第百五十九話「カイトが動いたか、だが」「同士らしいやり方かと」
『始めまして、誇り高き帝国民の皆さん。───俺の名は『撃鉄公』カイト。これは赦されざる大罪を犯した者たちへの、俺からの宣戦布告である』
その宣言は多くの帝国民に衝撃を与えた。
『……今から二十年ほど前、とある事件が起こった』
大型水晶球という文字通りの大きな水晶の球の魔道具を用いた、国内へ向けた映像付きの全国放送。見下ろすように空に浮かび上がったカイトさんの姿が映し出され、帝国民たちが指を差しながら見上げる。
『二十年前、海を渡り、この大陸に大勢の獣人の移民たちがやって来た。森の中に仮の住処を作り、長旅の疲れを癒しながら、彼ら彼女らは『獣王国』の庇護下に入ろうとしていたところ、彼ら彼女らは王国と帝国の貴族たちの手で虐殺された!!』
それを知る者は誰もいなかった。
だからこそ、彼の言葉はとてつもない衝撃を与えた。
『獣王国』との協定が結ばれてから、たとえ国外からの移民であっても、獣人相手にそのようなことをしようと考える者は誰一人としていないし、獣人の恐ろしさを思い知った当時の人々から語り継がれ、そのようなことはあってはならないと教えられてきたからだ。
なのに、自分たちの知らぬところで、しかも王国と自国の貴族がそのような恐ろしいことをしたという話に、ある者は発狂し、ある者は恐怖で身を震わせ、ある者は信じられないと叫んだ。
『断じて赦されず犯してはならない所業であり、命をもって償わなければならない。王国貴族の方は既にこの手で処刑し、残るはこの国の貴族のみ。───故に、俺は告げる』
彼の姿が目を閉じ、再び開かれると彼の目は白と黒が逆転した異質な目となり、殺意を孕んだ赤く輝く眼光で、この放送を見る全てを睨みつける。
『グローブ侯爵家。アドソン侯爵家。そしてクライト公爵家。この現当主と近親者全員を悪魔の名のもとに処刑する。これはジルク皇太子殿下と『獣王国』の現獣王より命じられた征伐であり、何者にも邪魔はできず覆されることのない俺の戦争であるッ!!』
「カイト……」
国境都市『カリファ』で情報収集をして帝国騎士の動きを探りながら、僕たちは帝国の南側のハヴルム領へと入った。そしてハヴルムの主要都市である『メノウ』に到着した時、その宣言が行われた。
「待って、確かハヴルム領の領主って……!」
「うん、グローブ伯爵家だ……」
「あの人ここに戦争を仕掛けるってこと!?」
「どうやらそのつもりみたいだね」
僕とオウカさんが頷くと、ルイズは今にも泣き出しそうな顔になった。
「なんで、なんで、よりにもよってわたしたちが来たタイミングなのよおおおおおお!!」
「クゥン」
ぽかぽかと、ロルフのお腹を叩きながら喚くルイズ。ロルフは宥めるように尻尾でルイズの背中を撫でていた。
「『撃鉄公』に、悪魔だって!?」
「戦争って、俺たちは大丈夫なんだよな!?」
「巻き添えなんてごめんだ、今のうちに出ていく!!」
「でも、処刑するのは領主様とその家族なんだろ? なんでわざわざ戦争なんて言い方を?」
「それくらい大ごとってことなんだろ。移民とはいえ、獣人を大勢虐殺したとなれば、占領下にあるとしても『獣王国』は黙ってない」
「占領下にあるからこそ、まだ大人しくしてくれているのか。その代わりに悪魔が来るなんて……」
「うわあああ、嫌だああああああ!!」
全国放送で都市は大騒ぎだった。
特に、悪魔や戦争と聞いて、早いうちに領内から出ようと準備したり、大丈夫だと楽観視したり、恐怖のあまりその場でうずくまったりしていた。
今直ぐに落ち着かせ、対応しなければ、暴徒化してもおかしくはない状況。それでもまだこの都市に常駐している衛兵に動きはない。
いや、慌ただしく動いているけど、領主がとんでもない大罪人と聞かされて、それが本当なのか、本当なら早いうちに見限って独自に動くか、いっそ逃げるかで分裂しているようだ。
「領主の方も混乱しているんだろうね。いきなりあんなことを言われたから、都市の方を考える余裕が無いんだと思う」
少し離れた高台から『メノウ』を見おろし、単眼鏡で都市内の状況を見ながら、オウカさんは冷静に言う。
「どうしますか、オウカさん」
「うーん……」
オウカさんは単眼鏡を仕舞いながら悩む。
「カイトの嫌らしいところが出てる。それぞれの領地にいる貴族へ向けての宣戦布告、戦争だなんて言って、どこから先に攻めるかは言わなかった。このまま待機でいいのか、他の二箇所のどちらかに向かうか、かなり悩む」
「いえ、オウカさんはどうするんですか?」
「レン……それはっ」
僕の問いかけの意味に気付いたルイズが咎めようとする。
「いいの、ルイズちゃん。……そうだね、私の復讐すべき相手が判明した以上、今すぐにでもあの街ごとを破壊したいっていうのは本音」
「やはり……じゃあオウカさんは、虐殺から逃れられた生き残り、なんですね?」
「そう。二十年か、もうそんなに経ったんだね……」
当時の記憶を思い起こしたのか、オウカさんは空を見上げる。
「私の出身は極東。当時は子供で、理由は分からなかったけど、多くの同胞と一緒に海を渡り、この大陸にきた。カイトが言っていたように、長旅の疲れを取ってから『獣王国』へ向かい、庇護下に入ろうとした時に、大勢の騎士に襲撃された」
湧き上がる怒りと嘆き、恐怖を抑え込むように、オウカさんは強く拳を握りしめる。
「協定のことは極東にも伝わっていたから安心だと思ってた。だから安々と攻め込まれ、あっという間に家族同然だったみんなが殺されて、中には生きたまま毛皮や爪や牙を剥ぎ取られる者もいた」
その光景を想像したのかルイズは顔色を青くして口元を手で抑える。僕も、内心穏やかにはしていられなかった。
「逃げ延びた後は一人彷徨って、たまたま遠征帰りのシム団長に保護された。……あの全てをただ見ていることしかできなかったとして、息を潜め、悲鳴を上げそうな喉元を自ら手で掴み、ただただ無力な自分を呪うことしかできなかったとして、果たして復讐心を抱かずに生きていられるだろうか……っ」
無理だ、と僕は思った。
楓という数少ない戦友を奪われて暴走した日を思い出す。記憶は不確かでも、この手で殺した感触と、激しい怒りと慟哭は鮮明に覚えている。
あの激情を、オウカさんは二十年も抱えている。そして復讐すべき相手が今もまだ生きていて、手を出そうと思えばそれが出来る場所にいる。しかも主犯だという三人の貴族まで知ることができた。
カイトさんを待つまでもなく、復讐を優先することだってありうる。
「でも、今はカイトに会うのを優先する……」
勝ったのは彼への思いだった。
「カイトはこういう時、絶対に相手に逃げ道を与えないよう策を巡らせる───ように見えて、わざと逃げ道を一つだけ与える。わざとそこへ逃がすよう誘導し、背後から仕留める」
カイトさんと組んでいた時のことを思い出しながら、オウカさんは彼の行動を予測する。『偵察班』として裏工作するにあたってかなり大暴れしたという二人、ほぼずっと一緒だったのなら、彼の思考を読み取ることも可能だろう。
「カイトにとっての戦闘は、表に姿を出さず、そもそも交戦状況を作らず、意識外から仕留めて敵を戦闘不能にさせること。でも相手が貴族で、独断で動けば殺害方法から直ぐに特定される。非難されるのを避けるなら、皇太子や『獣王国』からの賛同を得て、大義名分があると公表した方が、カイトの流儀ではなくても後腐れ無くやれる。だからあの放送をし、た───放送……?」
なにかに気付き、オウカさんは顔を上げる。
「あの放送は空に映し出すもの。みんなが上を見て、放送を聞いた。あれだけ声高に言えば誰もが見入る」
「まさか……っ」
「えっ、えっ?」
僕は気付き、ルイズは分からず僕とオウカさんの顔を交互に見る。
「放送で意識を上に向けさせた。交戦状況を作らず、意識外から仕留めるなら、そのタイミングでもう仕掛ける……!!」
視線を街、いやその先の……街を挟んではるか先にある居城へと向ける。
そこは領主、グローブ伯爵家の居城。
大きさは王都の王城や宮殿には及ばずとも、断崖絶壁の上に建造された、物々しい城塞が───漆黒の霧で完全に覆われていた。
『───言い忘れていた。グローブ伯爵家、先にお前たちから処刑する』
大型水晶球は帝都にあるという。
だから、この放送をしている彼は、まだ帝都にあると思っていた。しかし違った。既に彼はこの地にいて、放送に意識を向けさせた隙に仕掛けたのだ。
おそらくは予め用意した映像を放送、もしくは帝都とこの街に、同時に彼が存在していたのだろう。デコイを使えばそれが可能だ。
映像越しでは流石に本物かデコイかは見分けられない。
「……この気配、悪魔の力です!!」
「あそこにカイトが……行こう、みんな!!」
「ええ!! ロルフ、全速力よ!!」
「ワォン!!」
領主が処刑されるのは、正直どうでもいい。
カイトさんが言っていたことが真実なら裁かれるべきだし、『獣王国』からも命じられた征伐となれば余計に手出しするべきではない。
急ぐのは早々にカイトさんが処刑を終えてこの地を去る前に、どうにか接触しておきたいからに過ぎない。
だけど、それはこちらにとってはの話で、カイトさんにとってどうなのかは分からない。だからこそ急いで向かわないといけないというところで、
「───させません……」
踏み出そうとした足先の地面へナイフが突き刺さる。
「久しぶりですね、オウカ・ココノエ。それに『月鏡刃』レンに、その主人である『召喚士』ルイズ・アレイスター、使い魔の銀狼のロルフ」
こちらを見下ろすように木の上に立っていたのは、ショートソードを用いての狂気的な猛攻を繰り出し、わざと攻撃を受けてでもこちらを捕らえようとする執念を待つ女の帝国騎士、ラウ・カフカだった。
「でたね、泥棒猫。この前、散々痛めつけたのに、また私の前に立つんだ」
「盗み取ったわけではないのにその呼び方をされるのはとても不愉快ですね。せめて飼い猫と呼んでください、女狐」
睨み合うオウカさんとラウ。二人の鋭い視線がぶつかり、火花を散らしているようだった。
「カイト様は自らの手で処刑を執り行うことをお望みです。そして誰も近づけさせるな、とワタシに厳命しました」
右手にピストル、左手にショートソードを逆手に持ち、ラウが身構える。
「あなた方があの城に向かうと言うのなら、ワタシはそれを全力で阻止します」
今にも飛びかかって来そうな雰囲気。目から伝わる気迫に、体から滲み出る強い敵意。どれもが以前戦った時よりも濃密になっている。数も、実力も、こちらが有利……だというのに、絶対に油断してはならないと、体が警鐘を鳴らしている。
「オウカさん、気を付けてください」
「うん、分かってるよレンくん」
戦闘態勢を取り、今にも衝突する───その瞬間、
「一人で突っ走らないでラウちゃん、今回は連携することを意識して。彼からも言われてたでしょう?」
「───え……?」
「上にっ……?」
ひらりと、黒い羽根が落ちてきた。
「……遅いですよ、二番手」
「ごめんなさい、まさかその子がいると思わなくて……」
空を見上げて、言葉を失った。
見覚えのある『サザール騎士団』の鎧は漆黒に染まり、背中から同じく漆黒の一対の羽根を広げた、赤い髪を靡かせる美女が、光の無い瞳でこちらを見ていた。
「そん、な……」
オウカさんが目を見開く。
僕とその人が直接顔を合わせたのは一度だけ。それでもその人のことは、よく知っている。『サザール騎士団』の副団長を務め、王国の女騎士や女冒険者の誰もが、その人の強さに憧れ、目標にしていた女傑。
そして要塞竜の討伐の折、行方が分からなくなり、カイトさんの手で帝国に連れ去られたという。
「アーゼス……副、団長……」
「久しぶりね、オウカ。悪いけど、ここで立ち塞がらせてもらうわ」
感情を伺わせない目と表情。しかしどこか悲しみを感じさせる声で───アーゼス・カトリエルが僕たちの前に降り立った。