35話 王も王妃も私を認めてくれているらしい。
「あぁ、さっきはごめんなさいねぇ。一目見たら、どうしても抱きしめたくなってしまったの!」
屋敷の中へと入ってから、シーリオ王は落ち着きを取り戻してくれたが……ヴィクトリア王妃の調子が落ちることは、まったくなかった。
その気分をグラフにするならば彼女の線は、私のはるか上を常に推移する。
屋敷内をじっくり見て回ったのち、昼食のために食堂に入ってもまだ持続していた。
料理を待つ時間も、彼女はまくしたてるみたいに喋ること喋ること。
シルヴィオ王子とシーリオ王は、もはや慣れきっているらしい。一つも口を開かず、食前酒のワインに口をつけていた。
「あぁ今日は最高の日ね。あなたみたいな美しい子が経緯はなんであれ、シルのお嫁にきてくれたんだからとっても嬉しいわ! それに、ずっと会いたかったんだ~」
こう頬を紅潮させるヴィクトリア王妃の姿に、抱いていた幻想が現在進行形でがらがら崩れていく。
彼女は、国の女性の誰もに憧れられる特別に高貴なお方だ。
王のお妃さまとして政治に経済に華々しく活躍されているだけでなく、その美貌は歳をいっさい感じさせない。
行事ごとなどで王の横に立っているときは、その立ち居振る舞いに威厳すら感じていたのだけど……それがまさか、話してみたらここまで自由な方だとは思わなかった。
「いえ、私はそこまでで言ってもらえるような人間ではありません。ヴィクトリア王妃の方が、よほど綺麗ですよ」
「あらあら嬉しい! でも、アンちゃんも本当に可愛いし、聖女様としても有望だし。そうねぇ、シルから奪って持って帰りたいくらい!」
まったくついていけず私が圧倒されていたら、ここでシルヴィオ王子はワイングラスを置いて、母の暴走を止めにかかる。
「母上、アンナ様は渡しませんよ。俺の妻ですから」
「きゃ、なになに? もう二人は意外と熱々!? そこのところ聞かせて!」
が、任務失敗。
それどころか私まで王子の発言にとばっちりを食って、頬がじりじり熱くなっていくのだから困った。
その一連のやり取りをシーリオ王が鼻で笑う。
空気感が緩くなったところで、食堂の扉がノックされた。
もしかしたら見計らっていたのかもしれない。
ちょうどいいタイミング、料理が運ばれてくる。といって、レシピを考案したのも、準備を行ったのも私だからなにが運ばれてくるかは事前に把握していた。
まずは前菜のライスコロッケ。中にはチーズやトマトペーストだけでなく、オリーブを入れることでちょっとした食感や味のアクセントもつけている。
そしてメインの一品目は、山椒を練りこんだ麺を使ったトマトパスタ。干しエビを砕いてペースト状にし、ソースに使用してあるのが特長だ。
……とこのように、少しでも非日常の味を楽しんでもらうためメイドたちとも懸命に考えたコースである。
それでも、シーリオ王とそのお妃さまがお相手だ。
どんな高級料理を食べているかわからないため、不安は尽きなかったのだけど、二人も満足そうにかつ驚きながら食事を楽しんでくれていたから、私はほっと胸をなでおろす。
「はて。過去にこんな料理が出ることがあったか?」
とくにシーリオ王は気に入ってくれたらしい。
息子であり屋敷の主であるシルヴィオ王子にこう尋ねる。
「アンナ様がご提案し、メイドたちとともに調理もしていただきました」
彼がこう言うと、ちょうど給仕に来ていたマキさんもしかりと頷いていた。
「ほう、アンナさんが手ずからこれを……。まさかあの奇跡みたいなポーションを作れるだけでなく、料理まで覚えがあるとは、いやはや驚いた」
自分から申告するつもりはまったくなかったから、私はシーリオ王の視線がこちらへ向くのに、思わず肩を跳ねさせる。
いくら元使用人とはいえ、仮にも聖女かつ王子の妃となる令嬢が、今の私だ。
それがメイドに混じって調理など、はしたないと言われる可能性もある。
そうびくびくしていたのだけど、シーリオ王はむしろほうれい線の皺をさらに深めて温和な笑みを見せてくれた。
「このような料理はあまり食べたことがない。ほどよいアレンジも効いていて、とても面白い。どこかで修行でもされていたのか」
しかも興味津々といった様子で、こう尋ねてさえくれる。
こうなったら、下手な言い訳をしたところでうまくいかないのは目に見えている。私は腹を括り、湧きだした唾を飲む。
「えっと、一応前は北方の地域におりましたから……。妹・メリッサの嫁いだステッラ公爵家の屋敷におりました。そこで、さまざまな料理を学ばせていただきました」
使用人として馬車馬のごとく使役されていたことなど、悲惨な詳細についてはぼかせど、訳を明かす。
すると、王は顎髭に手をやり、ふむとひとつ頷いた。
「なるほど、ステッラ家ということは北方料理の知識が入っているのか。たしかに辛味の強い料理なら体も温まる。そんな知識を公爵家の令嬢が知っていようとは。実に素晴らしいことだ」
そういうシーリオ王こそ、なかなかの博識だ。
そういえば、メイドたちが言っていたっけ。王は、かなりの食通であると。これはたしかに、普通の料理では満足しないかもしれない。
その後もシーリオ王は、今まで寡黙だったのが嘘かのよう、饒舌に料理知識を語るとともに、次々にワイングラスを空ける。
やはり親子だと思ったのは、その横顔だ。
猫と戯れている時のシルヴィオ王子とどことなく似ていて、妙なほど真剣かつ楽し気に見える。
ヴィクトリア王妃は、それをしょうがなさそうに、でも少し微笑みながら聞いていた。
その仲睦まじさに私がほっこりとしていたところで、「そういえば」と王はカトラリーを一度置いて話を切り替えた。
「たしか、メリッサ・リシュリルの話ならば最近耳にしたよ。なんの件だったかな」




