第百四十四話「カトリエルの秘密」「堕ちた騎士」
「───久しぶりですね、アーゼス副団長」
「っ、カイト君……なの?」
時計塔に戻り少し部屋で休んでから、俺は部屋の外で待機していた時計塔の管理人である自動人形のヌルに案内を頼み、アーゼス副団長が軟禁されている部屋へと訪れた。
「ヌル、また外で待機していてくれ」
「かしこまりました、旦那様」
「なあ、やっぱその呼び方やめない?」
「失礼します」
なにか譲れないものでもあるのか呼び方の変更は受け入れてもらえず、ヌルは部屋から出ていく。会っていきなり旦那様呼びされた時は驚いたもんだ。俺専用として用意された子機だって言うし、一度親機の方とも話をして色々知っておかないとな。
「戻ってきたってヌルから聞いていたけど、随分と雰囲気が変わったわね。特に、その目とか」
僅かな怯えと、警戒。アーゼス副団長は俺に近づこうとはせず、窓側へと少しずつ移動する。……飛び降りるつもりか、まあ彼女の力なら可能だよな。
「ええ、悪魔と契約しましてね。来いネルガ」
「はァい……アハッ、美味そうな魔力の匂いだぜ」
「っ!? ぁ……」
俺の陰からネルガが出てくると、アーゼス副団長の顔は真っ青になる。予想通り。天然物なら相殺されていただろうが彼女は違う。ちゃんと『我、斯くあるモノ』は効いている。
「ヌルから聞いたと思いますが……今夜、貴女には黒に染まってもらう」
「それは───お断り、よっ!!」
恐怖を振り払い、アーゼス副団長は窓に体当たりをした。そしてガラスを突き破って外へと飛び降り、彼女の体が輝き出した。
「……ホント、人間の思いつきにはいつも驚かされるわね。私みたいなモノだけじゃなく、あんな存在まで自分の手で創り出すんだから」
どれだけ罪深い生き物なのかしら───ネルガはそう言って後を追うように外へ。背中から二対の黒い翼が生え、光り輝くアーゼス副団長へと迫る。
「今は夜、私には絶好の場だけど……作り物のテメェが無事に逃げられるか見ものだぜ。お嬢ちゃん?」
「悪魔……まさか、実在するなんて思わなかったけど、この力は魔に対抗する為の力。たとえ作り物だろうと、甘く見ないことねっ!!」
光の中から出てきたのは拐った時と同じ『サザール騎士団』の鎧姿のアーゼス副団長。唯一の違いと言えば、その背中から生えた─── 一対の純白の羽根。
「天の御使い……天使の力で、悪魔を滅するわ!!」
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アーゼス・カトリエル。
彼女の家はかつての先祖のやらかしで、今は彼女とその兄がそれぞれ近衛騎士と『サザール騎士団』にいることで得られる収入で金持ちになってるだけの、ただの没落貴族だ。───そして、その『やらかし』で産まれたのがアーゼスに他ならない。
武に秀でた血筋のカトリエル家だったが、代を重ねていくにつれて、なぜか『身体能力』のランクが落ちていくことに気付いた。このままではいつか底辺に落ちて没落すると危機感に駆られたカトリエル家は、保管していた古い魔導書を引っ張り出し、どうにかして優秀な人間を創り出そうと考え、研究を始めた。
そうして、カトリエル家の人たちは『人工的に強力な精霊を創り出し、産まれて間もない赤子に宿らせる』という方法を見つけた。
優秀な『召喚士』の手で精霊を融合、新たな精霊を創り出し、赤子に宿らせてその力を定着させることで、魔法と体どちらも他者より圧倒的に優れた人間に仕立てる、というものだ。
失敗するかどうか。
失敗したらどうなるか。
そんなことは彼らの頭になかった、成功させることしか考えていなかった。
───その結果、実験に関わった者全員の消失。残ったのは、実験体となり、心臓にとても強力な光属性の『何か』を宿した赤子……アーゼス・カトリエル、その人だけだった。
■■■
「ほらほらァ、もっと輝きなさい!! そうでなきゃ堕としがいが無いもの!! アハハハハハ!!」
「こ、のぉ!!」
闇属性の魔力を纏い、執拗に追うネルガ。光属性の魔力を纏い、とにかく逃げようと離れるアーゼス副団長。互いに魔法を放ち、激しい攻防を展開する。
「旦那様、今夜は冷えます」
「外で待機だと言っただろ」
「旦那様は今日目覚めたばかりです。体を冷やして、具合を悪くされては、今後の予定に支障をきたします」
「分かった分かった」
アーゼス副団長が突き破った窓からは冷たい風が吹き込んでくる。それを知って、いつの間にかヌルが隣にいて厚手の生地のローブを持ってきていた。受け取るまで俺の話は聞かないとばかりに見てくるので、仕方なく受け取って羽織る。
「旦那様、アーゼス様は……人ではないのですか?」
「種族としては人で間違いない。あの姿は、あの人の心臓にある『人工天使』の力によるものだ」
天使。天の御使い。神のしもべ───調べればそういった呼ばれ方をする存在。
白い羽根があり、光属性の魔法を得意として、地上の悪しきものを滅する。悪魔とは逆で、善なるモノとして語られる。
カトリエル家が行った実験は、当初全ての属性の精霊を融合させようとしたが、最後は光属性のみに絞られた。複数の同じ属性同士で融合させれば、反発し合うこともなくなり、より強力になると考えたからだ。
「実験は、被害を無視すれば成功だった。融合し、一つとなった光属性の精霊たちは、より強力な『何か』へと昇華した。後に『ガタノゾア騎士団』が調査し、名付けられたのが───」
「……『人工天使』、と」
「ああ。通常の光属性よりも強力で、特に回復や防御、補助魔法は『聖女』に次ぐほどとされている」
おー、すげぇ、デカい光の槍を落としてる。あ、でもネルガの方が勝ったか。槍が砕け散った。負けじと光の剣を大量に振らせて、あらら、全部闇の中に飲み込まれてるわ。
「されている、とは?」
「ん、アーゼス副団長があの姿になったのを俺は見たことがないんだ。俺が『サザール騎士団』にいた頃、そこまで大変な目に合うことがなかったからな」
「なるほど」
「力をひけらかす人でもないし、それに基本的には団長のサポートをしていた。たいていの事は『人工天使』の力を使うまでもなかったんだろ」
何度かあの人に、カイト君のお陰で損害は少なくなった、と言われたことを思い出す。俺が作戦指揮を任された時は必ず相手の勝ち目を全て潰してから、一気に数と力で叩く方法をとっていたからな。当然といえば当然だった。
「アーゼス様は逃げ切れますか?」
「無理だ。既に帝都に結界が張られている。予言者サマのお力ってやつでな。そもそも本物の悪魔相手に、贋作の天使が敵うはずがない。現にアーゼス副団長は逃げ腰だ」
「なら……」
「直に捕まって、ネルガに堕天させられる」
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「ぐ、ぅ、うう……っ」
通じなかった、何もかもが。
人工といえど天使の力。悪魔との力関係は光属性と闇属性のそれと同じで強い方が勝つ。全力を出せば、この場をどうにか凌いで、帝都から離脱できると思っていた。だから魔法も、身体強化も、全部最大出力で使ったというのに、
「天使と聞いてたから少しは期待してたのに……所詮は作り物、本物には遠く及ばねぇな。まあ、人として今まで生きてきた時点で、もうアウトだからどうしようもねぇんだけど」
大きめの一軒家の屋根の上で膝をつく私を、悪魔は上空から見下す。
「"我らが主よ、わたしに天上の───がっ!?」
「無駄だっての」
何かに首を絞め上げられる。
「言ったでしょ、夜は私の絶好の場だって。夜闇の全ては私の『手』なんだからさぁ」
「ぐ、ぁ……っ!!」
「テメェは何も知らない。知らなさすぎる。力の使い方どころか、戦う相手のこともね!! いい機会だから教えてあげる……天使はね、夜に悪魔と戦うことだけは、絶対にしねぇんだよ!!」
体が持ち上がり、少しずつ悪魔へと運ばれる。
「や、やめ───」
「アハハハ!! なに、その怯えた顔は? 大の大人が情けなく涙なんか流しちゃってさあ、悪魔への忌避感だけは一丁前って感じ?!」
悪魔は両手で私の頭を押さえ、赤く輝く白黒逆になったような目で私と視線を合わせる。やめて、やめて、その目で見ないでっ、そんな恐ろしい色で私を、私の中を染めないで───!!
「大丈夫、私の契約者はテメェを粗末に使わない。少し利用するだけだから。用済みになったら雑に捨てたりしないって」
周りが漆黒に染まる。まるで世界には悪魔と私以外に何も存在しない、恐ろしいほどの虚無感と閉塞感に支配され、逃げ出したいのに、私の体は押さえつけられたように動かない。
「人間に天使は過ぎた力。もっと欲深く、相応しい姿にしてあげる。───その綺麗な羽根を剥いで、ね」
その瞬間、ブチッという音と共に背中から激痛が走った。
「い、あ、ああアァアアアアアアアアアア!?!?」
「アハハハハハ!! イイ声出すじゃない、それだけは褒めてあげる!! ほらほら、今から新品を付けてあげるんだから、私に感謝しなよ!!」
痛い。熱い。寒い。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい、冷たい冷たい冷たい冷たい!! 何が起こっているのか分からない。激痛と同時に、何か、身が凍るような冷たいモノが、背中から体内に入り込んでくる!?
「たすけて!! おねがい、たすけて、だれかわたしをたすけてよ!! シム、そう、シム、シムぅ!! たすけて、これ、いやなのおおおおおお!!」
「ほらあばれんなって、私の力を流し込んでんだからさ。心臓にある『核』を犯して、立派な堕天使にしてあげる」
「いやぁあああああああ!!!!」
必死に叫んで、もがいても、私の声は誰にも届かなかった。
「魔に堕ち、輝きを失ったモノ。天上が嫌悪する汚れた翼持つ存在。テメェのその叫びはとても哀れで、とても美味だったわ……堕天使さま?」
「そんな、わたし……だ、てん……し、に、ァ───………」
そうして私は凍てつく寒さに襲われながら、愉悦に笑う悪魔に見られて、意識を失った。




