26話 えっ、奥方さま?
数日ののち、聖女の魔力を使いこなすための研修は、予定通りに一度幕を閉じることとなった。
シルヴィオ王子に聞けば、「婚姻式への準備を進める必要があるから」との理由で、今後も必要な場合があれば魔法に関することは、オスナがサポートをしてくれるそうだ。
ちなみにケイミーはといえば、よく理由は知らないけれど、シルヴィオ王子が乗り込んできた翌日、自ら指導担当を辞任していた。
そのため、オスナが専任ということになる。
「これからもお願いいたしますね、アンナ様。僕はあなたのためであれば、どこへでもいつでも駆けつけいたします」
……別れの握手を交わした際、オスナはなぜか頬を朱色に染め目を輝かせながらこう言っていたけれど、さすがに大げさすぎる。
その勢いには少し気圧されたけれど、頼もしくはあった。
彼はすっかり改心してくれたらしい。
ただではいかない10日間だった。
だが終わってみれば、とりあえずはうまくいったと言える。
「天におわします神よ、この祈りに応えて聖なる癒しの力を与えたまえ!」
昼下がりのお屋敷内。
私は自室で呪文を唱えて、聖女の魔法『白光治癒』を発動させる。
すると、皿のように作った手のひらの上から発されるのは、まばゆい光だ。
それを落とさぬよう慎重に、用意していたガラス瓶へと入れる。
最後にコルクで蓋をすれば、ポーションの完成だ。
これこそ、今回の魔法訓練の最終目標であったヒール魔法である。聖水よりも、明白にそれぞれの症状に効果がある。
オスナの指導のおかげもあり、無事に習得することができていた。
「効能別にいろいろ作れるのも嬉しいかも」
いくつかポーションを作って並べて、私はそれを観葉植物よろしく眺める。
そうしていると、ふと開け放ちにしていた扉の奥、廊下の方から深い溜息が聞えてきた。
なにごとかと見に行けば、執事であるカルロスが右手を左肩にやって、ぐりぐりと押し込んでいる。
「アンナ様、いかがいたしましたでしょうか」
私に気付くと、さもなにもなかったかのごとく道の端に行き、頭を下げて見せる。
しかも、その顔には疲れの色を隠せない。
王子だけでなく、そのお付きの執事も色々と大変なのだろう。隠せないほどとは、よほどらししい。
ならば、と私はすぐに考え至った。
「ちょっとカルロスさんに用事があったのです。私の部屋に来ていただけます?」
「かしこまりました、奥方様。なんなりとお申し付けください」
「え、なんでしょうか、その呼び方は」
「もう二週間もすれば婚姻式でございます。晴れてあなたは、王家の一員となられる。それ相応の呼び方をするべきかと思った次第です」
たったひと月ほど前には、使用人として半ば下人のように扱われていたことを思えば、その呼び方は全然肌になじんでくれない。
この私が奥方様……。それもシルヴィオ王子のお妃……。
とうに分かり切ったことだったが、人にそう呼ばれるとこそばゆいったら。ぞわっと、かつ、どきりと心臓が跳ねる。
恥ずかしさで頭がいっぱいになったせい、
「それで、奥方様。私めにご用とは、いかなことでしょう」
カルロスがこう聞き返してくれなかったら、危うく本題を見失うところであった。
「そうでした。カルロスさん、さきほど肩を気にしていらしたでしょう?」
「……そのような事実はございません」
「いいのですよ。隠さずとも、あなたがいくら優秀な執事だとしても、身体に痛みが出る年頃なのは私はよく分かります」
なぜならば、歳が近いからだ。
まだ30になっていないとはいえ、なにかとガタが来始めるころ合いなのはこの身でもって、若い頃との勝手に違いは痛感している。
「……たとえば、そうだとしましょう」
カルロスは頑なに認めないまま、少しだけ垂れた前髪を頭の上にかきあげる。
少し挙動が多くなったあたり、当たっているらしい。
「使用人一人の体調など、奥方様が気にされることではございません」
「いいえ、使用人の体調管理は同じ屋敷ですごすものとして、看過できません。こちらへいらしてください、ちょうどいいものがございます」
「ですが」
「これは指示ですから」
普段は絶対にこんな強引なことはしないけれど、今回ばかりは『奥方』権限を使わせてもらい、カルロスを自室へと呼び込む。
引き続きよろしくお願いいたします!




