第百九話「撃鉄の望みを許し」「野望の熱が春を想う」
「───で、ではワタシはこれで、失礼します!!」
緊張で身を強張らせながらラウは頭を下げて書斎から出た。
「素直に引き受けてくれたな」
「これは同士の為でもある、というのが一番の決め手かと。ここに来る前に同士からも話はしたようで、監視の仕事もちゃんとこなしてくれるでしょう」
「……あそこまで彼に心酔しているのに、監視の役目が務まるでしょうか?」
ラウの緊張の原因───バルコニーに置いた小さな丸いテーブルを囲むように座りながら、ジルクは意外そうに呟き、セレネスはその要因を語り、ネラリアは不安げに問いかける。
カイトが教練所で起こした出来事は既にセレネスが二人に報告していた。
カイトに対して、以前から問題行動を繰り返していた教官をわざとぶつけ、そして被害者の少女を助けさせる。その時彼はどう行動するのかを知るのが三人の目的だったのだ。
「問題ないだろ。血判に誓約書だって書かせたんだ。この仕事に関しては『撃鉄公』であっても干渉できねぇ」
簡潔にすると、『撃鉄公』について見聞きした全てのことを偽らずに報告するという内容のその誓約書は、書いた者の魂に刻まれる。そこに第三者の意思が介入することも、干渉することも出来ない。
カイトから、これだけは言うな、と命じられれば今のラウは相手が皇族やセレネスであったもその通りにするだろう。しかしこの誓約書がある限りそれが出来なくなるということだ。
「しかし……あの男、決闘を受けると言っておきながら、背後から撃ち殺すなんてな。どのくらいやれるのか分かると思ってたんだが」
ジルクが思い出したように教練所でカイトが教官を殺した時のことを語る。
帝国人なら正々堂々と決闘に臨むところだが、それとは真逆の……というか卑怯のそしりを免れないやり方は、彼にとって衝撃的だった。
「あれが彼のやり方です。真正面から迎えうち、剣を交え、魔法を撃ち合う……そんなまともな戦い方も出来なくはないですが、上位種でありながら近接戦闘は不得手です」
「だから手段を選ばないってことか」
「同士曰く、正々堂々の喧嘩は負けるからやらない、これから殺し合うと分かってる相手に背中を向ける相手が悪いと」
「ハッ、なにが喧嘩は弱いだ。報告で聞いたぞ、迫ってくる勇者を投げ飛ばしただとか、噂の剣士と一対一で戦って痛み分けしただとか!!」
普通に戦えるじゃねぇか、とジルクがつっこむ。
「でもそれは勇者が冷静さを失っていたから、剣士と戦う前に下準備を念入りにしていたから、出来たこと……とも報告でありましたよね?」
そこにネラリアが思い出しながらセレネスに確認する。
「事前に相手について調べ、戦場を定めて罠を張り、準備を怠らず。そうして戦いに臨んで、それでも痛み分けというのは……帝国騎士からすればあまりにも───」
「まあ、そこが彼の限界なのでしょう。そこまでやっても勝てないのか、と呆れるのが普通です」
しかし、とセレネスは言葉を続ける。
「本領発揮出来なくても、調査と準備の時間さえあれば、格上の強者を相手にそれくらいのことは出来るということ。負けはしなくても勝てない、居たら邪魔な存在……言い表すならこれでしょう」
「それはなんとも、あの『悪路公』が好きそうな人材だな。まあ一日で二人の仲の悪さが明らかになった訳だが……」
「仕事となれば公私混同はしないかと。個人的には二人の言い争いをずっと見ていたい、というのが本音ですが」
その言葉にジルクは苦笑する。
当人達は断じて違うと反論するだろうが、セレネスからすれば同士達のやり取り全てが『楽しいもの』である。まるで家族団欒でのやり取りのように、その時その時を楽しみ、大切にしている。
強くなることを追求し、王国から追い出されたセレネスにとって、集めた同士とは自身がより強くなる為の踏み台であると同時に───これまで得られなかった人との繋がりを感じられる尊いものなのだ。
「それで殿下、悪魔の件はもう決まりましたか?」
そうして話題は本題へ。
「ああ、ネラリアは渋ったがな。あの王国が、勇者を裁きながらも生かし、聖剣と魔剣の力も健在でありながら、新たな抑止力がいることを知らしめた。だったらこちらだってそれに相当するモノを持ってもいいだろう」
カイトから許可を求められていた悪魔との契約。
その場で答えは出さず、一度ネラリアとも相談したが、正直なところジルクは乗り気だった。ネラリアがいなかったらあっさりオーケーしていたところだ。
というのも、これから孤軍奮闘することが確定していた王国が、新たに勇者ではない一人の剣士を抑止力としたという情報を得たからだ。
「『月鏡刃』だったか……あの勇者を負かし、お前の技を返し、おまけにあの女剣士がご執心だっていう剣士は」
「はい、勇者と並ぶSランクの『守護』の聖女もいますが、新たに抑止力とするなら……ふふっ、彼以外に務まる者はいない」
そう断言するセレネスに、ジルクは頷く。
「お前がそこまで言うほどの実力者だ。遠くない未来、その剣士は確実に脅威となる。だからこそソイツを抑える為の力が必要だ」
「抑止力に対抗する為の……対抑止力とでも言いますか、まだ少し不安ですが、これも帝国の為です……」
ネラリアも渋々といった様子だったが最終的には悪魔を受け入れることにしたようだ。
「それにアイツ……悪魔と契約しないと、ヤバいんだろ?」
「まともな手段での延命は不可能と、言っています。ちなみに私も調べましたが、もうその他に道は無いでしょう」
「……そうかぁ、覚悟キマってんだな」
そこまでしてでも、カイトがやらなければならない目的。それをジルクも、セレネスも知っているし、同じ男としては、自分も同じようなことをするだろうと共感出来てしまう。
「『撃鉄公』に伝えてくれるか。───契約については許可する、いつ出発してくれても構わない。だが扱い方については要相談だ、とな」
「うん───じゃあ、それは私が伝えておくよ。殿下」
「ひょわぁ!?」
突如、聞こえた女性の声。ネラリアはそれが自分の背後から聞こえたことに驚いて素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ……あまりネラリアを驚かせないでくれるか、アンタのせいでコイツが心臓発作でぶっ倒れたの、忘れてねぇからな」
「アハハ、ごめんごめん、ネラリアちゃんの反応が面白いからついやっちゃうんだよねー」
今度はジルクの背後から声。
バルコニーにいるのは変わらず三人のみ。
しかし、その声だけがはっきりと伝えている。ここにはもう一人、誰かがいると。
「……それと、だ。お前のおねだり自体は別にいいんだがよ、はりきり過ぎだバカ。誰が王国以外ぜーんぶ支配下にするまでやれっつったよ。お陰で戦後処理が大変なんだが?」
「うぅ……それについては反省してますよ、殿下。いや、私だってね、戦争を終わらせるくらいにしようかなーって思ってました。これは本当です。でも最後の最後に活きのいい相手が出てきてから興が乗ってしまって……」
屋外だというのに女性の声は反響するように聞こえ、相手がいったいどこから話しかけてきているのか全く分からず、ネラリアはキョロキョロと忙しなく周囲を見る。
「可愛い弟子の様子を見てきたんだろう、どうだった?」
セレネスが言う。その視線は室内の、ジルクが休憩用に置いたソファへ向けられる。
「うん、貴族暗殺の為に、足止めとしてセレネスをレンくんにぶつけてくれたカイトくんのお陰で、彼の刃は更に磨かれた」
いつの間にかそこに座っていた白髪の女性は自身の刀を抱きながら体を震わせる。
「アハ……まさかセレネスの『鏖殺ノ戦剣』を模倣して返すなんて、私でも予想外だったよ!! 全てを更地にする死が迫る、その刹那に見せたあの境地───あれは、あれはァ……」
その震えは、歓喜だ。
「なんっって素晴らしいんだろう!!『明鏡止水』……未だ完全に会得せずとも、その力は既に帝国騎士を超え、特殊部隊でも彼に勝てはしない!! そしてあの成長速度なら、冬が明け、春を迎え、多くの戦いを乗り越えた頃には……完璧に使いこなすはず!!」
彼女は『月鏡刃』の少年の話題となるといつもこうだ。彼の成長を、技の冴えを、その精神を、もう親か何かのようにべた褒めする。
「楽しみだ、嗚呼……とても楽しみだよ、レンくん!! もっと強くなるんだ、今よりももっと、もっと、もっともっともっと!! そしていつか───刹那と永遠の狭間で、白刃煌めかせ、鮮血で身を洗いながら、私と一緒に踊ろうじゃないか!!」
しかし、ただ褒めるだけではないことは、彼女がそれだけの人間ではないことは、この場にいる全員が分かっている。
「セレネスぅ、アレ、どこまで我慢できると思う?」
「最後までは無理でしょう。一回か二回ほど、どこかで発散するイベントが発生すると断言出来ます」
「だよなー……」
項垂れるジルク。
「俺におねだりするほど大事なんだ、ついうっかりで熟成前に刈り取らないようにな。『撃鉄公』からもそこは注意されてんだろ?」
そう言われた女性は、ひとしきりはしゃいだ後、まだ興奮がおさまらないのか体を前後に揺らしながら頷く。
「ああ、気晴らし程度ならいいって言われてるね。……全く、私は子供じゃないんだから、ちゃんと待ては出来るんだけど」
「こと戦いに関しちゃ、お前の落ち着きの無さは子供並みだろうが───なあ『白夜の羅刹女』……ユキナ・レイズ?」
ピタリ、と。その呼び名に女性は体を揺らすのを止める。ニタリと笑みを浮かべる彼女の白い眼が妖しい光を宿し、まるで槍で突かれたような感覚すらおぼえる強烈な視線がジルクに突き刺さる。
「……久しぶりにその名前で呼ばれたなー。つい反応しちゃったじゃないか、殿下。今は『絶圏の剣聖』なんだけど?」
「それは戦い方を縛ってる時のお前であって、本気の本気……いざ死合おうって時の、ガチでイカれたお前ではないだろうが」
忘れもしない……彼女が帝国に来たあの日───帝都近くの平原で軍事訓練をしていた時のことを。
「あの日に見せた力ですらまだ手加減していたんだ。あれ以上に強く、暴れるってんなら、お前をさす名前はこの一つしか考えられねぇよ」
「アハハ、まあ、あれはそちらの運が悪かったと諦めてほしいなあ。武力一を誇る帝国だよ? 試さずして何が剣士か」
「剣士は一人で軍を相手に手合わせしねぇよ」
この化け物が、と口にはせず内心で言いながらジルクは話を戻す。
「じゃあ『撃鉄公』への伝言は頼んだ。明日からはセレネスは戦後処理、俺は内政で忙しくなるから、暫くはお前に頼みたいこともない。春頃までは好きにしてくれていい」
「うん、それなら私はカイトくんについて行こうかな。あの状態じゃあ副官の子……ラウちゃん、だっけ? あの子だけで彼を補助するのは大変だろうからね」
よっ、と立ち上がったユキナはそれじゃと言うが早いか、霞のようにその場から姿を消した。
「はぁ……彼女は出てくる時も去る時も、どうして普通にできないのでしょうか」
「やはり気配を追えない、か……。私でさえ察知出来ないのです。これは向こうが改めてくれるのを待つしかないかと、ネラリア様」
「うゃ〜……」
面白い声を出しながら突っ伏すネラリア。
「まあ、これで春頃までは静かになるんだ。アイツがいると何かとハプニングが起こるからな。そういう意味では『撃鉄公』も大変そうだが……」
ジルクは立ち上がり、バルコニーから城下を眺める。
雪化粧した帝都は静かに。人々はそれぞれ家にこもり、温かい屋内で家族と冬を越す。連合との戦争が終わってようやく戻ってきた日常。
春になればまた戦の炎の熱気が帝都を、帝国を覆い、残る大国を支配せんと躍起になるだろう。
「大陸統一まで、あと少しだ。……それが終われば次は海を支配し、まだ見ぬ極東の地を支配し、そしてこの世界の全てを俺の支配下に置く。それこそが俺の野望。使えるものなら、それが悪魔だろうが、なんだって使ってやるさ」
まずは狙うは王国。
この冬の間に準備を整え、春を迎えたら直ぐに宣戦布告だ。支配下に置いた多くの小国を使うまでもない。
隣り合った国同士、純粋なぶつかり合いで叩き潰す。
「存分に働いてもらうぞ、撃鉄の名を持つ転生者よ」




