第百十八話「その傷を自戒に」「その執着はいつか」
僕は正直、傭兵の弱さと、帝国騎士が女性と聞いて、少し舐めていたんだと思う。
余計な消耗はしたくないから、そして素の状態でも勝てるからと、相手の強さで手段を選ぶという愚を犯した。『ニホン』にいた頃はそんな馬鹿なことはしなかったというのに。
あの世界では、加減なんてする暇も、余裕も無かったのに、こっちに来てからは余裕ができ、力をセーブすることを覚え、自分よりも強い相手が少ないことでうぬぼれていたんだ。
その結果がこの首筋につけられた傷だ。
狂気さえ感じる猛攻に押され、懐に入るのを許し、ルイズ達に助けられたとはいえ一度ならず二度も腕を掴まれて窮地に陥った。しかも最後は回避の為に、『月夜祓』を手放した。
(……ここまで危機感を覚えたのは、ユキナさんと特訓した時以来だ。他は分かりやすく、自分は特殊な方とラウは言ったけど、武力一を誇る帝国の騎士はきっと誰もがこれほどまでに強いんだっ)
あの国は、王国以外の国を支配したのだ。セレネスのように突出した実力を持つ者もいるだろうけど、個人個人の力量だって高いはず。
敵なら問答無用の全力で───ルイズの言う通りだ、互いに倒すべき存在なら、加減なんてしていられない。
(戒めとして傷は残したいけど、この浅さだと傷跡も残らず治るだろうなあ。仕方ない、痛みだけでも忘れないよう覚えておこう)
手を当てればチクッと針を刺したような痛みがきて顔をしかめる。
「うっ」
「それは治さないわよ。反省なさい、おバカ。───それでラウ、全部やったと言ったけど、どこからどこまでかしら?」
「それは……」
帝国騎士のラウは嘘をつくこともなく素直に答えた。
保身の為に仲間や古巣の情報を騎士団に売り、代わりに減刑してもらい釈放、その後各地に散らばっていた元盗賊達。彼らをかき集めて雇い、この都市に放し飼いにしていた。釈放金は『キビシス商会』の者と身分を偽って商会名義で出した。
そして商会が冬季休暇で閉めていた店を無断で開き、わざと愛想悪く接客し、更には傭兵達の雇い主は商会であるなど良くない噂を流す。支店長はほぼ引きこもっていたし、都市の騒ぎにも気付いていないようだったから、悪者にするにはちょうど良かった、と。
「ちょっと待って。確か、資材とか一部の商品を他の商会に渡らないよう集めていて、なおかつ値段を高額にしていたはずよ。それもあなたの仕業?」
「………? ワタシはただ、資材を買いに来た人に、値札に書かれていた値段そのまま売っただけです。商売なんて今までやったことないので、高額にするとかはしてません」
「はあ?」
ルイズがジュリアンを見る。
「彼女ノ言ったコとは本当デス」
「なによそれ、聞いてた話と違うじゃない。じゃあ、いったい誰が高額に設定して、資材を独占したのよ」
「支店長のニレイ様に聞イテみナいとなんトも……」
「なにか、変だ……」
冬季休暇で休業するのにその前にわざわざ資材を独占する必要はない。
それにニレイさんはそんなことはしていないと、僕とフェイルメールさんの前でハッキリと言っている。冬季休暇に入る前、彼が直接、代理管理者のリヒトさんや他の商会に休業することを知らせていた、とも。
だからこの都市に住む人々もこのことは知っているはず。
───なのになぜ、支店に客が来る?
「恐ラく、彼女以外の誰カがやったモノと推測サレまス」
「どうなのよ、帝国騎士。あなたの他に誰か、仲間とかがいるの?」
「仲間なんていません、ワタシ一人です。……まさか、まだ気づいていない?」
ラウは困惑気味に首を傾げた。
気づいていない、とはどういう意味なんだろう。何かヒントがあるのかと辺りを見回して、
「うーん…………ん?」
捕まえた盗賊達、そしてラウと、僕達は戦った。ラウに関しては激しい戦いと言ってもいい。それが真っ昼間の街中で起こった。なのに、
「ねえルイズ、嘘の噂で嫌われてしまったとはいえ、この周囲一帯はこんなにも人気がなくなるのかな……?」
騒ぎを聞きつけて自警団が来ることもない。付近に住んでる人達が避難したような動きもなかった。それどころか、支店の周囲から人の気配がしない。あまりにも静かすぎた。
「人払イの結界は、張らレてイマせン……。ソレかラ、レン様、フェイルメール様の───」
「うん、気配を感じない。結界でもないってことは、僕達が戦ってる間に、どこか遠くに行ったとしか思えない」
ラウの猛攻を捌くのに必死で、流石にフェイルメールさん達の気配を追う余裕は、僕にはなかった。移動したとしたら、その時にどこかへ行ってしまったのだろう。
『キビシス商会』の立場を悪くするような噂を流し、悪者に仕立て上げるかのような意識があるのを感じてはいた。恐らくは強力な後ろ盾があるだろうと思い、その元凶がラウか、彼女の後ろにいる帝国のものと予想していた。
でも違うということは、元凶は他にいる。商会を悪者にすることで得をする、誰かが───。
『───相手は支店とはいえ、この都市の未来を簡単に変えられる大きな組織です。探るならどうかお気をつけて』
だったら、あの人しかいない、よね……。
「都市ぐるみ、か……」
「レン、分かったの?」
「最初は商会が一番怪しいと思ってた。商会の力なら実際にやることも可能だったから。だから次第に、二番目以降からの候補を意識から外していた。商会でなくても、実行可能な力を持っていたのに……」
容疑者と被害者の枠に置く人物を置き換えれば、理由も、そして目的もまだ分からないけど、妙にしっくりクる。
「ラウは乗っかっただけだ。知ってか知らずかはともかく、自分がやることだけやって、他には手をつけていない」
「まあ、便乗した、とも言えますか。商会を邪魔そうに見ていた誰かの計画を利用して、ワタシは『月鏡刃』と戦う機会を作っただけです」
「そちらの狙いは僕だった訳か……。それで、答えてくれますか、その『誰か』を……」
ラウは、もう分かってるくせに、と思っているような微笑を浮かべてから答えた。
「代理管理者、リヒト。彼は嫌だったみたいですよ、商会が推している都市の独立が……」
直後、カンと真上から何かが落ちてきて、辺りは白煙に包まれた。
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「───手を出さないんじゃなかったっけ?」
男が投げ渡した発煙弾を鞘に納めたままの刀で打ち、狙い通りにホームランさせた女剣士が、ニヤニヤ笑いながら聞いてくる。
「流石に四方を囲まれては、今のラウじゃなんのアクションも起こせないだろ。……俺は撤収する。お前はラウを狙ってる情報屋の足止めをしてくれ」
「始末しない方向で、だよね?」
「なにかと世話になったからな。フェイルメールの身内だし、これからもレンの手助けをしてくれるはずだ。姿は見せずに頼む」
はーい、と言って女剣士は屋根の上から飛び降りでもするように頭から落ちて行った。
「っ……───」
一人になったところで男は座り込んだ。
「あまり猶予が無い、か。早いとこ、神像に行かないとな。現状、対策しようがないから、長引かせるとマズい……」
胸に手を当てて苦しげに呟く。
しばらくそのままの体勢だった男は、気つけに頭を振り、何度か深呼吸をしてから、ゆっくりと重い体を立ち上がらせる。
「……俺と繋がりがあることを隠す為にピストルは使わせなかった。だが、今回は良くても、早くて次にはレンは俺の存在に気づくはず。どのタイミングでピストルを解禁させるか考えておかないとな……」
懐から一本の煙草と、帝国で購入した火属性の魔石を組み込んで作られた携帯型シガーライターを取り出し、押し当てて火をつけ、紫煙をくゆらす。
「はぁー………手を出すのはここまで、あとはラウの逃げ足しだい。まあ、喋ることは全部喋ったようだし、レンの意識も逃がしたことより今回の原因の方に向くだろ」
左手の人差し指にはめた銀色の指輪を触り、右手に淡い薄紫色の光を放つ球体を召喚。軽く左右に振ると、シャカシャカ音をたて、少しずつ輝きが増す。
最後に大きく振ると、バシュンッと音を出しながら球体が弾け、カメラのフラッシュ機能のように辺りを強い光で照らした。
「いつか、お前とやり合う時が来るだろうが……その時はお手柔らかに頼むぜ、期待の剣士殿」
光はすぐにおさまった。そして男はこの言葉を最後に、風にのって流されていく煙草の煙を残し、姿を消したのだった。
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「ワフ!!」
「追うのは止めよう、ロルフ。もう気配を追えないところまで行ったみたいだ。それに今は問いたださなきゃいけない人がいる」
煙が晴れるとそこには切られた縄だけがありラウはどこかへと逃げ去っていた。
足音も最初の一歩の音は聞こえたけど、二歩目はかなり間隔を空けて小さく聞こえ、三歩目にいたっては聞こえなかった。脚力を強化して一歩一歩大きく跳んで逃げたんだろう。
「代理管理者のリヒトさんが本当の元凶、か……」
「確かに、あの人なら可能ではあるわね。でもどうしてこんなことをしたのかしら、バレるのが嫌なら、わたし達の調査の許可なんかしないはずよ」
そう、もしくはバレないように、決定的な証拠をでっち上げてもっと商会を追い詰めていたか。……やはり始めてあった時に聞いておけば良かった、リヒトさんから感じていた、あの感情について。
「バレることも計画に含まれていたとかもあり得るけど、そこは本人に聞くしかないね。フェイルメールさん達もきっとニレイさんのところにいると思う。───場所はたぶん、旧タチアナ子爵邸だ……」
一度だけラウが逃げたと思われる方向へと視線を向ける。……遠くにある建物の屋根の上が一瞬、僅かに光ったように見えたのは気のせいだろうか。
(ガラスか何かが光を反射したのかな。……それにしても、はぁ、スレイさんになんて言われるか)
必ず拘束すると確約はしていないにしても失敗したのは事実。
刃が鈍りはしなかったけど、いつの間にか心の片隅にあった慢心が僕を手ぬるくさせた、なんて言ったところで言い訳にしかならない。
これは自分のうぬぼれが招いた結果だ、嘲笑も叱責も甘んじて受け入れよう……。
「───……ん、切り替え切り替え、今はリヒトさんだ」
「そうね」
待っていてくれたのか隣にいたルイズが頷く。
「さっきは、怒鳴ってごめんなさい……。一応ね、あなたの考えも分かるのよ? 消耗を抑えるのは間違ってない。でも、レンが押され始めた時、負けるんじゃないかってすごく怖くなって……」
「いや、謝らなくていいよ。君の言う通りだ、手段を選ばずに圧倒できたのに、それをしなかった僕が悪かった」
……ああ、これじゃあ従者失格だ。主人を不安にさせてしまった。なによりもこれが一番の失態だ。
「もう、大丈夫。あんなかっこ悪い姿は見せない。ルイズの従者として恥ずかしくないよう、もっと強くなるから」
そうルイズを見て宣言する。
「ええ、期待してる」
彼女はそれだけ言って、行きましょう、と走りだした。僕も後に続く。
もっと、力が必要だ。ルイズを不安にさせないように、だれにも負けないように、セレネスにも届くように。誰が相手でも勝ち、圧倒できる力が……。
「…………っ」
力、そして強さへの執着に、チリッと胸の奥に火がついたような感覚がした。───まさかソレが、後になって黒炎となり牙を剥くことになるとは、その時の僕は知りもしなかった。




