第百五十一話「鍛えれば化けますな」「マジでやらんでいい!!」
襟元を掴まれて勢いよく俺は一回転した後、背中から地面に落ちた。
「ぐへっ!?」
「捕まえましたぞ、カイト殿」
決闘から数日後、完全に復帰した俺は予定通り、イブキに鍛えてもらっていた。
「脚力強化の条件が回避または逃げの時、でしたな。その動きをするならどの方向に行こうと強化されるのを利用し、我の横を抜けて背後を取ろうとしたのは良い判断でした」
ですが相手が悪かったですな、とフィールドに倒れる俺へ手を差し出すイブキ。礼を言いながらその手を取って立ち上がると、遠くで見ていたラウが駆け寄ってくる。
「カイト様、タオルをどうぞ」
「ああ、ありがとう。……ずっと逃げの姿勢を貫いて、最後の最後に急接近すれば意表を突けると思ったんだが、普通に反応されたな。流石は老兵……」
「ははは、まだまだ若者には負けませんぞ。しかし、逃げ足の速さは見事。これにカイト殿の武器が加われば我でも捕らえるのは難しいでしょう」
「爺さんがそう言うなら本当なんだろうな。アンタは変に期待させず、事実しか言わない」
鍛錬の内容は、言ってしまえばただの鬼ごっこだ。
迫るイブキに捕まらないよう、俺は【保管庫】を使わずに反撃しながらもひたすら逃げる。武器は義手に仕込んだナイフのみ。制限時間ギリギリは一時間で、ナイフをイブキの体に当てる度に制限時間が五分短縮される。
この五分短縮はイブキの案だ。ナイフで斬りつけられた状態で逃げる俺を全力で追えば、傷の程度にもよるか出血量が増えて相手の消耗も早まるだろうから、とのこと。
接近戦に持ち込まれた俺が【保管庫】無しで自力で逃れて得意な状況に持っていくのを想定した鍛錬。近接戦闘も適度にこなしつつ、逃げ足の強化になる、イブキと話し合って始めたものだがこれがかなりキツい。こっちが必死で逃げても老人とは思えない速さで先回りしてくるし、動こうとしたらもう先読みされて待ち構えてるし、隙あらば容赦ない一本背負いで叩きつけられる。
(この調子じゃあ逃げ足よりも受け身が上手くなりそうだ……)
最初は一分も経たず捕まった。さっきは一番長く逃げられたがそれでも二十分と数秒、一時間にはほど遠い。時間短縮のナイフはかすりもしなかった。
「よし爺さん、もう一回───」
「し、失礼します!!」
フィールドの外から声をかけられる。何事かと視線を向けると、一人の見習い騎士が緊張してかガチガチに体を固めて立っていた。
「げ、『撃鉄公』様に、お客様が!!」
「客ぅ?」
わざわざ宮殿まで来て俺を訪ねてくるなんて人は限られる。思い当たる人物といえば、と頭の中でリストアップしていると、
「お久しぶりですねぇ、カイトさん。復帰したと聞いてお祝いに来ましたよ〜」
「って、なんだアンタか。直接会うのはいつぶりだ? 家のゴタゴタは片付いたかよ、若旦那?」
のんびりとした声に俺は笑う。ややぽっちゃり体型で白みがかった金髪の、瓶底メガネをかけたスーツ姿の男性は、俺の手を取ってブンブンと嬉しそうに振った。
「アハハ、ようやく落ち着きまして〜。これまでは名代として活動してきましたが、正式に父から会長の座を譲り受けました!!」
「そりゃ良かった、その様子からしてアドバイスは役に立ったみたいだな」
「もちろんです!! あの愚兄共、なんの疑いもなく網にかかるものですから、つい腹を抱えて笑ってしまいましたよ。ありがとうございます〜」
「アンタには色々と世話になったからな。少しでも力になれたなら俺も嬉しいぜ。……あと、そろそろ手を離せ、振りすぎだ」
「おっと、これは失礼〜」
慌てて手を話す男。そこへラウが恐る恐るといった様子で俺に話しかけてくる。
「カイト様、この方はもしかして……」
「流石に知ってるか。俺の友人で、王国にいた頃からの付き合いの───」
「貴女がカイトさんの右腕というラウさんですね。はじめまして。『キビシス商会』の会長、パブロ・キビシスと申します。お見知り置きを」
積もる話もあるでしょう、というイブキの言葉に甘え、少し早いが鍛錬を切り上げた俺は若旦那───パブロを連れて時計塔の自室に連れてきた。
「そうだ、この前は無理を言って悪かったな。お陰で気持ちよく彼らに受け入れてもらえたよ」
「タタル様の件のことならお気になさらず。まあ、流石にカイトさんと同列とまではいきませんが、優良顧客としてお付き合いすることで納得して頂けました」
カイトさんの頼みですから、と笑うパブロ。
本当に彼には頭が上がらないくらいに世話になった。
騎士団の仕事で王都の周りを哨戒していた時に、魔獣に襲われそうになっていたところを俺が助けた。そうしたら、まさか有名な商会の有力跡継ぎと知って腰を抜かしたっけな。
パプロは命の恩人だからと、俺が欲しいものは最優先最安値で届けてくれた。オウカへの贈り物は全部コイツから買ったものだ。他の商人に頼んでいたらこうはいかなかっただろう。
「片腕を失くしたと聞いて、私はとても心配しました。その義手はタタル様が手がけた物ですか?」
「ああ、まだ試作だがな。俺が無茶な注文したせいなのもあるが製作が難航しているらしい」
「……タタル様でも難航するとは、どんな注文をしたんです?」
「色んな鉱石のいいとこ取りみたいなものと言えば分かりやすいか」
「これまた無茶なことを……」
「それから内部には武装をいくつか仕込む」
「男の子ですね〜」
「少年の心は決して消えないってな」
ははは、と笑い合う。ノックと共にヌルが自室に入ってきて二人分の紅茶をテーブルに置く。お辞儀をして部屋から出ていったところで俺は目を細めながら問う。
「会長になったのなら俺もお祝いしたいところだな。できれば───お前の実家に訪問する形で……」
「おやおや、いきなり踏み込みますね〜」
パプロが笑みを崩さないまま紅茶を一口飲み、コトンとカップを置く。それだけで部屋の空気が変わった。和気藹々とした雰囲気は消え去り、一気に重苦しいものへと。
『キビシス商会』───この大陸はもちろん、極東や、他の小さな島国、地図にある全ての国に支店を置く、知らぬ者はいない超大手の商会。
「なあパプロ、お前とは長い付き合い……とは言ってもまだ一年も付き合ってないが、それなりに親睦を深められたと思ってる。だから、そろそろ教えてくれないか……」
俺はパプロの顔を覗き込むように言う。
「お前の実家、お前の拠点……『キビシス商会』の本店は、いったいこの世界のどこにある?」
「親しき仲にも礼儀あり、ですよカイトさん。現時点ではまだ教えられません。……ですが、いつか必ず、貴方をご招待させて頂きたいと思っています」
「そうか…………いやー、命の恩人からのお願いでも駄目か。なにかヒントになる物だけでも教えてくれよ」
「くどい人は嫌われますよ〜?」
「おおっと、お前に嫌われることだけは避けたいな」
まだ駄目か。求められればどんな物でも最適価格で商品を売る『キビシス商会』の本拠地、これだけは図書館で調べても分からなかった。よほど知られたくないのか、それとも───
「仕方ない、大人しくお前からのお誘いを待つことにするか。招待するとお前が言ったんだ、忘れるなよ?」
「もちろんですよ〜。ああそれから、お答え出来なかった分、次の定期注文は半額にしますので」
「おっ、いいねぇ助かる。好きだぜ、アンタのそういうとこ」
「最初からこちらが目当てだったのでは〜?」
「さあ、なんのことだか。はははは」
それからはパプロと他愛もない話をした。そして昼になったことを告げる時計塔の鐘がゴンゴン鳴り響き、俺たちは揃って窓へ顔を向け、外を見る。
「っと、つい話し込んでしまったな。パプロ、良かったら一緒にどこかで軽く食べていかないか?」
「あー、それが午後からは用事がありまして〜。私はこれで失礼させて頂きます」
「そうか、ならまたの機会にだな。ヌルに送らせる。会長になって一段と忙しくなるだろうが頑張れよ」
「はい〜、カイトさんも色々と頑張ってくださいね」
部屋の外で待機していたヌルが扉を開け、お送りします、とパプロへお辞儀をする。
「そうだ、最後に一つ。カイトさんに伝えたいことが」
「ん? どうした?」
パプロが思い出したように足を止めて、振り返る。
「───カイトさんが仰っていた彼ら、帝国に来るようですよ。もしかしたらレジスタンスと接触するかも、です」
おっと……思ってたより早かったな。
「もう出発したのか?」
「いえ、ですが近日中には王都を出ると思います」
「分かった。そうなるとこっちも忙しくなるな。どっかのタイミングで急ぎの注文をするかもしれない」
「はい、準備しておきますね。では〜」
そしてパプロは部屋から出ていった。
「…………あの手帳を見たか。あとはアイツらがどう動くか、だな。あっちの二人と接触して、無事に味方についてくれれば安心なんだが」
仕方ない、もう一度訪ねるとするか。あのシスター、なんかおっかないから長居はしたくねぇんだけど……。
「あとあの弟……いや、誰が予想できっかよ……」
誰か誘って昼食でも食べようかと外出の準備をしながら一人ぼやく。
「姉弟揃って格ゲー世界の住人だなんてよ」




