使用人として働き詰めでやってきた身体は、なかなか落ち着いてくれなかった。
自室として与えられた部屋の蔵書に、とりあえず手をつける。
しかし、めくっては閉じるだけで身が入らない。
「……あら、これって」
そんな折、それは目に飛び込んできた。
一冊の歴史書、たまたま開いたページに書かれていたのは、先代(と言っても、100年以上前の話だが)の聖女に関する記述だ。
そこには、
『特殊な魔力を使い、枯れた草木を一瞬にして蘇らせたり、ものを浮かせて見せたりした』
とある。
さらに続けて、詠唱内容までもが記されているではないか。
心がざわりと揺れる。
聖女としての特別な魔力が自らに宿っていることは、この前いっさいの手がかりがない状態からミケの居場所を見つけられた一件で、なんとなく分かっていた。
けれど、あの時はミケの無事を祈っただけで詠唱はしていない。
「詠唱をしても魔法が使える……ってこと?」
聖女の魔力については、まだまだ謎だらけだ。
私の手が白く輝いたのは、あれきり。もしかしたらあれは魔法などではなく、ただのまぐれだったという可能性もある。
試してみたい、と思わないわけではなかったが、もう28の歳だ。
やっていいことと、してはいけないことの区別くらいついている。
おとなしく本を閉じて、しかしやはり落ち着かず、ついつい廊下へと出る。
「少し中を見て回ります。すぐに戻りますから」
外で待機していた侍女にこう告げて、部屋を後にした。
とはいえ、あまり堂々と練り歩いて偉そうにしていたのでは屋敷で働く方々からの印象が悪くなりかねない。目立たぬよう静かに、暇を余してとぼとぼと歩いていると……
「うーん、どうしましょうか」
「そうねぇ、ここまでほつれてしまったら、もうダメかしら」
「そうですよね。残念だけど今は、人手も足りないし諦めて若様にご報告するほかなさそうですね……」
角の奥から、メイドたちが会話するのが聞えてきた、ため息も漏れてきている。
あの位置にあったのは、たしか洗濯場だっけ。
本来なら、ここは声をかけるべきではない。
部屋でおとなしく紅茶でも飲んで家事はメイドに任せるのが正しい令嬢の姿かもしれない。
が、気付けばもう身体は動いていた。
勝手に魔法を使うよりはよほどましだ。
そう自分に言い聞かせ、角を曲がって声をかける。
「あの、どうかされましたか」
すると、しゃがんでいたらしいメイド二人が慌てたように立ちあがった。
「あ、アンナ様! どうして、このようなところに……?」
「えっと、まだこの屋敷に慣れていないので、少し見回っていたら声が聞えてきたものですから。それで、なにがあったんです?」
「そ、そうでしたか。大変お恥ずかしいのですが、じつは――」
と、メイドの一人遠慮がちに差し出したのは、一枚の衣装。
手触りのよさそうな絹で作られたのは、白色のジャケットだ。その見るからに高価な見た目からして、シルヴィオ王子のものなのだろう。
「若様は、こうした衣装を非常に丁寧に扱われ、何度も着られています。ですから、この衣装も大事にされていたものですが、洗濯をした際に糸を引っかけてしまったのです」
「……そうでしたか」
「申し訳ありません。アンナ様にお話することではありませんでしたね」
普通、一定の地位以上についている貴族は、こうした外行きの服をほとんど使い捨てのように着る。
毎度違う衣装で臨むことが、自身の権力や財力を示すことにもなるためだ。
それこそ、リシュリル公爵家でも、基本的にはそうしていた。
ずっと同じ服を使い続けているのは、私のように特殊な事情がある場合のみの例外だ。
それを王子が同じように何度も着まわしているのだから、よほど大事にしていたのだろう。
「あの、それ私がお借りしても構いませんか」
「……え、アンナ様にですか。どうされるおつもりですか」
「まだ縫い直せば、どうにか使えそうですから」
「しかし、アンナ様。そんなことをされてもしお怪我なんてされたら、シルヴィオ王子にどう顔向けすればいいか。それに、これはわたくしたちの仕事です」
メイドの二人は戸惑った顔をしていたが、
「大丈夫ですよ。針で怪我をしたのは、もう5年前が最後ですから」
そんなヘマはもうありえない。
私だって、だてにこき使われきたわけじゃないしね!
私がはっきりこう言うと、戸惑った顔やしぐさを見せながらも、ジャケットをこちらへ引き渡してくれた。
やっと見つけた、仕事らしい仕事だ。
私はジャケットを片手に、高ぶる心を抑えつつ、そそくさと部屋へ戻る。
心配だからとついてきたメイドに見守られながら、ほんの少しだけ妹の屋敷から持ちこんでいた荷物を開けた。
中に入っているのは、令嬢には無用の代物ばかり。
使用人時代に着ていた衣装や、掃除に使っていた小さなほうき、他には工具まで実用的な物ばかりがつまっている。
私はその使用人セットの中から裁縫セットを取り出して、椅子に腰かける。さっそく縫い物をはじめた。
まずほつれた糸を玉止めし、決して外には見えないよう、まつり縫いでとめていく。
「は、速い……しかも手際も私より全然いい……!? 早業すぎて、
「驚きました……!」
そこまで、大したことではないと思うのだけど。
もしかすると、妹・メリッサからむちゃくちゃな裁縫を押し付けられてきたことや、レッテーリオにぬいぐるみを縫ってやってるうち、知らずのうちに腕が上がっていたのかもしれない。
私は短時間で、丁寧に仕上げて、修繕を終える。
縫いなおされたジャケットを見て、メイドの二人は感嘆の吐息をもらす。
「すごい、最初からほつれなんかなかったみたいになっています! ほとんど神業……」
「アンナ様、お美しいだけじゃなく、こんなお力まであられたなんて。これも聖女のお力……?」
これには、苦笑するほかない。
『美しい』は当然お世辞として、裁縫についても神様からなにのご加護を受けたわけでもない。ただただ、しがない使用人が生き延びるために掴んだ技だ。
「単に、少し覚えがあっただけのことですよ」
まさかここまで褒められるようなこととは、まったく思っていなかった。
妹には苦言ばかり呈されてきたから、てっきり下手なものだとさえ思っていたくらいだ。
「少しなんてものじゃないですよ! そもそも、あなたのような高貴なお方にこうして家事を買って出ていただくことだけでも、ほとんどありえないようなことですのに」
「大げさすぎますよ。ちょっと暇があっただけのことです。よかったら、他のお仕事もお手伝いしましょうか? 心得と体力だけなら有り余っていますから」
メイド二人は顔を見合わせたあと、何度も首を横に振り、固辞した。
至極、自然な反応だと言える。
私がこれまでどんな生活を送ってきたか知らない彼女たちからすれば、私も一人の公爵令嬢なのだ。
けれど、
「あの、玄関が猫たちに荒らされちゃって……どうしましょう」
そこへ別のメイドがヘルプを呼びにやってきたことで、態度が軟化していく。
人手が不足している状況だろうことは、明らかであった。
恐る恐るといったように、上目遣いに私の反応を窺ってきた。
「えっと、アンナ様……。実は使用人の一人が急な熱で寝込んでおりまして、よかったらお手伝いなんて――」
「私は全然かまいませんよ。むしろ、暇を持て余していたくらいですから」
むしろ渡りに船だった。
すぐに快諾すると、メイドたちはみな表情を明るくしてくれたのであった。
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