第五十五話「………(カチカチカチ)」「鯉口うるさいわよ!!」
「なるほど、あれが別の型か……」
下層観客席の最前列でその姿を見ていた私は静かに呟いた。
「怒りとは湧き上がり続けるもの、一度でも怒りにのまれてしまえば化生への道を辿ることになる。ならば感情を糧にする特性を利用して、怒りにのまれる前に消費する……」
フィールドで炎を纏う刀を持った青年をじっくりと観る。
青年の中で怒りが湧き上がっては炎となって刀へと流れている。そこには一切の淀みもなく、でも薪を投げ入れて燃料も流し込みガンガン燃やすような、収まる気配のない激流のような勢いで変換させている。それほどの勢いでなければいけないほど、今の彼には余裕がないのだろう。
確かにこれでは『蒼白ノ水月』は不可能だ、例えるならあの型は精神を波一つない静かな水面のようにするもの。そして今の『炎還ノ水月』は煮え滾る地獄の釜からひたすら熱を奪って沸騰しないようにするようなものだ。少しでも吹きこぼれるような隙間があれば、そこから崩れる。
「だから私はそうならないようこっそり弟子の晴れ舞台を見に来て、こうして備えてはいたんだけど……うーん、あの様子だと不要かな? 私と修行をしていたときはいつもあんな感じだったし」
余裕がある方が良いのは確かだ。その状態が長引くほどドツボにはまる。しかし彼を見てるとそんな不安は全く感じなかった。
真剣に、必死に、食らい付いて課題をこなしてきた頃と同じ───心の支えとなる何かを宿した、綺麗な目をしている。そして彼の心に深く打ち込まれたソレを理解すると、思わずぷっと小さく吹き出した。
「釘、か。そっかあの子から釘を刺されたか。アハハ、そうだよねぇ。それなら納得だ。だったら大丈夫だ!!」
試合が始まる。
「勝つのはレンくんだ。そして心配なのは相手の方。うっかりレンくんの尻尾を踏んでしまったら大変なことになるねぇ、まあ私以外にもいつでもフィールドに踏み込めるよう備えてる優しい人がいるみたいだし、私は大人しく観戦しようかな」
見上げると最早個室と言ってもいい王族用最上層席の天井の上に、誰にも気付かれずに一人、遅れてまた一人と、半透明の姿で二人の何者かが現れた所だった。
「───ふぅん、あれとの真っ向勝負に勝つんだ。聞いていたよりはやるみたいだね。会う機会があったら手合わせしてしてもらうとして…………君のその胸の内は、いったいいつ隣の人に明かすんだろうね、カイト?」
■■■
レンの冒険者としてのランクは準A。確実にAに上がれる実力はあるけど、そのランクに上がるには普段の魔獣の討伐依頼だけでなく、多くの人々から称賛されるような実績が必要でまだそれを満たしていない為にこのランクとなっている。
実績としては過去の例をあげると、『災害級』と呼称される危険な魔獣の討伐や、戦場での目を見張る素晴らしい戦果、都市の救助ないし防衛、単独での高難度迷宮の踏破など、一介の冒険者では到底不可能な事案の達成をもって昇格となる。ここで多くの冒険者が躓き、無茶をして帰らぬ人となった者がほとんどだ。
「……それを乗り越えてやっとなれるA級、達人級の称号、一番人々に近い場所に立つ英雄」
Sランクの称号を持つ選ばれた人間───勇者や英雄の力は王族や、ほんの一握りの貴族が独占している。だから他の貴族や平民にとっては雲の上の存在であり畏怖の象徴だ。少しでも機嫌を損ねるようなことがあれば殺されるかもしれないと、強大な力とその後ろにいる権力が心に恐怖を植え付ける。
しかしAランクは違う。武器や防具、傷を癒す回復ポーションといった必需品を作る職人たち。助けを求めてギルドを訪れる依頼人。それを管理するギルドの職員。そこに所属する同業者。依頼をこなして日夜戦いながら数多くの人々と接し、依頼の過程での新たな出会いも経て、少しずつ築き上げる信頼関係から裏打ちされた絶大な人望がある。
どちらを頼り希望の光と思うのかは考えるまでもない。
今の王国国民は望んでいる。気に入った女に手を出し、大切な人を奪い、国王の権力の下で好き勝手に生きる勇者なんかよりも───
「レン、気付いてる? ここにいる観客のほとんどがあなたの勝利を望んでることに」
黄金と黒。二振りの剣と何度もぶつかっては火花を散らし、空気を振動させ、フィールドを揺るがす炎の刀。
あの状態の彼は武器に対して強化異法を付与しているだけで肉体は強化されていない。にも関わらず、聖剣によって常に補給される魔力を使って魔剣と肉体を強化した勇者の攻撃を容易く防ぎ、時には受け流してカウンターを入れ、攻めに転じる。
「勇者は好き勝手にやり過ぎた。国王はそんな勇者を庇っている。尊大な勇者に不満を抱いている貴族と、勇者とは名ばかりのクソ野郎だと断じる平民、他の都市はともかくとして……この王都で今の勇者に良い印象を抱いている者はあまりにも少ない」
だからこそ皆が思うのだ。もし、大勢の観客がいるこの場であの勇者が負けたらどれだけ爽快で痛快だろうか、と。
「ダメね。無茶はしないで、なんて言ったけど……」
レンが勇者と戦う理由が分かっているからこそわたしは嬉しくて、彼の主としてとかは関係無く今頑張っている彼を応援したいという気持ちが勝ってしまう。きっとそれが何よりも力になると信じて、わたしは声を張り上げた。
「レン!! あなたが売った喧嘩なのだから、勝たないと許さないわよ!!」
■■■
フィールドから生じる戦闘の余波から観客を守る結界が震えていることからその衝撃がどれだけ凄まじいかが窺える。しかもその原因が、魔法のぶつかり合いではなく、片や魔力で強化したもの、片や武器こそ強化されているがそれを振るう肉体には何も付与されていないものによる単純な剣撃だというのだから驚きだ。
(コイツ、これで準Aとか詐欺だろ。それに何が消耗してるだ完全に元気じゃないか!! 食い下がってるなんて話じゃない。少しでも気を抜いたら押しきられそうだ……っ)
カムイは挑戦者への認識が誤っていたのを理解し、
(流石は勇者、Sランクは伊達じゃない。幸い、手数で負けてるけど今はまだ対応できる。一先ずはこのまま押すふりをして様子見。あとは相手の出方次第で手を変えようかな、今は対魔法状態でもあるし魔法を使ってくれたら面白いものを見せられるんだけど……)
レンは冷静に相手の実力を測りながら備える。
まだ戦いは始まったばかり。まだ互いに本気ではなく、しかし後半からは戦闘が激化すると理解している。だからこんな序盤で時間をかけていたら体力が持たない。予想以上のレンの実力と、押しきられるかもという不安。今の状況を変えたいが為にカムイが早々に次の一手を打つと判断するのも仕方ないものだった。
一際大きく互いの武器がぶつかり、その衝撃でカムイがレンから距離をとる。
「見せてやる、勇者にのみ使える能力───『完全破棄』をフル活用した魔法戦闘を!!」
カムイがそう言うと様々な色に輝く大小の魔法陣が大量に展開されドーム状にフィールドを三重に覆った。
「これは……」
「さあ、死に物狂いで走り回るがいい!!」
そして、全ての魔法陣から一斉に魔法が放たれた。




