第七十二話「覚悟の準備を」「しておいて下さい!!」
「訴えるだと!?」
時は少し遡る。
勇者が住む大豪邸の一室に大きな怒号が響いた。
「ええ、我ら全員は、貴方が犯してきたことに対して罰を求めます。理由については……言わなくても分かるかと思います」
王国の最高戦力であるカムイの鋭い眼光を真正面から受けながら、動じることなく対面している貴族は話を続ける。今の彼は覚悟が決まりきっていた。
「貴方のせいで我らの娘や妻の人生は最悪なものとなった。中には自殺をはかろうとした者や、婚約破棄になり心を病んだ者もいる。これ以上、貴方を好きにさせる訳にはいかないんですよ」
カムイの魔の手にかかり再起不能になったのは貴族の令嬢だけではない。平民の娘やまだ幼さが残る少女、更には人妻にも手を出していた。
勇者と平民という立場の圧倒的格差から、平民の被害者たちは非難の声をあげる前にムダだと諦めてしまう。貴族たちの訴えが目立っているがそれは氷山の一角。表面化していないだけで、実際はそれ以上の被害者がいる。
「私は全ての被害者たちの代表として、貴方を訴える。既に弁護士に依頼し、裁判を起こす準備もしている。いずれ弁護士から書面が送られるでしょう」
「貴様ッ……これまで国王に泣きついて、金を積まれたら退散していたくせに今更こんな───」
そう。何度も国王に言った。
あの勇者の非道な行いを止めさせて欲しいと、繰り返し言ってきたというのに国王はそれに頷くどころか、金を渡すからそれで我慢しろと言った。
当然、食い下がった貴族もいた。しかし家の弱みを握られたことで、悔し涙を流しながらも家族より家の存続を優先せざるを得なかった。つまりは脅されたのだ。
「お前たち貴族は、家族の為に戦うことを捨てて、大金と王都での甘い暮らしを選んだ!! そんな最低の腰抜け共が今更戦うだなどと、国王が黙っていないぞ!!」
今度は脅されるだけでは済まないぞ、とカムイは言外に叫ぶ。
「あんな金、全て炉で溶かして捨ててやった!! それにこの件は女王陛下と第二王女殿下からご許可を得ている!!」
だが、対する貴族も負けじと最低なのはお前もだろうとばかりに叫び、その言葉にカムイは言葉を失った。
「我らはもう、家の存続などどうでも良いのです。貴方の言う通り確かに始めは家族よりもそちらを選んだ、だが今は……先代から継いだ当主としてではなく、娘の為に戦おうとしなかった愚かな父親の罪滅ぼしとしてっ……こうして最後の戦いをする為に立ち上がったのだ!!」
口止め料の大金を持って帰宅した時、人形のようになってしまった娘を抱き締めて泣きわめく妻を見て、彼は食い下がろうとしなかった自身を恥じた。
(当主として家の存続を優先するのは当然。それは貴族として生まれ、我が父から叩き込まれたこと……。しかし妻と結婚し、娘が産まれた時、私は誓ったのだ───必ず幸せにする、と。だというのに今の私は……っ!!)
結局、その誓いは果たされずに長い貴族生活を送る内に彼の頭から抜け落ち、彼は『父』ではなく『当主』の在り方を優先してしまった。
───人は一度でも甘い汁の味を覚えたら忘れられないし、離れられない。だが、それでもアンタの心の片隅に、奥方や御息女を想う『男』としての心が欠片でもあるのなら、俺からコレを……勇者と戦う為の『力』をやるよ───
そして突如来訪した若い黒髪の男の言葉で目が覚めた。
渡されたのは女王と第二王女からの手紙。もし立ち上がるのなら、裁判の時に協力することを約束するという内容だった。男は第二王女の私兵で、今は政務で手が離せない第二王女の代わりとして来たのだ、と。
彼はもう迷わなかった。差し出された手を借り、自身と同じように家族を傷つけられた者たちを集め、カムイと戦う準備を始めたのだ。
「───では、私はこれで失礼する」
言いたいことは言った。彼は席を立ち、早く戻ろうと部屋の扉を開け、
「あら、私に挨拶無しで帰ろうとするなんて不敬じゃないかしら?」
妖しく輝く赤い『視線』を見た彼の意識はそこで途絶えた。
「カトリーナ、聞いていたのか」
「聞くもなにもお互いあんな大声で言ってたら嫌でも聞こえるわよ」
ふらふらと帰っていく貴族を窓越しに見ながらカムイは隣に立つ女性に言うと、その女性は呆れながら答えた。
「不味いことになった。まさか、女王まで動き出すなんて」
「母上だけでなくジブリールまでも、ね。あんな芋女、私の代わりに黙って仕事だけしていればいいのに余計なことをして……。でもカムイ、裁判なら私とアリシアが動いてるから安心しなさい。少し前倒しになるけど、前から計画してたアレで貴方を勝たせるから」
「アレか……確かに、それがあれば勝てるな」
薄緑の髪に紫の瞳は妹である第二王女のジブリールと同じ。違うのはあちらのような長髪ではなくショートヘアーで、隈の無い光を宿した美しい目。欲望を隠さない笑みを浮かべているということ。
そしてパーティーがある訳でもないのに豪奢なドレスで着飾った王国の第一王女である彼女は、絶対的な自身を持って、不安そうな顔をしているカムイを落ち着かせる。
「そうか、うん。二人が動いてくれるなら安心だ」
「ええ。さっきの貴族も、私の『支配』でこちらの駒になったことだし、私たちの勝利はもう約束されたようなものよ」
だから大丈夫、と言ってカトリーナは自身の体をカムイに密着させる。
『支配』───それはカトリーナが生まれながらに持っている魔眼の力。視線を合わせた者の精神は、無条件にカトリーナの支配下に置かれる。
彼女はこれまでその魔眼を使って自身の欲望を満たしてきた。
「カムイ、貴方を支配出来ないのが残念だわ……」
「相変わらず恐い女だ。だが、その容姿だけでなく、欲に忠実な在り方も美しい」
二人は軽くキスをして抱き合う。
「神に選ばれた勇者とその子孫に祝福をもたらす『神勇教』。それを国教として定めることで、私たちの目的は果たされる。カムイ、私たちの目指す理想の世界はもうすぐよ」
「ああ、とても楽しみだ。カトリーナとアリシアと出会えた事を幸運に思う。愛してるよカトリーナ」
「まあ、カムイったら」
「ハハハ……」
すっかり不安が消え去ったカムイはそれ以上考えることを止め、二人で笑いあう。この世界で信用できる数少ない人を抱き上げ、そのままカムイは寝室へと入っていった。
「やっぱり『支配』されたか。どうにかできるのか、スレイの兄貴?」
『貴族街』の路地裏で黒髪の男が言う。
「その呼び方ヤメロ。……これはフェイルメールに頼むしかないな。お前は明日から監査だろ、ここは俺に任せてさっさと帰れ」
気を失った貴族を担ぎ、煙草の匂いを漂わせる男が答える。
「助かる。あとで売上げ貢献の為にまた食いに行くって、彼女に伝えといてくれ」
「一人で来られてもたいした貢献にならねえよ。団体で来い、団体で。その方がアンリスフィも喜ぶ」
「はいはい、分かったよ。じゃあまた後で」
話もそこそこに二人は互いに背中を向けて歩き出す。
「……『神勇教』ね。そんなの、自身を至上とするだけの悪教でしかない。これ以上勝手なことをしないようこの手で潰さないといけないな」
男はそう呟きながら一瞬にして服を変え、人混みの中に紛れる。
「そうだ。俺は勇者になる気は無いが、カムイよりはマシで、実力もある勇者の代わりになる奴が一人いたな。上手いこと二人をぶつけてみるか」




