第百四十話「魔の黒霧にて」「衝突、再び」
それが、善くないモノであるのは明白だった。山と周辺の森を覆った黒い霧の発生原因、そしてこれから何が起こるのか分からずとも、確実に言えることがある。
(この霧はまずいっ!!)
特に霧が発生した場所に近い『サザール騎士団』の人たちが危険だ。
全ての方向から……というより、霧そのものから来る殺気に、頭の中で警鐘が鳴る。一刻も早く、助けに行かないと。
「"水天一碧"……流れは不変、我が前に阻むもの無し」
走りながら【異法】を使う。
この山は傾斜が多く、山頂から落ちてきた岩がそこかしこに転がっていて障害物になっている。最速で駆けるには邪魔で、避ける他ない。対応力は必要だ。やはりこの【異法】は重ね合わせするのに使いやすい。
「"電光石火"……この身は刹那に輝く雷光なり」
そしてなによりも速度。移動と攻撃の速度を上げる"一気呵成"でも、初撃のみの攻撃速度を上げる"迅雷風烈"でもなく、目的地まで駆け抜ける、単純で、純粋な移動速度特化。
「───二重強化"流一心・疾"!!」
"流一心・乱"が攻めで使うものであるなら、これは移動で使うもの。僕が単身でこの地まで来た時もこの二重強化を使って走ってきた。これで二度目の発動、そして『流れの掌握』に特化する"明鏡止水"の状態であるなら、制御が困難だった二重強化の力であっても、完璧に御することなど容易い!!
「くっ、アァ───!!」
一気に加速する。
積もった雪に足を取られるどころか、深く沈み込むこともなく、瞬時に最適な足場と邪魔な障害物を見極め、最短ルートで山中を駆ける。二重強化の制御に無駄は無く、疲労もせず、しかし強化の度合いは"水天一碧"の適応により、どんどん際限なく速度が上がっていくのが分かる。
目的の場所まで、まばたきは必要無かった。体感で二秒かかったか。一息で、文字通り山駆けをやったと言ったら誰が信じるだろう。
……ルイズは驚くよりも、なにしてるのよ、とか言って呆れるのかな。
「いた」
『サザール騎士団』の人たちは無事だった。『悪魔神像』がある洞窟の入口、その近くで陣形をとり、大勢の女の帝国騎士───ラウ、恐らく彼女のデコイたちと睨み合いをしながら、周囲を警戒していた。
「シム団長!!」
「っ、レンか、気をつけろ、いきなりあの洞窟から霧が溢れて───」
「───『魔は独り、騒乱に酔う』」
「え───」
一瞬だった。
霧の向こう側から出てきた長い銃身が火を吹き、シム団長や他の『サザール騎士団』の人たちに弾丸の雨が全方向から降り注いだ。
「うわぁああああ!?」
咄嗟に頭を下げ───ようとして、目の前に突きつけられる無数の銃口に、僕はその場から飛び退く。その間に騎士たちの鎧は砕け、隙間から手足を撃ち抜かれて倒れていく。
恐ろしい光景だった。
どこに行っても、どこを向いても、霧の向こうから銃身が飛び出てきて銃口がこちらを向いている。霧に紛れ、銃だけを見せ、大勢の人から全ての方向を囲まれているようだった。
「動くなよ」
「───っ……随分と、恐ろしいモノになりましたね」
後頭部に固いものを押し付けられ、同時に感じ取る。明らかな悪しき気を放つ人の気配。……まさか、背後を取られるまで全く気付かなかったなんて。
「ああ、向こうから予約されててな。軽い面接を済ませて見事、悪魔と契約できた」
久しぶりに聞く『彼』のくぐもった声は、以前と違って冷たく、感情を伺わせなかった。
「……………」
後頭部に銃を向けられていても、彼が引き金を引くよりも早く振り返って斬り捨てることは容易い。今ならノーモーションで可能だ。いくら騎士団で基礎的な訓練は受けていたとはいえ彼は裏方専門。しかし、こうもあらゆる方向から銃身を向けられては迂闊に動けない。それに、なによりも、
(……そんなっ、体が動かない!?)
どれだけ力を込めても体はびくともしなかった。
「無駄だ。この黒霧から出なかった時点で詰んでる。悪魔曰く『影や闇、暗き場所の全てが目であり、手であり、口である』……悪魔の力らしいぜ?」
数え切れないほどの銃身が霧から出てきて僕を囲む。シム団長たちは、と見るも彼らは意識はあっても、撃たれた箇所が悪く立つことは出来ないでいた。
「本当に、王国を裏切ったんですね。半年ほどでしたか? シム団長やお世話になった先輩だっていたでしょう、少しは躊躇ったらどうです?」
「そうしたいところなんだが、あちらは俺に対しての殺意がスゴいからな。躊躇いなんて見せたら、その瞬間には俺の首が飛ぶ。おっかない人たちさ」
その原因はあなた自身ですけどねっ。
「なのに、殺しはしなかった。無力化だけして。躊躇いがないなら僕もまとめて始末できたはずです」
「ふむ……狙う相手が多すぎて単に射線がズレたか、はたまた躊躇いか。そこは後で自己分析するとして───監視の眼が無い今しかないか」
「え……?」
黒い霧が蠢き、シム団長たちを覆い隠す。
「聞き耳をたてられたくないからな。……さあ、久しぶりに悪いお兄さんと勝負しようぜ」
「ぐっ!?」
背中を蹴られた。受け身をとって直ぐ立ち上がり、僕はやっと彼の姿を見る。
目元から首元を覆う髑髏の柄が入ったフェイスマスクをつけ、見知った黒服はところどころに帝国の色である赤が差し色としてあり、左腕を欠損したというのは本当だったのか左の袖が風でなびいている。
他に変わったところ、といえば目と雰囲気だ。
悪魔と契約したと彼は言った。その影響だろうか。人ではない因子を得たことで、彼の目は白黒が反転したものになっていた。それに以前は感じられなかった魔力も存在し、直視しただけでなぜか身がすくむ。
「っ───」
「へぇ、見ないうちに少し男前になったじゃないか」
「そちらはまるで病人のようですよ、カイトさん」
「まあ道中色々あったからなあ」
フェイスマスクを下ろして素顔を見せたカイトさんを見て思ったことを口にする。血色の悪さ、なにかに耐えるように顰める眉、浅く早い呼吸。善くないモノと契約したからというわけでもない。万全と言える状態じゃない。
「確かに本調子じゃない。だが、この霧の中であるなら、多少は真正面からでもやれると思うぜ? ……こんな感じで、な」
身の危険を感じてその場から離れる。
さっきまでいた場所に弾丸が降り注ぐ。もし、あの場にいたら頭部のみが挽き肉になっていた……。
「勘のいいやつ、察しのいいやつ、賢いやつ、そういった人種は好きでもあるが嫌いでもある」
黒い霧が立ち込めるあらゆる場所から銃身が現れ、全ての銃口が僕へと向けられる。銃の形状は様々。そのどれもが闇属性に似た、黒い魔力を纏っていた。
「仲間なら頼りになるが、敵であるなら俺にとって不安要素でしかない。だから、まあ───ちゃんと避けろよ?」
そうして一斉に弾丸が放たれる。まるで上下前後左右から振る豪雨のよう。どこに行こうと弾丸の雨が降り注ぐ。
「"明鏡止水"・伍式───『五月雨式』!!」
いくらなんでも全方向からの掃射は対応できない。だからこそ、対応できない方向のみの弾丸を『一時だけ停止』させるしかない。
「はぁぁぁぁぁ!!」
「マジかよ」
背後と真下から来る弾丸が停止。その間に、残りの方位から来る弾丸全てを端から斬り捨て、進む。
『五月雨式』、即ち───『流れを断続化』すること。定めた方向に『気』の盾を作り、迫る攻撃が盾に触れた時にそれを一時だけ停めることができる。
これは本来の使い方ではない。しかしこうやって防御にも使えるもの。盾の守りが稼いだ時間が与えてくれる意味は、あまりにも大きい。ほんの一瞬でも、前方のみに注力できるのだから。
常に死角のみを『五月雨式』で守り、進みたい方向から来る弾丸のみを斬り、弾き、反らして、弾丸の豪雨の中を突き進む。
あと少し、あと少しで、カイトさんに迫れる!!
「セレネスをぶつけた時に垣間見せた奥義とやらか。ユキナが気に入るのも当然だな。お前はどこまでも強くなりやがる。だが……」
「っ!?」
突然、足元から大量の物体が飛び出してきた。
黒い長方形の、何本かの配線が通った赤く点滅するランプのついた基板が取り付けられたソレ───リモート爆弾に、僕は思わず足を止める。
「霧から出せるのは銃だけとは限らない」
カイトさんの両隣に現れる筒状の大きな武器。弾丸は絶えず連射し続け、目の前には大量の爆弾、おまけに大爆発を起こすロケットランチャー。
(そうか。この霧は、カイトさんの指輪そのもの───)
「くっ」
前方にも『五月雨式』を展開。爆風の衝撃を一時的に停止させる。死角から来て止まっていた弾丸が再び動き出す前に隙間を通り抜け、後から続く弾丸を『月夜祓』で捌いていく。
「器用なことをする。爆弾とロケランの爆風を迂回することで逃れたか。……でも、分かったはずだ。霧から出せるのは銃だけではないと」
カイトさんの足元から現れたのは、長く、大きな、砲身。
「ふざけ───」
僕の罵声は、轟音によって掻き消される。
明らかに戦車のものである砲身から撃ち出された砲弾は、僅か数メートル先にいる僕へと突っ込んでくる。……しかし、僕はその弾道を見て、そこに活路を見出した。
「ッ───アアァ!!」
二重強化"流一心・疾"を解除しなくていて良かった。
僕は全力で地を蹴り、砲弾へ向かって跳ぶ。
カイトさんは、砲弾に弾丸が当たり誘爆するのを避ける為、弾丸の豪雨の中に砲弾が通れる道を作っていた。そこに僕も飛び込んだのだ。
砲弾を一刀両断し、通り道を抜け、砲身のそばに着地しながらこれを切断。予想外だったのだろう目を見開くカイトさんの胸ぐらを掴み、地面に押し倒す。
「はぁ、はぁ、はぁ、捕まえ───」
「おっと、動くなよ」
服の内側から直接、心臓がある場所に冷たく固いものが当たる。
「悪魔の、力……っ」
「正解。服の中は影になっている。霧から銃身を出しているように、その影から銃口のみを出している。どうする、ここで相討ちといくか?」
「あなたにはシールドがあること忘れてませんよ」
「ククク、なんだ、覚えてんのか」
彼はそう言うと霧に包まれて消え、また後頭部に銃を押し当てられる感触に、僕は悔しさに歯を食いしばりながら刃を収める。
「……………っ、理解しました。この状況では、あなたに勝てない」
ここは彼が用意した戦場。彼が言ったように、霧の外へ離脱しなかった時点で詰みだった。
「さて、勝負はここまでだ。ここで勝ち負け決めたら、獲物を横取りされたとユキナがキレちまう。……っと、そうだ、これをお前に渡しておく」
カイトさんは何かを僕のポケットに入れた。この感触、小さな手帳のような……?
「あとでフェイルメールや、オウカと一緒に読め。───さあ、帰る支度だ」




