第百五話「いざ面接へ」「早く晴れて」
『神聖アテリア王国』の西にある『ザスラット峡谷』はとてつもなく広大だ。地殻変動によって出来たとも、大昔そこに棲んでいたドラゴンの力とも、はたまた突然前触れもなくとも、原因は不明だがその峡谷は出来上がった。
前世の記憶で例えるなら、個人的に一度は行ってみたかったグランド・キャニオンに近い。あの雄大な大自然の中を走り回ってみたかったが死んで転生した身ではもう不可能なので、また後でここに来て観光しようと思う。
閑話休題。
『ザスラット峡谷』を越えるとそこそこ深い森林地帯へ変わり、半ばほど進んだところで『ガザリア帝国』の領土となる。関所を通り、一番近い街からは待機させていた馬車を使って夜行バスが如く目的地まで超特急。
帝国産の馬もかなりの脚力が備わってて恐れ入った。
何度か馬車を乗り継ぎ、段差の無い綺麗に整地された街道を快適に走り抜けること二日と半日───ついに俺は『ガザリア帝国』の心臓部とも呼べる首都、帝都『クルルカン』に到着した。
「へぇ、王都よりも都市開発が進んでるんだな」
「今の帝国は技術面を重点的に伸ばそうと試行錯誤しているところだ。技術者の育成を強化し、給与制度も整え、人員確保に努めている」
「……これが、今の帝国」
馬車の中から見た街並みに俺は感心し、アーゼスさんは今の立場を忘れて見惚れていた。王都とは比べるまでもなく、都市開発によって生まれ変わった帝都が美しかった。
まずは地面。レンガを敷き詰めただけの道ではない。コンクリートに似たもので平らに舗装されていて、歩道と車道で色分けまでしてある。
次に建物。王国と造りは基本のところは同じに見えるが、その細部で大差を付けている。装飾はより細かで精巧、窓に使われるガラスの透明さや大きさが明らかに違う。
下水道完備。生活にも使える綺麗な水路。魔道具を惜しげもなく使って高い快適性を得ている。『貧困街』や『灰街』のような薄汚い区画も無い。そして極め付きは───帝都のど真ん中に建つ大きくそびえ立つ時計塔だ。
「希望の場所はあそこで良かったかな?」
「ああ、一番見晴らしがいい場所と言ったらあそこしかない」
「最低限の物は既に運んである。もし何か必要な物があったら私に言うといい、可能な限り手配して即日届けよう」
「いや、頼んでいた物があるなら大丈夫だ。急ぎで必要な物以外はこちらで用意する。ありがとよ」
「構わん、新たな同士に不便な思いはさせたくはないのでね」
フッと笑みを浮かべるは帝国正規軍元帥でありながら単騎で王都までやってきた超人のセレネス。前に顔を合わせずに話をしていた時にふと気付き、そしてここ数日間彼と面と向かって話してやっぱりと確信したものがある俺はセレネスに聞いてみた。
「薄々思ってたけどよ、お前って同士が相手となると態度が軟化するというか、甘くなるよな?」
「一言で言うなら期待の表れ、だ。私が選んだ強者として、素晴らしい力を見せてくれると確信している。だからこそ助力は惜しまないし、多少のワガママにも目を瞑るとも」
「先行投資みたいなもんか……。それに期待、ね。ハハッ、元帥殿が俺なんかにそこまで言ってくれるとは身に余る光栄だ。失望させないよう頑張るとするかね」
「………………」
帝都の街並みから目を離し、俺とセレネスの会話を聞いているアーゼスさん。彼女には魔法を封じる頑丈な手枷を付けている。手首を回す動作が増えてきたな。流石に辛くなってきたか。もう少ししたら外してやれるので、それまで我慢してもらうしなかない。
「もう抵抗はしないんですね、アーゼスさん。峡谷を越えようとする辺りでやってたみたいに逃げ出さないんですか?」
「イヤというほど、そこの元帥様には、力の差を見せつけられたもの。この状態で敵の本拠地から逃げ出せると思ってないわ」
やや諦めの感情がこもった言葉に苦笑いする。
(そりゃ、何度もわざと逃されては捕まってを繰り返してたらそうなるか。けっこう本気で逃げてたのに、先回りされてあっさり捕まって。遊ばれてる、って表現がピッタリだったな)
俺だってセレネスから逃げ切れる自信はないから、もうどうにでもなれって感じの彼女にちょっと同情する。最後の逃走が失敗に終わった時は涙目になってたし。
「これから、私はどうなるの?」
「同士の身辺整理が落ち着くまでは軟禁生活になる。専属のメイドを付けるから不便はないだろう。その後は同士の副官となって、補佐をしてもらう」
「素直に言うことを聞くと思ってるのかしら」
「指示に従わなくても構わない。判断は自分でするといい。……まあ、無視は出来ないと思うがね」
「え?」
どういうことか聞こうとしたアーゼスさんだったが、着いたぞ、とセレネスが外を見ながら言う。
「我らの主の居城───ススランカ宮殿だ」
黒と赤。二つの色に、龍の爪牙を思わせる刺々しい装飾。見ているだけで恐怖心を抱いてしまうような、物々しい雰囲気の城の前で馬車は止まった。
「……さて、また忙しくなるな」
これからの日々がどうなものになるのかは分からない。
分かるのは、王国にいた頃よりも慎重に、しかし手広く、忙しなく、あちこちを駆けずり回ることになるということ。
そうなることを自分で選んだのでこれは文句ではない。だからこれは、よーし頑張るぞ、とかそういうものだ。
俺の頑張り次第で状況が変わると言っていい。俺がやろうとしていることは、それだけ大きなことなのだから。
「先ずは陛下との面接を乗り越えるとしようか」
■■■
「───おい、聞いたか? もう何人もの冒険者が帝国に行っちまって各地の『冒険者ギルド』が人手不足だとよ」
「当然だろ。もう王国は頼れる国が一つも無いんだ。それに高ランクはともかく、普通の冒険者はどこにも強制されない自由人。ギルドがあれば問題なく活動できるんだから、先行き不安な国に留まる理由は無いだろ」
「ハハハ、違いねえ」
酒の匂いが充満した寂れた大衆酒場の隅で、近くの席で二人の冒険者の話を聞きながら、さっき注文したばかりの野菜スープを啜る。
「はぁ……参ったなぁ、峡谷を横断したかったのに……」
朝一で王都を出た私は乗合馬車で『ザスラット峡谷』まで向かおうとしたんだけど、その道中で馬車の車輪が破損、修理に時間がかかるだけでなく天候まで悪化して猛吹雪と最悪の展開になってしまった。
車輪は私が魔法で応急処置をして、辛うじて走れるようになったけど当然このまま長距離移動は不可能で、幸い近くに小さな村があったから、ちゃんとした修理も兼ねて天候が回復するまで村に滞在することになったのだ。
この大衆酒場は二階と三階が宿になっていて寝る場所の確保には困らなかったから良かったけどね。
(店主によると、この時期の吹雪は長く続くんだっけ……流石に吹雪の中を歩いて行くのは───)
ヒュゴォォォオオオ!!
外から聞こえる強風の音に、ワンチャンあるかと思っていた脳内は手の平を返し、これは無理だ行かない方がいい、と裁決を下す。
(この吹雪じゃどこにも行けないね、大人しくここで待つしかないかな。峡谷は近いし、晴れたら直ぐにでも出発して───っと?)
視線を感じて顔を上げる。
「あっ、お食事中にすみません。ちょっとお話いいですか?」
こちらを覗き込むように見ていたのは一人の女性だった。
夜明けの空のような青色のロングヘアに、同じ色の瞳。美しくも憂いを帯びた顔つきで、修道女のような服装の上にコートを羽織っている。それだけなら訳ありな修道女かなと思えるのだが、灯りに反射してチラつく彼女の両手を見てただの修道女ではないと理解する。
(鋭い爪を備えた金属製の篭手……? それに鉄の匂いに混じって微かに血の匂い……只者じゃないね……)
凶悪そうな篭手に警戒心を強めながら私は笑いかける。
「食べながらでいいなら、どうぞ」
「あ、はい。すみません、では失礼します」
一見、礼儀正しい女性。しかし篭手の存在感が強烈で、どうしても視線がそっちに行ってしまうのを我慢する。ペコリと女性は頭を下げて向かいの席に座ると自己紹介を始めた。
「アタシ……こほん、私はルコアと言います。『ザスラット峡谷』を越えた先の森林地帯に小さな家を建てて、舎弟……じゃなかった、弟と暮らしています」
……まだそうだと分かった訳ではないけど、私はその言い間違いから、彼女がどういう人なのか分かった気がした。早くもボロが出始めたな。
「オウカです。冒険者をしていて、帝国に行こうとしていたところこの吹雪に見回られこの村に来ました」
「ああ、貴女もですか……。私は食料の調達をしにこの村に来ていたんです。吹雪いてくるから行かないほうがいい、と弟から言われていたんですけど、その時の私はちょっと不機嫌だったこともあって……」
「ムキになって出発したらこの結果になった、と」
仰る通りです、と項垂れるルコアさん。
「吹雪が落ち着くまで待っていたんですが、聞くところによると、この時期晴れた日に村から出てきた人を狙う魔獣の群れが近くにいるようなんです。私一人では対処が難しそうなので、オウカさんが良かったら峡谷を越えるまでの間だけ一緒に行きませんか?」
「私も聞きました。雪群竜でしたっけ、集団よりも少数の人を狙う頭のいい魔獣です。群れと言ってもCランクだし……うん、私で良ければお互い助け合って峡谷越えといきましょう」
今の私にはそこまで脅威ではないけど、一人で行くより二人の方がもしもの時に対処しやすくなる。それにルコアさんも戦えない人という訳ではなさそうだしね。断る理由は無い。
「良かったぁ。私は前衛でも後衛でも戦えますが、オウカさんは?」
「私もどちらでもいけますが、後衛の方が得意です」
「じゃあ私は前衛、オウカさんは後衛ですね!!」
よろしくお願いします、とニコニコ笑いながら手を差し出すルコアさん。……あの、その篭手と握手しろと? 今見えたけど指の内側にトゲ付いてるんだけど? 握ったら刺さるよ?
「あっ、すいません。これじゃ握手出来ませんね。えっと、じゃあこっちでお願いします」
そう言って握り拳を突き出す。……そっか、グータッチか。その篭手を外すという選択肢は、どうやら彼女には無いらしい。こちらこそ、と私も拳を作ってコツンと当てる。
「───ところで、同行者探しなら他にも候補はいそうなのに、どうして一番に私に話しかけてきたわけ?」
二階から誰かが降りて来たのは足音で分かっていた。たぶん、というか間違いなくルコアさんの足音だ。
この大衆酒場には私の他にも冒険者はいる。彼女がこんな隅にいる私よりも、階段の近くから何人かに話しかけに行くのが自然な流れだと思うし、パッと見た感じではそもそも気づかれないと思っていた。
なのに、まるで狙い撃ちしたかのように、真っ直ぐ私がいるところに来たのはどういうことか。
「それは……」
私の問いかけに対して、ルコアさんは隠そうともせず正直に、簡潔に答えてくれた。
「だって、今この村にいる人の中で貴女が一番強いじゃないですか。分かるんですよ、そういう体質なんです」




