第百二十七話「死舞っていた記憶」「仕舞っていた思い」
『ニホン』───その国は、常に異法の暴走と隣合わせだった。
暴走の引き金は千差万別。
異法の効力に影響を与える感情が、ある一定のラインを越えて振り切れてしまえば、その感情を糧に異法は膨れ上がり自身を怪物へと変えてしまう。
この『一定のライン』がどこまでなのかが判明するまで、国中で暴走して怪物となった者たちや、異法犯罪者が暴れ回り、それを止めようと多くの『法剣士』が立ち向かい犠牲となった。
国は、その恐ろしくも生活には欠かせない力を研究し、理解し、使いこなす為に、専門の研究機関を兼ねた、正しい異法の使い方を多くの人に伝える為の教育機関───法剣士養成学校『廻王学園』を設立した。
「ハハハ!! 見ろ、コイツめ、この小さい手で私から一本取りおったぞ!!」
「あらあら、まあまあ」
僕の家は元々、異法に頼らない、純粋な武術を教える道場をやっていた。そして五歳になった辺りになるとよく親子との遊びと称して、逃げる父を小太刀を持った僕が追いかけていたものだ。
「これは将来が楽しみですね。さあ、あなた様、錬をわたくしに。あなた様の血で汚れてしまいます。あっ、血で汚れた床は綺麗に拭いてくださいね」
「って……おいおい、止血してくれんのかあ?」
「懸命に小太刀を振るう我が子可愛さに、うっかり回避を忘れて、スッパリ斬られてしまったあなた様の自業自得です」
「ぐぬぅ……」
厳しくもちょっと甘い父が師範で、優しくもちょっと怖い母が師範代だった。そんな両親との間に生まれたのが僕───弟切 錬。
「将来は私に似た力強い武人になるな」
「わたくしに似た佳き武士になるでしょうね」
「「………………あン?」」
「……どうやら、愛息子の将来について、意見の相違があるようだな」
「そのようですね。ですが、これは譲れません。そしてあなた様も同じとお見受けします」
「うむ。であれば、いつも通り───」
「刃を交えて決しましょうや───」
「「参る!!」」
日常茶飯事となっていたこの物騒な夫婦喧嘩もずっと近くで見せられていれば慣れたもの。
これは刀剣術の勉強になると見学していたっけ。
───思えば、こうして両親と一緒に過ごしていた幼少時代だけが、あの世界で唯一、幸福だと言える時期だったかもしれない……。
「諸君、これが戦場だ。これが戦いだ。今回のようなことはいつものこと。僅かに残った者が味方だと分かるまで、戦いは終わらない。尤も、その残った者の誰かが、敵になるかもしれないがな」
『廻王学園』に入学して直ぐ、新入生全員が担任に連れてこられたのは、人々が住む安全圏の外側。
そこは、安全圏へ攻め入らんと画策する異法犯罪者や、心を病み、異法による暴走一歩手前となった狂人たちの巣窟であり、同時に新入生をふるいに掛ける場所。
国は戦力を欲している。特に、直ぐに戦場に出せる即戦力を。故に、そうでない者は不要となり、名誉ある戦死という扱いで、新入生のリストから名前を消される。
「これが、戦い……? こんなのが……? 違う……そうじゃない……これが戦いであってたまるか……これでは───」
作戦なんてものはない。
ただ敵を探して殺せ、とだけ命じられて放り出され、犯罪者や狂人たちの獲物となる。
まともに戦った経験のない者が真っ先に狩られ、それを見て恐慌状態となり、一人、また一人と、感情をコントロールできず暴走し、見境のない殺戮を始める。敵味方が入り乱れて戦線は総崩れ、瞬きを一つする間にさっきまでそこにいたはずの数十の命が散っていく。
生きるために、とにかく迫る敵は全て斬り捨て、言葉通り血で血を洗いながら戦い続けて───戦場が静かになる頃には、百を越えていた新入生たちの多くが死んでいた。
生き残ったのは、重症もしくは身体の一部を欠損した十三人の不合格者と、奇跡的に五体満足だった僕を含めた五人だけだった。
「───まるで、地獄の釜で行われる蠱毒だ……」
育成する時間なんてものは無く、僅かな座学と実戦の繰り返し。安全圏の防衛任務で各地を連れ回され、大人の軍人たちと混ざって戦場を駆け抜けた。
そうして、共に戦い抜いた同級生たち四人、誰一人欠けることなく凄惨な学園生活を二年間すごしたある日、軍の上層部が戦い方を一新すると発表した。
『武術よりも異法を主とする』
異法で身体を強化して特攻させる人海戦術は戦死者を増やすだけ。これからは異法による爆撃を用いた、超広範囲殲滅戦こそが勝利の鍵となる、と。
どうやら、研究機関が開発した攻撃異法が目を見張る戦果をあげたことで考え方が変わったらしい。確かに、敵に近づかず安全な場所から倒せるし、戦死者も遥かに少なくなるとなれば、そう考えるのも理解できる。
だけどそれは、武術をメインに戦ってきた全ての『法剣士』が用済みになることを意味する。
「武術でも異法でも、とにかく戦える者をかき集めて戦わせる時代は終わった。これからは異法を使いこなす者が戦場を支配する時代……」
「おいおい、じゃあ俺たちはどうなるんだよ!! 俺たちは強化異法くらいしかまともに使えねぇんだぞ!!」
「担任から聞いたんだけど、異法技能が低い者は……爆撃を成功させる為の、囮にするって」
「そんな、これまで必死に戦い抜いて、防衛任務も沢山成功させてきたのに、最後は使い捨ての駒ってこと……?」
担任に直談判したところで軍の決定が変えられるはずもなく。
「みんな、どうか……生きて───」
再会の約束を交わし、僕たちは防衛任務の囮役としてそれぞれ戦場に行った。爆撃に巻き込まれないよう注意しながら敵を誘導するという危険な役目を、死に物狂いやり遂げた。
そして無事に帰投してきたのは、
「あ……錬くん、お帰り……」
「うん……」
僕と同じく強化異法が得意で、同級生の紅一点、ムードメーカーとしていつも笑顔がたえない、槍使いの女の子。……彼女だけだった。
「担任から、聞いた……みんな死んじゃったって……」
「っ───そっか……」
……その後、異法研究機関は次々と新しい異法や、異法武器を開発することに成功した。
どうやらその開発には、大量の戦死者の戦闘に関する情報が使われているらしく、なるほど、だからこれまで扱いが酷かったのか、と納得した。研究機関は早くそれらを開発するべく情報を欲していて、学園はその為に多くの新入生を問答無用で戦わせていたんだ。
結果、新しい攻撃、防御、強化の異法と、個人個人に合った形状の異法武器のお陰で、戦闘は格段に楽になった。月夜祓はこの時に得たものだ。
「戦場に行く機会が減ったね」
「そりゃ、僕たちのような第一世代……近接戦闘が主の『法剣士』が不要になったからね。今は体に異法が馴染んだ『法剣士』───いわゆる適合者の時代だよ」
「第二世代ってやつだっけ。そういえばこの前、第二世代の人からイヤーな目で見られたんだけど、なんか差別されてない?」
戦闘が楽になり、軍人だけで事足りるようになってから、学生が戦場に駆り出される機会は減った。その代わりに今度は学園の中で問題が発生した。
第一世代と呼ばれる、新入生の時にふるいに掛けられ、それでも生き残り今まで戦い続けた、強化異法を主体に近接戦をする『法剣士』。
第二世代と呼ばれる、研究機関の開発の成果を存分に享受し、戦場に革命をもたらしたと言わしめる、新たな『法剣士』。
この両者の間に差別という深い溝が生まれるのは早かった。
第一世代と第二世代とでは力の差があり過ぎた。攻守共に隙なく異法を使いこなす彼らのほうが、突撃するしかない僕たちよりも、明らかに有用だった。
───その結果が、今も脳裏に焼き付いて消えることのない、あの日を呼んだんだ。
きっかけは、完全に相手側の故意によるものだった。
戦場に行くことが減り、代わりに安全圏に入り込んだ異法犯罪者を処分する任務をやっていたある日、僕と女の子が廊下を歩いていたところに第二世代の男子がぶつかってきて難癖をつけた。
彼の親は上流階級……軍の関係者で、たいした実力があるわけでもないのに、学園ではその威光と立場を使って幅を利かせていた。
全てではなくても、第一世代の犠牲があったから今の第二世代があるということを忘れ、第二世代より劣る劣等種だ、戦場に出すことすら意味のない無能だ、もはや存在価値もないゴミだ、と罵倒して、怒った女の子が彼を一発殴った。
「この一撃、高くつくぞ」
騒ぎを駆けつけた担任の手でそれ以上のことは起きなかったけど、去り際に言われたその言葉がただの脅しには思えなくて、女の子となるべく一緒に過ごそうと決めた。
ほんの少しの間だけ彼女から目を離したのが悪かった。
忘れ物を取りにほんの数分、僕が離れたタイミングを狙って彼女は誘拐された。あちこち探し回り、ようやく見つけた頃には、
「遅かったな、第一世代。ダメじゃないか。たった一人の同級生ならちゃんと守らなきゃ、なあ?」
そこにいたのは、件の第二世代の男子と取り巻きたち。そして地面に縫い止められたように、槍で心臓を貫かれて死んでいた、ただ一人の……。
「──────ろ、した……な」
その激情は噴火の如く、止めどなく溢れ。
その衝動は濁流の如く、理性を押し流し。
『───全テヲ■セ、全テヲ■セ───』
その声は、この世全てを呪っているようだった。
「殺、したな…………よく、も……彼女を、殺シタナアアァアアアアアア!!」
もう何もかもがどうでもよくなった。
ただただ、目の前にいる彼らを殺してやりたいと。そんな真っ黒な感情だけが、僕を支配していた。
「グ、ガ、ぁ、アアァァァッッ───!!!!」
そこから先のことはあまり思い出せない。
何人か殺した手応えと、大勢の人に囲まれて閃光と共に爆撃を受けながら、それでも殺戮を止めなかったことだけが、断片的に、記憶に残っていた。




