第百四話「お呼び出し」「春に備えて」
「持たせてしまって申し訳ないッス、レンさん」
「あ、えっと、ハイ……」
セレネスと一戦交わした後、起き上がれないくらいに消耗していた僕は『冒険者ギルド』の空き部屋に運び込まれて治療を受け、そのまま一泊することになった。
朝になって、なんとか起き上がれるようになったけど、未だ腕が上手く動かないし疲労感は消えなかった。外ではセレネスの技で更地にされた場所の復興作業が始まっていて、これでは手伝えないなとベッドの上で横になりながら思っていた時、
『レン、王家から使者が来てる。ジブリール第二王女殿下が話をしたいから、ルイズと一緒に王宮に来て欲しいって』
ギルドマスターのサリィさんからそう言われ、重たい体をルイズに時折支えて貰いながら王宮に行くことになったのが一時間前。そこから広くて豪華な談話室に案内され、向こうから呼んでおいて待たせるとはどういうことなのかと不機嫌そうな様子のルイズを宥めながら待っていると、
「どうもッス〜」
と気が抜けるような挨拶をしながら浴衣姿のジブリール様が入ってきたのだった。
「さっきまで騎士団長さんと、これからのことについて話してたらちょっと長話になってしまって〜、待たせるどころか軽い放置になって本当にごめんなさいッス」
お許しをー、なんて言って頭を下げるジブリール様に、僕とルイズの頭は混乱した。
「あ、あの、もしかしてそれが素……なんですか?」
「そうッスよ、正直今すぐにでも引きこもりたいオタク系埃被り王女とはアタシのことッス。どうッスか? 驚いたっしょ?」
恐る恐るとルイズが聞くと、王族の口から出たとは思えない自己紹介にイェーイとダブルピースまで付けるジブリール様。これまで会ってきた人とか明らかに違うノリにどう反応したものかと考えて、
(うん、こういう人なんだと思おう)
(ええ、世の中にはいろんな人がいるものね)
僕とルイズは深く考えるのを止めた。
「本題に入る前に、レンさんにはお礼をしないといけないッスね。コホン───帝国の正規軍元帥であるセレネスから王都を守ってくれて感謝します、レンさんがいなかったらもっと多くの区画が破壊されていたでしょう」
素の口調から、王女としての口調へ。彼女は姿勢を改めて深々と頭を下げた。先程のゆるい雰囲気はどこに行ったのか。『魔剣武闘会』で見た、王族としての威厳を感じる振る舞いに変わっていた。
「いえ、僕は自分が死なないように全力を尽くしただけで、被害を抑えるのは二の次───いえ、そんな余裕はありませんでした」
「レン、あなたが戦った相手は、そんなに強かったの?」
「とても強かった。……あれは一生では到底足りないほど、とてもとても長い時間を、苛烈で壮絶な戦いにだけ費やして……ようやく到達できる領域に立つ、そんな存在だ」
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
実際に対峙し、剣を交えて、剣の記録を見て分かった。あの剣士は超人や魔人、それこそ『超越者』と呼べるような存在。
【鏖殺ノ戦剣】と呼んでいた技だって本当なら凌ぎきれずにあの場で死んでいた。生きているのは相手が本気ではなかっただけ。守ったとか、撤退させたとか、そんなことを言われても僕には何も───
「まあ、そちらがどう思うとも、戦ったのはレンさんで、そのお陰で被害は少なくて済んだのは間違いないッス。だからアタシはレンさんに感謝の印としてご褒美をあげないといけないッスね」
そう言ってジブリール様はチケットのような横長の一枚の紙を僕に差し出した。
「チケット? ピンク色に、キスマーク?」
「なぁ!?」
なんだろうと思っているとルイズが顔を真っ赤にしながらチケットを奪って直ぐにビリビリと破り捨ててしまった。
「なな、なななんてモノ出すんですか殿下ぁ!!」
「えっ……なんて、って『ハピネス』のナンバーワン美女と一発ヤれる券ッスよ? あーあー、確保するのに苦労したのにぃ……」
「超がつく高級娼館じゃないですか!! レンにはまだ早いですし、刺激も強すぎます!!」
「いや、もう十分に対象年齢はクリアしてるッスよ、レンさんは。……というか、レンさんより年下のルイズさんの方が知ってるのはちょっと驚きッス」
「冒険者やってれば、嫌でも耳に入ってきます!! 特に男だらけでパーティ組んでる連中からね!!」
耳から蒸気が出るくらいの勢いで、王女相手でもお構いなくまくしたてるルイズ。えっと、大丈夫だよね? 不敬罪とかで捕まったりしないよね?
「やれやれ、まあ本命はこっちッス」
気を取り直して渡される一枚の書類。色々書かれているけど、要約するならこうだ。
「Aランク冒険者レンへ。これまでの功績を讃え、ジブリール・フォン・アテリアより、この名を贈るッス。安直かなと思ったッスけどね」
書類の次に渡されたのは真新しいギルドカード。
そこには僕の名前とランク、あと所属、これまで倒した魔獣や達成した任務の数が記されている。ここまでは今まで使っていた物と同じだけど、そこにもう一つ……目立つように金色の字でランクと名前の間にソレがあった。
───Aランク 『月鏡刃』 レン───
それは二つ名。サリィさんと昇級の手続きをする際に未定にしていたんだけど、まさかジブリール様から名付けられるとは思わなかった。
「『月刃』とどっちにするか迷ったッス。決め手になったのは、他の冒険者さん達から見たレンさんの戦う姿ッスね」
Aランクになって依頼をこなす傍ら、親しくなった冒険者から助っ人要請を受けて共同で依頼を受けたり、窮地に陥った新人のもとへ駆けつけて救助したことが何度かあった。
その時の僕を見て彼らは、夜でもないのにその目と刃には月が映っていた、まるで鏡のように曇りが無く綺麗だった、と語ったらしい。
だったらこの際、もう一文字付け足してしまおうと決め、この二つ名になったとジブリール様は言った。
「『月鏡刃』……いいですね、気に入りました」
「なら良かったッス。これで正式発表が出来るッスねー」
正式発表。その言葉を聞いてルイズはハッとした。
「おおやけにするんですね……? カムイのことも、全部」
「状況が状況ッスからね、ここで発表して少しでも他国を牽制しておきたいんスよ」
「政治的にレンを利用するつもりですか……」
「ぶっちゃけると、そうなるッス」
「……!!」
ルイズは怒りをあらわにしてジブリール様に掴みかかろうとして僕は慌てて止めた。
「ちょっ、ルイズ!? いきなりなにを!?」
「ッ───は、ぁぁぁ……離しなさいレン、今抑えたから」
ここまで激しい怒りがこもった彼女の目は見たことがなかった。何かをこらえるように拳をギュッと握りしめ、彼女は大きく息を吐いてからゆっくりと椅子に座る。
「そういえば、あなたは朝起きて直ぐここに来たからまだ知らなかったわね。……ジブリール様、わたしから説明しても? 足りない部分は補足してくれると」
「流石はルイズさんッスね、もうだいたいのことは把握済みッスか。良いッスよ。そうして気を紛らわせてくれれば、アタシが説明してる途中でついうっかり手が出ることも無さそうッスから」
「あとで一発ビンタさせて下さい」
「……お手柔らかにお願いするッス」
よし、と頷いてからルイズは僕に話してくれた。
「端的に言うと、王国以外の国全てが味方ではなくなったわ」
帝国が『連合軍』との戦争に勝ち、王国以外の国を支配下に置いた。セレネスが王都に現れていくつもの建物を破壊したことを宣戦布告と見なし王国が戦争を仕掛けるか、潔く降伏するか、帝国が大陸統一を掲げて攻めてきて大戦争になるか、この先の展開はその三択らしい。
僕の昇級を正式発表すればカムイの悪行が知らされ、勇者として活動出来なくなったことが他国にバレる。そうなると、やらなければいけないことがある聖女はともかく、強力故に他国が警戒していた勇者という抑止力の一つが王国から無くなったと相手に思われる。
今の四面楚歌な現状でそれはまずい。だからこそ、王国は勇者の代わりとなる者が……勇者を倒せるほどの『武力』があることを知らしめる必要があった。
本格的に冬を迎える前にこれを公表し、他国に周知させる。そうすれば向こうは僕を警戒、もしくは事実なのかどうか調べようとして、少しは大戦争が始まる時期を遅らせられるはず、とのことだった。
「それから要塞竜の討伐に行っていた騎士団が戻って来たんだけど、アーゼス副団長が帝国に連れ去られ、騎士数名が───殺されたわ」
「なんだって!? いったい誰に!?」
「報告によると、殺された騎士全員は額を撃ち抜かれていたみたいッス。それから王都に残っていた有力貴族も同じように殺されていた……それが出来る人を、レンさんはよく知っているはずッス」
ジブリール様が親指と人差し指で撃ち抜かれて出来た穴の大きさを表現する。その小ささで、額を撃ち抜ける手段を持つ人なんて、一人しかいない。
「まさか……っ」
「そう、裏で繋がってたのよ。カイトさんと、あなたが戦ったセレネスは」
要塞竜を討伐した後、セレネスが現れてカイトさんはアーゼス副団長を連れて帝国に行ってしまったらしい。完全な裏切り行為に、騎士団は怒り心頭で血眼になっていると。
じゃあ、セレネスが言っていた『同士』って、カイトさんのことだったのか。僕をあの場に留まらせて、その間にあの人は貴族達を撃ち殺した……?
「それで、ここからが本題なんスよ。レンさん、あなたが教会の地下でカムイと戦った時に、あそこで保管していた大量の薬草はカイトさんが回収したんスよね?」
「えっと……手段は分かりませんけど、薬草が入って積み重ねられていた大量の木箱が一瞬で消えて、カイトさんがやったんだなと思ってました」
「なるほど。……実は、その薬草の所在が不明なんスよ。もしかしたらカイトさんが帝国に持っていったと思われるッス。おまけにカムイが住んでいた屋敷にあった、家具やら装飾品やら服やら、あらゆる物が裏ルートで売り払われていたッスね。ざっと金貨千五百枚にはなるかと」
「せんごひゃく……」
あっ、ルイズが真っ白になってる。金銭感覚が庶民寄りだから脳内で処理が追い付かないんだ。
「『連合軍』との戦争で少しは帝国も損失があったはずなんで、その補填に使うつもりなのかと思われるッス。まあ、金貨はともかく薬草の品薄問題は豊作だったことで勝手に解決したからいいとして……問題はカイトさんが敵になったことッスね」
セレネスと裏で繋がっていたカイトさんが敵になった───それを聞いて、どうしてとか、何時からとか、そんな疑問をすっ飛ばしてその事実はストンと胸に落ちた。
あの人ならやりかねない、あの人なら出来ると、なんか納得できてしまうのだ。
「───カイトさんを、捕まえればいいんですか? 何か仕掛けてくる前に彼の企みを暴き、阻止しろと」
「かなり困難なことだとは分かってるッス。あの人を簡単に捕まえられるなら、セレネスと手を組む前には、証拠を叩きつけて牢獄にブチ込めていたはずッスから」
それには僕も同意だと頷く。あの人が簡単に捕まるような人ではないと断言できる。そして放置しておくことは絶対にしてはならないタイプであることも、僕は分かっている。
「まずは足場作り。今、王国は孤立無援になった影響で、各地で問題が発生してるッス。アタシが後ろ盾になるッスから、レンさんにはこれを解決して欲しいッス」
「春を迎える前に、片っ端から、ですね」
「ついでに雪に吹かれながら、ね」
「色々とサポートするんで、頑張って欲しいッス。手始めに行って欲しいところがあるんスよ───」
机に地図を広げ、ジブリール様がここッスと指でトントンとつく。
「それから、二人だけでは大変かと思うんで、何人か協力者として同行してもらった方がいいかもしれないッスよ」
「確かに。……分かりました。早めに協力者を見つけて、準備ができしだい出発します」
「お願いするッス」
その後、長旅になるので道中で必要になる物を用意してもらうようジブリール様に頼み退室しようとした時、ルイズは僕だけを談話室の外に行かせ、
『王女だとして言わせてもらうわ。……いい? レンはわたしの、わたしだけの従者よ。彼を国の都合のいい使い捨て道具にだけはしないと約束して』
『約束しようがしまいが、結局ビンタするんスよね』
『当たり前よ』
『はあ……確約は出来ないッス、でも努力はするッスよ』
良く聞こえなかったけど、ルイズはジブリール様となにか話をして、次にバチンと大きな音が聞こえた。
「行くわよ、レン」
「う、うん」
談話室から出てきたルイズの右の手のひらは、何かを叩いたように真っ赤になっていた。




