第百六十七話「絶対にあの人だ……」「絶対に彼女だね……」
カーウェル領───ワインなど酒に使う果実の特産地であり、それを求めて多くの貴族や商人が集まる。領主であるアドソン侯爵が住む大きな街『メティス』の宿の一室で、私は支度をしていた。
「この姿になったのは久しぶりかな」
帝都で登録した、準Aランク冒険者サクラの姿で、鏡の前に立ってつぶやく。
「さて……あとは、向こうの出方しだいか。まあ最悪その場で始末するとして。警戒すべきは───」
窓から宿の前に停めてある馬車を見る。
複数の衛兵が馬車を囲み、中を警戒している。そして馬車の中にいるのはついさっき私が洗脳して拘束したレンくんとルイズちゃん。二人に手を出すと洗脳が解けて暴れると伝えているから、むやみに触れようとはしないだろう。
「準備できました」
「───では、行きましょうか」
声をかけ、部屋の外で待っていた人物が入ってくる。
「荷物の検分は終わったんですね」
「はい。あの二人の武器については、彼が来るまでこちらで保管しておきます」
「わざと返さず、肉盾として使い捨てるようなことをしなければ、こちらは文句はありません」
「こと契約に関して、交わしたことに嘘偽りなく、あとから一方的に変更することはしない……それが侯爵様のモットーです。ご安心を」
アドソン侯爵の側近の男、アズマ。丁寧な物言いと礼儀正しい振る舞い。見れば誰もが好印象だと思える、整った顔立ちの好青年は、笑みを浮かべてそう答える。
「しかし驚きました。王国の新たな『抑止力』という若き剣士が、あの『撃鉄公』を粛清するべく帝国に来ていたとは」
「王国はよほど彼を殺したかったようですね」
「『勇者』と戦い勝利、複数の『穴持たず』の討伐実績に加え、かの『剣聖』が認める実力者……。なるほど『抑止力』と呼ぶに相応しい。彼がいれば『撃鉄公』にも対抗できるでしょう。よく洗脳できましたね」
「小さな女主人も、彼も、魔法は不得手なようでしたからね」
なるほど、アスマは頷く。
「最後の確認です。───あくまでも二人の所有権は私が持ち、アドソン侯爵に協力する。『撃鉄公』を倒した後は国外に逃げ遂せるまで護衛……これで合っていますね?」
「はい。国に見捨てられた以上、仮に『撃鉄公』を倒した後もこの国に残ったところで未来はありません。ならせめて、逃げながらも追手をあの『抑止力』殿に斬り殺させ、見捨てた意趣返しとして帝国の戦力を減らそう。それが侯爵様のお考えです」
改めて契約内容を確認すると、アズマは笑う。目線でなにか? と問うと、失礼しました、と目を伏せた。
「やけに何度も確認する人だと思いまして。そういう性格なのか、と」
「まあ、そういう感じです」
「そうですか。では、屋敷までお連れします」
そうして私はレンくんたちとは別の馬車にアズマと乗って宿を出る。馬車を見る街の住人たちは、まるで邪魔者でも見るような目を向けてくる。誰一人として、協力しようとする者はいない。
獣人移民の大量虐殺、その話が真実なのかを知る術は無い、しかし皇太子や『獣王』からもカイトの行いが認められているのなら、それは真実なのだろうとみんな思っているんだ。
だから誰も助けない。
そして、殺すと宣告された貴族たちは、助かるのなら相手が誰であれ手を伸ばすだろう。国に見捨てられたのならなにか爪痕は残したいと思うだろう。私はそう踏んだ。
普通なら『抑止力』を無断で他国に送り込むのは宣戦布告に等しい。でも、今この時この相手だけなら、レンくんの立場を明かしても問題無い。見捨てられた以上、もう帝国とは関係ないのだから。
(ここまでは順調……アドソン侯爵の屋敷にも入ることが出来た、あとは隙を見て侯爵をこの手で殺して、カイトが来るのを待つだけ……)
心労でまともに立てず、しかし生き延びたいと必死に懇願するアドソン侯爵に出迎えられ、夕食を済ませた後、客室に案内された私たち。武器は持っていかれたものの、レンくんやルイズちゃんも一緒の部屋にいることは許された。
「ツラいだろうけど我慢しててね」
拘束されたままの二人はソファに座りながら頷く。
「でも、武器が無いと落ち着きません……」
「なに言ってるの、そこにあるじゃないレン」
「それはそうだけど……定位置に無いと、こう……気になるというかで」
ちなみに、洗脳状態なのは嘘である。
「大丈夫だよ、ちゃんと元に戻るから。ロルフ、悪いけどジッとしててね?」
『ワフ』
大丈夫、と元気な声がルイズちゃんの拘束具から聞こえて頷く。みんな窮屈だろうけど、今は我慢してもらうしかない。
「それでオウカさん、いつ仕掛けるんですか?」
「とりあえず、今日はやらない。明日までは向こうの様子を見るつもり。レンくん、あのアズマって人……どう思う?」
アドソン侯爵の側近であり、侯爵の代理で私と契約を交わした男。悟られないよう注視してはいたけど、脅威と感じるようなものはなかった。でも、私ではなくレンくんならなにか分かると思って聞いてみると、
「戦えはすると思いますけど間違いなくこちらが勝てます。ルイズに対してなら、単純に大人と子供での力比べ、腕力や体格差で上回りますけど。……あとは───」
レンくんは少し考えて、違和感が一つあると言った。
「どうも、必死さが足りないというか……」
彼はアドソン侯爵の側近だ。しかし、真に忠実であるのなら、自分の主人が殺されようとしているのにあそこまで冷静でいられるのか、と。
街の住人のように、自分には関係ないからと見捨てるでもない。アドソン侯爵のように、絶望しながらも藁にも縋るように必死に手を尽くすでもない。
盤面を俯瞰していように、諦観しているように。
どこまでも静かで、冷静だった。
「確かに、すごく落ち着いていたわね……」
「私たちの前だから……って、感じでもないか。言われてみれば、あそこまで平静なのは、少し変だね。もしかしたら───」
「はい、私は真に忠実な側近ではありません」
突然、ここにはいないはずの者の声がした。
「っ!?」
「あなたは……」
「驚かせてしまい申し訳ありません。ですが、あなた方とは敵対する意思はありません。どうか落ち着いて頂けると幸いです」
部屋の扉の前に立ち、宿で話した時と同じ落ち着いた声で───アズマがお辞儀をした。
「夜分に失礼致します。侯爵様や、他の使用人たちが眠るまで待つ必要がありましたので」
「いつ、どこから話を聞いていたんですか……?」
「私に必死さが足りない、というところからですね。よく見ているなと感心しました。いい目をお持ちのようですね、若き『抑止力』殿」
「っ───」
レンくんが立ち上がり、腰を落とす。いつでも動ける体勢になるけど、
「繰り返しお伝えしますが、こちらに敵意はありません。それに『我々』は、どちらかと言えば皆さんの味方です」
「我々……?」
はい、とアズマは頷きながら胸ポケットからハンカチを取り出す。ハンカチの端の方に刺繍があり、それを見て私は目を見開く。
「小さく多種の紋章が円を作り、その中央には吼える獅子の紋章……まさか、あなたは連合の?」
「はい。私は……今や侵略され、帝国の領土となった敗戦国の末端兵士です。現在は、僅かに残った『連合軍』の残存する戦力を再編成したレジスタンスとして、ここ帝国で活動しています」
「レジスタンス……!?」
ここに来て、まさか別の勢力が出てくるとは思わなかった。もう連合軍は帝国軍に取り込まれたと思っていたからだ。
「『連合軍』は帝国騎士により多くが殺され、生き残った者は捕らえられました。ですが、運良く逃れた兵士たちが国の奪還・帝国への復讐を胸に、密かに活動を始めたのです」
「それがレジスタンス……あなた以外にも、帝国にはレジスタンスがいるの?」
「はい。ですが、特殊部隊『マクール』が我々の動きに勘づいたようで、今は身を隠す他なく。思うように動けてはいません」
『マクール』───確か、悪魔神像を見つけた時にいた四人の帝国騎士がそうだった。そしてそれを率いるのが『帝国四公』の一人、ガーシュ・オルト・クリシュナン……『悪路公』。
「あの、アズマさん……聞いてもいいですか」
「なんでしょう?」
レンくんが質問する。
「なぜ、帝国とあなた方は戦争することになったんですか? とある代物が原因である、ということしか王国は分からないままなんです」
それはカイトの真意の他に知りたかったことの一つ。今はカイトが所有し、帝国と王国の戦争を回避できる可能性があるという、なにか。それがどんな物なのか、アズマなら知ってると思ったんだろう。
「ああ、あれのことですか。…………なるほど、そうなるとその時点で王国の国王は姿を消したということですね」
「え?」
「いえ、こちらの話です」
アズマはなにか言っていたようだったけど上手く聞き取れなかった。コホン、と咳払いしてから彼は少しだけ眉をひそめて答える。
「王国そして帝国との戦力差に危機感を感じた、『獣王国』を除く、連合に属する各国の王が『抑止力』として秘密裏に作り出し兵器。名を───『ウロボロス』……最早、天災と呼ぶに相応しい、恐ろしい代物です」
詳しいことは分からない。
有るという情報も定かではない。
上層部がそれを作り出した、と不確かな噂話だけが、耳に入ってきただけ。
そしてどこから情報が漏れたのか帝国が宣戦布告。
帝国と連合国で戦争が始まると、上層部は勝ち誇った顔で最前線にその『ウロボロス』という兵器を投入。アズマは後方支援部隊として控えていて、そこで兵器がどんな代物なのか見たという。
彼は言う。───あれは兵器などではなく別の恐ろしいなにかだ、と。
「一度解き放てば、周りにある命を全て喰らう。無限に捕食を繰り返し、膨れ上がり続けるだけの、腐肉の怪物。起動したものの、上層部のミスで位置が誤っており『ウロボロス』はまず最前線にいた連合軍の兵士を飲み込みました」
語るアズマの手はかたく握り締められ、兵器の恐ろしさと、位置を誤った上層部への怒りで肩は震えている。敗戦した一番の要因は、この時だったのだと彼は言う。
「膨張し続け、帝国軍にもその魔の手を伸ばそうとした時に……一瞬だけ空が変わったんです」
「空が?」
「空が、そして世界が……黒と白だけの───白夜に」
「白夜……っ!?」
白夜という単語にレンくんが反応する。
「なにが起きたのかは分かりません。しかし、元の空に戻った時、山のように膨張していた『ウロボロス』の腐肉は中に埋もれていた『核』ごと両断されていました」
私も、レンくんもルイズちゃんも。脳裏には同じ人物の顔を思い浮かべたに違いない。白夜というのは分からないけど、山のような大きさの相手を両断するなんて、そんなふざけたことが出来るの人物を、私たちは一人知っている。
「『抑止力』として作られた兵器は、多くの味方の損失という、上層部が期待したものとは反する結果で終わりました。……あとは無傷の帝国軍に押され、抵抗する間もなくあっさり敗け。今に至るというわけです」




