第百六十ニ話「明鏡を割るもの」「止水に囁く翳り」
目が覚めると、僕は地面を見上げていた。……いや、どうやら、逆さまで宙吊りになっているようだった。
「う、ぁ……」
見れば枝分かれした太めの枝にちょうど右足が引っかかっている。更に上の方には半ばから折れた無数の枝。たぶん、落ちてきた時に当たって折れたんだろう。
「下……雪、なら……」
手放さなかった『月夜祓』で枝を斬り、地面に落ちる。受け身を取る余力がなく、でも積もった雪がクッションとなって、難なく落ちれた。
(確か、僕は───)
ズキズキと痛む頭に手を当てる。幹に頭でもぶつけたのか出血している。左腕は指先だけ動くが、それだけで動かせそうに無い。折れたのかな。肋もヒビが入ったか。
ここまでの負傷は、この世界に来て初めてだ。
……そうだ、僕はラウ・カフカに、やられたんだ。両目に焔を灯した彼女に、奥義を使ってなお、圧倒された。とっさに"竜跳虎臥"で出した竜虎を盾にしたところまでは覚えている。
周りを見回す。……どうやら森の方まで吹っ飛ばされたようだ。
(油断は、していなかった……むしろ最大限に警戒していた。だから"明鏡止水"を使った)
"明鏡止水"は感覚強化するだけで、身体強化しているわけではない。どれだけ感覚を研ぎ澄ませ技で対応しようとも、受けるも流すも不可能だと分かるほどの力を、彼女は宿していた。
でも、どんなに力で劣っていても攻撃の出始めという、最も威力と速度が低いタイミングなら、真正面からでも対処できると思った。
"竜跳虎臥"は呼び出した竜虎との二つの連携技による二撃決殺の異法。威力なら今の僕が出せる最大火力の異法だ。武器の破壊か弾くくらいは出来ると確信して、僕は立ち向かった。
(なのに、あの異様な加速は───……)
ジュリアンの特大包丁に土砂を纏わせた巨大な斧で薙ぐ直前を狙った抜刀。タイミングは完璧だった。ラウの斧を振る動作も予想通り遅かった。……なのに、なぜかいきなり加速した。
遅い初速を狙ったのに、最高速度で来られたらどうしようもない。その結果、こうして無様を晒している。
「避けなさい、レン───!!」
「ぁ……」
視界が暗くなる。見れば、人の背丈と同じくらいの太い丸太が降ってきた。
(回避は───無理)
今の体ではまともに動けない。丸太は狙っているかのように顔面へと落ちてくる。このままでは顔を潰される。なんとか起き上がって片膝をつき、
「フッ……!!」
気づけば体が動いていた。
目前まで迫った丸太を動かせる右腕を使い『月夜祓』を振るい真っ二つに斬る。
(………………あれ?)
そして感じる気持ちの良さに首を傾げる。
「レン、無事ね!?」
「我がアルジ、こレは無事というニは……」
「生きてるならいいのよ」
「アォン」
吹っ飛ばされた僕を追って来たのかレン、ジュリアン、ロルフが息を切らして走ってきた。
「ルイズ、ラウは……?」
「途中まで貴方を追いかけてたんだけどいきなり立ち止まったのよ。わざとわたしを追い越させてから襲ってくると思ったら、近くの木を斬り倒し始めて」
「ソノ木を何等分かニしてカら、レン様へ向ケテ、ぶん投げタのデゴざいまス」
なるほど、さっきの丸太はラウの仕業か。
「ルイズ、左腕がたぶん折れてる。治癒はいいからガチガチに固めてくれる?」
「わかったわ。ジュリアン、破るわよ」
「ぇ」
ルイズはジュリアンのメイド服の裾をいきなり破り、それを僕の体に左腕ごと巻きつけてキツく縛り、オマケに土魔法で左腕の部分を覆って固めた。
「アノ、我がアルジ」
「巻いて縛るのに良さそうな布だなと思っただけよ」
「そノ正直、大変善きでス」
正直に答えるなら大抵のことは許すとはいえ、それで良いのかと思う。頭から流れる血を拭い、ゆっくり立ち上がると、また上から丸太が降ってくる。同時に現れる、巨大な斧を担いだラウ。
「ルイズ、下がってて……」
一度、深呼吸する。
(丸太の数は七、全部落ちきったタイミングでラウが接敵。左腕は使用不可。頭から出血。肋にはヒビ。体への負担を抑えながら動くしかない)
思い出すのは先程の丸太を斬った感覚。柔らかい物を斬ったように、抵抗も無く、滑らかに刃が通ったあの感覚。
(確か、こう───)
丸太を一つ両断する。斬る時に少しだけ、飛んできた勢いで体が後ろに押された。……違う、さっきはこうはならなかった。
また一つ両断。刃の当たる場所が違う。
また両断。断面にささくれ、違う。
また両断。僅かな抵抗、違う。
両断。振りが遅い、違う。
(ということは、こうか……)
コツを掴む。
川を流れる落ち葉のように、一定のスピードで、抵抗なく丸太を斬る。断面は滑らか。体に負担はない。まるで空を振り抜いたように。
「うん、この感覚だ……」
「レン!!」
最後の丸太を斬ったところで間髪入れずにラウが迫る。
「終わりです!!」
振り上げた斧が加速する。
(───視えた……)
刃の無い背の部分、そこの土砂が炸裂した。
地面を吹き飛ばしたあの魔法……『グランド・クレイモア』と同じ現象。なるほど、あの加速は"天撃腕"と同じ理屈だ。
初速の遅さをカバーする為に、一部分を炸裂させ、その勢いを利用することで瞬間的に加速し、威力を底上げさせたんだ。
(大丈夫。あの感覚を、もう一度やればいい……)
一度目はまんまとくらったけど、考える時間を得て、こうして二度目も見せられれば、タイミングを合わせることは造作も無い。
「"明鏡止水"・陸式───『月下推敲』」
最適な位置、最適な角度、最適な向き。
あれを斬るのに必要なのはただそれだけ。接点を限りなく極小に、そこにかかる負荷を極大に真っ直ぐ通す。
『月下推敲』、即ち───『流れを看破』すること。敵の繰り返した動作から隠された意図を見抜き、己の繰り返した動作から悪いものを即補正し続け洗練させる。
一度見て繰り返し見せられる同じ技は尽く打倒し、一度行った動作を繰り返しやる度に無駄を無くしていき、どこまでも、どこまでも己を研ぎ澄ませて───この身は何ものにも刃を通すものとなる。
「っ!?」
今度はラウが驚く番となった。完全に研ぎ澄ませ洗練されて振るった一刀は、堅強な斧を容易く両断する。
抵抗もなく、滑らかに刃が通る感覚は、僕に爽快感に似たものを覚えさせた。
ラウが即座にピストルを抜き、単連射する。弾丸には風属性の魔力。おそらくは速度強化ないし高速回転させての貫通力強化。でも、銃口と視線、引き金を引く指の動きを見れば、たとえ近距離だとしても対応は可能。
(斬ったとしても、破片が当たる……)
ラウは僕を狙いながらも、避ければ後ろにいるルイズたちに当たるように撃った。少しでも刃が垂直ではなかったり、タイミングを間違えたら、あの弾丸は確実に誰かの肉体を穿つだろう。
「これなら流せる」
斬るのではなく、僅かに刀身で受けて滑らせ、斜め後方へと流すことで弾道をずらす。
「チィッ!!」
「遅い!!」
距離が縮まり、ラウが振り上げたショートソードを半ばから斬る。即座に刀を返してピストルも両断。ラウはそれを意に介さず、格闘技による近接戦闘を仕掛ける。
「"纏い、爆ぜ、抉るは灼熱。汝、我が腕に宿れ"───スラグショット・アサルト」
ラウは両腕を火属性の魔力で覆う。関節部から起こす爆発を利用した拳撃による連打で、土属性魔法で固定した左腕を執拗に狙ってくる。
「っ……"明鏡止水"・壱式───『鏡花水月』」
「火属性付与!!」
『鏡花水月』───即ち、『流れを模倣』すること。ラウの連打する動きを片腕のみ模倣し、突き技に応用する。
「カァッ!!」
「シャア!!」
初撃を躱し、ルイズの支援で炎を纏った『月夜祓』で迎撃、火属性の魔力がぶつかり合い互いに爆ぜる。ラウの体に何度も切っ先が刺さり、僕は左腕を庇って体の右側に拳撃を受ける。
(やはり一刀と両腕では手数に差がでるか……っ)
始めて戦った時にもやった執念を感じさせる嵐の如き無呼吸連打。なんとか体をずらして直撃は回避しているが、その威力は当たれば確実にその部位が爆ぜる。
リーチでは勝っていても、向こうが負傷のリスク度外視で無理やり距離を詰めてくる。それを『鏡花水月』で模倣し、『月下推敲』でラウの動きを読みながら本物以上に仕上げる。二つの技を強引に併用することで、どうにか痛み分け続けている。
たけど、
「ぐ、うう……っ!!」
「ジュリアン!!」
「お任セを!!」
併用による負荷で頭が痛くなってきた所にジュリアンが割って入る。良いタイミングだ、ルイズ。
「う、あっ!?」
無手でもその怪力は健在。ジュリアンは残った腕でラウへと殴りかかり、対応が遅れたラウは両腕を交差させて防ぐも大きく後方へと飛ばされた。
「……仕留められ、なかった? 今の状態で、あんな有り様なのに……?」
信じられないとばかりに顔を歪め、ラウは睨みつけてくる。───怒りか、苛立ちか。両目に灯る焔は更に激しく燃え盛り、圧力も増す。
(ラウの武器を全損させたのはいい……。でも、ルイズたちがいるとはいえ、これ以上戦闘を長引かせるのはマズいか)
折れた左腕の固定を優先し、額の出血や、肋のヒビの治療を後回しにしたツケが来ている。この状態で、無手とはいえ今のラウを相手にすれば先に力尽きるのはこちらだ。
「ジュリアン、ロルフ!!」
僕を庇うように前に立って構える二体。ルイズも、僕の体の状態とラウの力を見て察したのだろう。あとは、このまま睨み合いを続けるかどうかだけど……。
「スゥ───ハァ───……いえ、欲を出してはいけませんよね」
ラウは深呼吸した後、そう言って構えを解いた。目に灯った焔も消える。
「あら、ここまできて帰るつもりかしら?」
「別にあなた方を倒せとは命じられていませんからね。まだまだやれますが、今回は痛み分けです。それにカイト様のほうもそろそろ終わった頃合いでしょう」
終わった頃合い……つまり、グローブ侯爵がいる城塞は、もう……。
「レン、ワタシはもっと強くなります。貴方を止める為のカイト様の道具として。次にまた戦う時は……次こそは───」
強い風が吹き、雪が舞い上がりラウの姿を隠す。
「その刀、叩き折ってあげます」
そう言い残してラウは雪に紛れて去って行った。
「…………ぅ、っ……」
「レン!?」
緊張から解放され、片膝をつく。
「これは負け、だ。……僕がまだ未熟、だったから……」
「動かないで。今、治癒魔法をかけるからっ」
ルイズが純魔力で効果を高めた治癒魔法を僕に施す。
(足りない……力が、明らかに足りない。ラウはもっと強くなる。今のままじゃ、絶対に……)
奥義を会得して少しは強くなれたと思っていた。でも今日、それだけでは足りないと身を以て知った。あの圧倒的な膂力、それに対抗できる───純粋な力が必要だ。
傷が癒えるのを感じながら、僕はそう思った。思ってしまった。
そして、まるで、それを待っていたかのように。
久しく聞こえてこなかったその声が、耳元では囁いてきた。
『───全テヲ■セ、全テヲ■セ───』




