15話 あなたが私を照らしている。
シルヴィオ王子に導かれ、時たまは手を取り助けてもらって。
私たちは、さらに高いところへと山の中をのぼっていった。
そうして歩くこと約30分ほど。
そこに待ち受けていたのは、一面に広がる壮大な景色であった。
シルヴィオ王子の手作りらしいベンチに座って、私たちはそれを眺める。
「俺はこれを見に来ていたんだ。これなら、嘘じゃないとわかってもらえますよね」
「……これって王都ですか」
「えぇ、そうです。綺麗でしょう? 少なくとも、俺はそう思っている。そのために、わざわざ屋敷を抜け出してくるくらいには価値のあるものだと。山なんて――とは言えないでしょう?」
こくり、一つだけ首肯する。
私はすでに半分、目の前の立派な光景に呑み込まれていた。
魔導街灯や家々の生活灯の光がぼんやりと滲んで川みたいに連なるのも、その上空で星が瞬き月が輝くのも、夜空の黒だって、なにもかもが美しく見える。
食い入るように眺めていると、シルヴィオ王子が言う。
「断じて浮気ではない。ここからの光景を見せるのも、あなたがはじめてだ。信じていただけますか、アンナ様」
「……じゃあ、やたらと私に優しかったのはどういう? てっきり償いなのかと思っておりましたが」
「はて。そうでしょうか? そこまで特別に接した覚えはありませんが」
……なんと、まさかの無自覚だった。
特別すぎるくらい、寛大かつ甘い対応だったと思うのだが、
「未来の妻に対する対応としては、今のままではまだ足りないかと思っていたくらいだ。本当ならもっと手厚くしたいくらいです。ご要望があるならば、なんなりとお聞きいたします。食事でもベッドの質でも部屋のことでもなんでも」
いつか、メリッサへ下す罰を考えていた時と似ている。また、シルヴィオ王子は一人でうんうんと考え出す。
カルロスが心配ないと言っていた理由がわかったかもしれない。たぶん側近として、この真意を知っていたのだろう。
「………そ、そうでしたか」
わずかながら胸にあったしこりがとれて、なんとなくほっとしてしまったりする。
私はどうやらシルヴィオ王子が誰にも会っていなかったことに、安堵しているらしかった。
それはあまりに未知な感情で、遅れて恥ずかしさが大挙して襲ってくる。
私はそれきり言葉を失ってしまった。
膝上で丸くなっていたミケを撫でることで間を繋ぐ。
すると、シルヴィオ王子がポケットから二つの布袋を探り出してきた。
一つの袋には猫用の干物が入っており、ミケはたちまちそれに夢中になる。そしてもう一方には、クッキーなどの焼き菓子が入っていた。
それも、どっさり大量だ。
「召し上がられますか。こっそり夜食用に取っておいたものなんです」
「もしかして、いつもこれをお夜食に?」
「ははっ、痛いところをつきますね。はい、ここへ来る時はいつもです。夜景を見ながら食べると、より美味しく感じますから」
朝食の量を私に合わせても問題なかったわけだ。
これだけ食べれば、一食分以上は軽く超えてくる。
どうぞと勧められて、私はそのうちの一枚を遠慮がちにいただく。
この時間にこれほど甘いものを口にしたのはいつぶりだろう。もしくは人生で初めてかもしれない。
「…………罪深い甘さですね」
「たしかに。でも、だから美味しいのかもしれませんね。この背徳感に引き寄せられてるのかもしれない」
「王子らしくない発言ですね?」
「冷静沈着で決断力があって真面目――。そんな誰もが思い描くとおりの『王子』をやってるのも疲れる。
俺は、誰もが言うみたいにそこまで出来た人間じゃないんですよ、本当は。こうして屋敷も抜け出すし、クッキーがない時は、その辺の果実だって食べる」
そういうと王子は空を仰ぎ、まるで飲むみたいに一枚、また一枚と次々に頬張っていく。
初めて見る側面だった。
若いのにどこまでも完璧な人だと思っていたから、まさかの顔だ。
横から見ていたら、その様子はまるで甥っ子のレッテーリオみたいに見えてくる。なんて思ったせい、ついハンカチを取り出して横から差し出してしまった。
「……あ、えっと、どうぞお使いください。頬に屑がついていますよ」
シルヴィオ王子はぽっと頬を赤らめ、それを受け取る。
そののち、額に手をやり、痛恨といった顔になる。
「アンナ様。もしかして俺のこと、子どもだと思いました?」
「…………えっと、少しだけ」
いくら私の方が4歳も年上とはいえ、20を超えた男性を子ども扱いはまずかっただろうか。
「ま、まぁでも、いくつになっても美味しいですよね」
少し焦った末、私は数枚のクッキーをもらって全てを口に詰める。
28になっても、美味しいものは美味しい。
そうアピールして『子供っぽい』発言を誤魔化すだけのつもりが、シルヴィオ王子は私の顔を見てなぜか再び額に手をやる。抱え込むように膝に肘をついて、大きく深呼吸をした。
「…………アンナ様、その顔はずるい」
耳まで赤く染めて、ぽつりと一言。夜空に落とすみたいに言う。
「え、そんなに変な顔になってますか」
「そうじゃない。そうじゃなくて、変ではなくて可愛らしい、というか……。まったく、それで無自覚なんだから困る」
可愛らしいと確かに聞き取れた。
私は頭の中で反芻して、勝手に理解する。
きっと、色気がないという意味だろう。そうでなければ、20代後半の女に言うには、意味が通じない。
「えっと、申し訳ありません……?」
訳もわからずとりあえず謝罪する。
それを聞いた王子は一度その金色の髪の毛をかきむしると、「あぁもう」と天を仰ぐ。
それから、彼の右手が私がベンチに突いた左手に触れた。
が、あくまでそっと、ほんの少しだけだ。小指の先のみが重なり合う。
「これくらいはいいですか。1ヶ月後には夫婦なんだから」
子どもだ、甥っ子みたいだ、と思ったばかりだけれど撤回だ。
レッテーリオと指を重ねても、私の心臓はここまで高鳴らない。呼吸が浅くなったりもしない。こうも頭が回らなくなるのは、彼が大人の男であるからだ。
唾を飲みこんでから、なんとか質問に答える。
「シルヴィオ王子が嫌でなければ、私は」
「嫌だなんて思いもしないさ。むしろ、ずっとこうしていたいくらいだ」
1秒がなかなか過ぎていってくれない。
そう思うほど、時間の流れが遅くなって思えた。
小指の先に感じる仄かな温もりが、夜風で冷えた体をじんわりと熱くしていく。
それだけでも、私には十分すぎるくらい緊張していた。だのに、お次とばかりシルヴィオ王子ははっきりと手を握る。
「俺、ここから王都の営みを見るたび、いつも強く思うんです。争いごとも権力争いも、戦もなにもかもなくなればいいのに、と」
そして、こんなことを言うから私は彼の横顔を見遣った。
その凛々しい瞳を夜景に向けて細めながら、ふっと短い溜息がつかれる。それと同時、その指には力がこもる。
「ただ平和な日々が続くならそれが一番いい。生涯を添い遂げるような誰かとただ穏やかに暮らしたい。……なんて半分夢物語ですね、笑ってください」
すぐに私の方に顔を振り向けて、こう茶化して笑うのだけど、冗談ではないのは明らかだ。
たしかに夢みたいに大きな話だ。
けれど彼は本気でそう願っているし、それを曲げるつもりもない。
その強い意志が、ひしひしと伝わってきていた。
「笑いませんよ。私はとても素敵な夢だと思います」
その思いを込めて、今度は私の方から彼の手に小指を重ねて、指先だけで遠慮しつつも握り返す。
私だって、そうなればいいと思う口だ。
自分が不条理に虐げられてきたこともあるけれど、それだけじゃない。シルヴィオ王子だからだ。彼がそれを叶えたいと言うのなら、少しでも力添えをしたい。
妻としてとか聖女としてではなく、一人の人間として、アンナとして、単にそう思うのだ。
「アンナ様、あなたという人は本当に眩しいな」
「……私が?」
「えぇ、あなたが俺を照らしている。あなたの光があれば、俺はもっと前に進める。この先も俺のそばにいてくれますか」
「えっと……シルヴィオ王子が迷惑でないのならば」
「またそれだ。だから、俺はむしろそれを望んでるんだ」
春、深夜。
空気はまだまだ肌寒かったのだけど、心のほうは違った。
どうしようもなく火照って、しばらくは冷めてくれなさそうだった。
一章、ここまでです!
明日から二章に入ります。
よろしくお願い申し上げます。
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