第百二話「偵察騎士は反逆し」「狐妖は悲恋に哭く」
「お前、元団長だったのか? そんなのどこの資料にもなかったぞ」
ジト目で詰め寄るカイトにセレネスが淡々と答える。
「私の名は関係者以外には秘匿されている。同士がどれだけ調べたところで分からないのも仕方のないことだ。そもそも同士にとって、今更それが明らかになったところでなにか不都合があるのかな?」
「あー、まあ……確かにそうだな。今だろうが元だろうが、立場がどうこうは俺には関係ない。俺にとって重要なのはソイツがやったかやってないかだ」
「その通りだ、同士よ。───さて、こうして私が迎えに来た訳だが……」
セレネスはおもむろに腰にさした鞘から長剣を抜くと逆手に持ってカイトへと近付ける。それは、まるでこの剣を持て、と伝えているようで……。
「だめ、カイト!!」
「っ!? セレネス、それは……!!」
「邪魔をするな、シム」
その意味を察した私とシム団長が急いで駆け寄るもその前にカイトとセレネスを覆うようにドーム型の結界が張られた。
「これは彼にとって最後の選択であり、決別の儀でもある。他者の意思は不介入。共に来るのも、私から去るのも、それを決めるのは彼だけだ」
「不可侵の結界!? これ、なんなのっ、この魔力密度は!?」
「おいカイト、お前、その剣を取ることがとういう意味か分かっているのか!!」
結界を何度も叩きながらシム団長が怒鳴りつける。
「もちろん分かってるぜ、シム団長。そしてアンタにとって最悪な選択を俺が選んだ場合は、ここにいる全員で俺とセレネスを始末することもな」
言わないで。どうかお願いだから、そんなことを選ばないで!! そうすると言わないで!!
帝国では自身の剣を誰かに預ける、もしくは持たせる行為は信頼の証であると同時に───仲間と認める、という意味を持つ。
もし、このままセレネスの剣を取ってしまえば、その裏切り行為によってカイトは『神聖アテリア王国』の『サザール騎士団』に属する人間ではなくなってしまう。
「カイト、そのまま、この結界から出てきて!! それを取ってしまったら私は、私達は───王国騎士としてあなたを殺してしまう!!」
どうしてこんなことになっているのか私には分からない。
でもそんな未来を見たくないから、そんな別離をしたくないから、カイトがセレネスの剣を取ってしまう前になんとしても阻止しないといけないと思った。
騎士団のみんなも、武器を構えながらもカイトを呼び掛ける。嘘だ、信じない、そう自分に言い聞かせながら。
「私が帝国をどう思っているか分かってるでしょ!? 私がどんなことをされたかも、全部カイトは分かってるでしょ!? それを知っててカイトはその剣を取るの!?」
『野狐』を不可侵の結界を囲うように配置。魔力を総動員して全方位から高密度に魔力を込めた魔法を放ち、私も魔力で強化した短剣を持って結界に突きたてる。
頑丈な結界はビクともせず、不可侵の名の通り、外から来るあらゆるものを返す。結界によって短剣を突きたてた時の衝撃が両腕に返り、物凄い激痛が駆け巡る。
それでも、止めることはない。止めることは出来ない。
「お願い……お願い、だから出てきてっ!! 私にとってカイトは最高の相棒で、ずっと一緒にいたいと思える大切な人で……そして、そして───」
違う。
大切な、なんてものじゃない。
私はそれ以上の気持ちを確かに抱いている。
それは胸の内に確かにあり、今まで言葉に出来なかったもの。本当の両親から与えられることなく、しかし今までみんなから与えられてきたものだ。
そして何よりも───カイトがこれまでやってきた、私に対しての言動に込められていた感情。それと同じものを私は持っていると、今ようやく理解した。
なぜ、今まで言えなかったのか。
なぜ、今まで言葉として出てこなかったのか。
それは最早どうでもいいこと。もうどうしようもなく私は、これまで彼のことが、これからも彼のことを、誰よりもずっとずっと───
「カイトが、あなたのことが…………好きなの!!」
「───ッ!? オウカ、お前……」
短剣が僅かに、不可侵の結界に亀裂を入れた。
■■■
「ほう?」
私は目の前で起こった現象に思わず口角が上がるのを感じた。
「狐妖族……なるほど、彼女が同士の言っていた女か。しかもこの土壇場で種としての『格』を上げるとは」
隣にいる同士を見れば目を見開いてその姿に見惚れている。
無理もない、と思いながら私は結界の維持に務める。結界をより強固なものに更新できるが、そうしてしまえば彼女の叫びも『格上げ』も無駄骨になる。
実際、それは無意味で、彼女や騎士達の説得も全てが無駄なことだ。……しかし奥底から解き放ったような叫びを聞き、『格』を上げたその美しい姿を見れば、ここで余計なことをするのはあまりにも無粋というものだろう。
(見納めの花としてこれ以上のものはない。そしてその花が美しければ美しいほど、今も抑え込んでいる感情はより大きくなり、同士よ……お前を突き動かす)
彼女の短剣は徐々に結界に刺さっていき、同時にそこから亀裂が広がっていく。素晴らしい力だ。あの若き剣士と同様に、次に合う時が楽しみになる。
(『待つのも、楽しみの一つ』───『泰山公』は良きことを教えてくれた。この味を知らなかった過去の私は大馬鹿だ。一度でも味わったが最後、泥沼のように抜け出せなくなってしまった)
そうして、陶器を割ったような音と共に結界が破れる。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ───カイト!!」
「オウカ……」
魔力を使い果たし、呼吸を荒くしながらも、彼女はかつての相棒へと手を伸ばす。
結界越しで見たよりも美しく、瞳は獣のそれへと変わり、風に靡く髪はより長く、綺麗に毛並みが整えられた尾はニ尾となり、全身を黄金に輝く光を纏っていた───。
■■■
『気狐覚醒』───これは『野狐』よりも位が上である『気狐』の狐妖族が己の力を理解し、完全に掌握したことで『仙狐』へと至る進化が起こる現象。
人の姿のままではあるが、目や牙、爪などに加えて纏う空気が獣に近づく。大きな変化としては尻尾が一本増え、魔力量増加、魔法技能向上、身体能力強化と大幅に強化される。
(好き。……嗚呼、そうだ。私はカイトが好き、大好きなんだ)
この感情は、ずっと前から胸の内にあったんだろう。カイトと組んで任務に臨み、一緒に日常を過ごして、触れ合って、いつの間にか芽生えたんだろう。
いつもカイトは私の近くにいて……ううん、近すぎたから、今こうして私から離れてしまうと思ってようやく気付くほどに、この感情は大きくなっていたんだ。
「カイトから離れて、セレネス」
『野狐』を率いて、後方に展開した各属性の魔法陣からいつでも魔法を放てるようにしつつ、両手に短剣を持って、ただ『退け』と睨み付ける。
「言ったはずだ、他者の意思は不介入だと。もしくは私ではなく同士に言うといい。手を伸ばし、こちらに戻れと。私はここから一歩も動かない。どうするか決めるのは他の誰でもなく、彼なのだから」
そう言ってセレネスは持っていた長剣を地面に突き立ててカイトへ視線を向ける。
「この剣を取るか、あの手を取るか。───どちらかを選ぶといい、同士よ」
「カイト、お願いだから、こっちに……」
「俺は…………」
カイトは長剣と私を交互に見る。そして、
「……まあ、これ以上なにを悩むんだって話か」
迷いなく、でもどこか悲しげに。小さく呟いて───カイトは長剣の柄を握り締め、引き抜いた。
「そん……な……」
「……っ、馬鹿野郎が───総員、カイトを拘束せよ!!」
シム団長の声にみんなが一斉に動き出す。
「セレネス、掴まれ」
「ああ」
カイトは素早く手に何か球体のようなものを召喚すると地面に叩きつける。ボンとそれは弾け、あっという間に周囲を白い煙が立ち込めた。
「ゴホッゴホッ、これは……煙幕か!? くそ、カイトぉぉぉ!!」
「シム団長、アーゼス副団長は俺が『保護』して、このまま俺と一緒に帝国に行くことになっている。そして彼女のことは俺に一任される予定だ。まあ悪いようにはしないから安心してくれ」
「ふざけるな!! 仲間を撃ち、帝国に鞍替えした今、それを聞いて誰が安心できる!?」
「ごもっとも、それなら頑張って取り戻しに帝国まで来るんだな。それから……」
僅かな煙の切れ間からカイトと視線が合う。
「どうしてなの……?」
「………………」
彼は答えず、目を伏せる。
「答えてよ、なんでそっちにいるの……カイト!!」
「全ては帝国の為に……」
今まで聞いたことがない、感情を伺わせない声音でカイトは言うと同時に完全に煙で姿が隠れてしまった。地面を踏む音が段々遠ざかっていくのが聞こえて、私は追いかけようと煙の中を進む。
「……いや、待って、待ってよおお!!」
手を伸ばして煙から出た先には、
……もう、私の好きな人はいなくなっていた。
「……あ、うっ、ううぅ───」
全身から力が抜けたように崩れ落ちる。
まるで胸に大きな穴がポッカリ空いたような気分だ。そしてその穴を冷たい風が通り抜けて、身も、心も、酷く冷たくなっていく。
私はこんなにも彼のことが好きだったに。私の心の大部分は彼で一杯だったに。なのにこんなのは、
「酷いよ、あんまりだよ……」
なんでこんなことになった?
なんでカイトはこんな事をした?
なんで私から離れていった?
なんで、
なんで、なんで、
なんでなんでなんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで──────
困惑、慟哭、悲憤!!
そう私の中で色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、溶け合って、消し合って、最後の最後に残ったのは、
『───心が怒りよりも、嘆き悲しむ方に寄り過ぎてる。優しすぎるんだ』
彼に言われた通り。
「うそ……うぅ……いやだ……ひぅ……っ! ひどいよ……ひっ……ぐすっ……ひっく……うぅ……!!」
怒りはある。でもそれ以上に、彼が遠いところに行ってしまったことに悲しみが、とめどなく溢れるだけだった。
───その後、王都に撤収した騎士団の面々だったが、『冒険者ギルド』周辺区画の変わり果てた光景、避難せず残っていた有力貴族たちが銃殺された姿、そして……
「……『ガザリア帝国』が『連合軍』との戦争に勝ち、ここ『神聖アテリア王国』以外の全ての国を支配下に置いたという一週間前の情報が、今になって届いたッス」
執務室で頭を抱える第二王女ジブリールから渡された一枚の報告書。その差出人の名前を、彼女は怒気を込めて言った。
「やってくれたッスね、カイトさん……!!」




