第百話「奥義は刹那に為し」「月冠する法を詠む」
騎士団の全戦力が『災害級』の大型魔獣の討伐の為に王都を出てから三日目の夜を迎えた。
第二王女からのお触れで、住民のほとんどは万が一に備えて避難し王都から出ていった。今頃は近隣の村や小さな町で騎士団の勝利を願っている。
残っているのは、王族と縁のある長く王都で政治面を担ってきた貴族たち、そして『冒険者ギルド』があるのならどこでも活動できる根無し草の冒険者くらいだ。前者は最後まで国の為に、散るのなら国と共にという思いで。後者は都市の防衛に参加しての報奨狙い、マズくなったら自分の命優先で逃亡というところだろう。
王都暮らしが貴族としてのステータスだと思ってる成り上がり貴族は真っ先に逃げ出したし、まだ経験が浅い冒険者は避難する住民の護衛という名目で『冒険者ギルド』が逃がしたようだ。
「異常は、無し……と」
静かになった都市の中を歩き回り、怪しい人物は今日は見つからなかったことを報告しに『冒険者ギルド』に寄る。
「見回りお疲れ様でした、レンくん」
「いえ。騎士団が不在の間の治安が不安だと、うちの主人が言ってたので」
「なるほど、そうでしたか。……ではその聡明で小さな主人に、後ほどギルドから感謝状とささやかなお礼をお渡しするとお伝え下さい」
「はい」
僕は頷いて『冒険者ギルド』を出る。
騎士団が不在で、多くの人々が避難したことで王都の警備は無いに等しくなった。たまに王城から近衛騎士が見回りに出てるけど明らかに手が足りていない。
それを見た僕の主人が言ったのだ。今が好機だ、と『灰街』から良からぬ人が盗みを働きに来るかもしれないから、貴方も見回りに行ってきなさいと。
(その結果が、昨晩の盗人の大量捕縛。ルイズの読み通りだったわけだ)
かなりの人数を捕まえたから『灰街』の人達も警戒して出てくることはないと思う。まあ、また何かやらかしそうな時は止めるだけだけど。
早く帰ってルイズに伝言を伝えよう。そう思って、星が輝く夜空を見上げながら帰路につこうとしたところで、
「ほう、これを防ぐか……」
「闇討ちするならもう少し気配を消した方がいいですよ。ずっと後をつけてきて、僕にいったい何の用です?」
気配を感じ、瞬時に振り返りながら、背後から迫ってきた刃を鞘に納めたままの『月夜祓』で防ぐ。
「フッ……キミには特に個人的な用はなかったのだが、同士に頼まれてしまったのでね。勇者を倒したというその実力がどれほどのものか、見定めさせてもらう」
「っ!?」
鍔迫り合いの状態から一気に押される。
まるで重機に押されているかのような力に、踏ん張る両足は虚しく地面を滑る。このままではいずれ体勢を崩して手痛い一撃を受けかねない。
(なんて力だ……踏ん張るので精一杯だなんてっ、一度距離をとらないと!!)
体勢を低く、下から腰を入れて押し上げる。力押しは苦手だけどなんとか相手を一瞬だけ押し返すことに成功する。
「なるほど、そうくるか……」
「ッ───"電光石火"……この身は刹那に輝く雷光なり!!」
そして僅かに空いた腹部を目掛けて右足で蹴りを入れながら、そのまま踏み台にして強化した脚力を活かして大きく後ろへ跳んだ。
「恐ろしく速いな、瞬きの内にそこまで離れるとは」
相手から離れることに成功したことで僕はここでようやく何者なのかを知ることができた。
やや長めの茶髪をオールバックに。夜でありながら妖しく輝く銀色の瞳。
薄らと笑みを浮かべ、一切の感情を感じない眼差しの成人男性が───両刃の長剣を手に、見覚えのある赤い鎧を身につけた姿で僕を見ていた。
「雷属性なのは間違いない。身体強化の魔法……いや、既存の魔法に今のようなモノはない。実に興味深い」
彼は蹴られた腹部に手を当てながら僕が見せた"電光石火"を分析している。踏み台にする都合上、本来の蹴りではないにしてもそれなりの威力になるのにビクともしてない。
「その鎧、帝国騎士かっ……!!」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。……私の名はセレネス、セレネス・オルト・アンバース」
ゆっくりと、彼───セレネスは持っている長剣を夜空へと向け、空気が変わった。
(これ、は…………っ)
ただの一動作でしかないのに、ズンと今まで感じたことのない重圧感が全身を駆け抜けて、刀を握る手がカタカタと震え始める。
(……武者震いでは、ない。これは久しく感じていなかった……『恐怖』だ……)
なにか、恐ろしいことが迫っているのが分かるのにただ見ることしか出来ない。初めて刀を振るうユキナさんを見た時と同じ感覚───対峙している相手が立っている地点が、僕自身が立っている地点と、あまりにも差が開きすぎて手を伸ばしても届かないような……。
例えるなら、ユキナさんの場合は単純な距離ではなく次元が違うのに対し、セレネスの場合はいわば段の数だ。
踏み出し、確実に、着実に、一歩一歩の積み重ねで上がってきた階段の段差の数が桁違いなのだ。
「ガザリア帝国正規軍元帥……その立場を、私は皇太子殿下より賜っている」
それを聞いて僕はもっと離れるべきだと本能的に理解する。
「同士からは恥ずかしながら『最優の剣将』や『剣皇公』とも呼ばれている」
しかし、剣士としての勘で分かってしまった。……今の僕では彼を倒すことはできない、と。
「【鏖殺ノ戦剣】───どうか、これで死んでくれるな」
振り下ろされたセレネスの長剣。
端から見ればただの素振りのようだった。
しかし今、僕の眼の前で起こり、しかも近付いてくるあの有り得ない大破壊は間違いなくセレネスによるものだ。
完全に剣の間合いの外にいるというのに肉体は数秒後の死を確信し、
(……死ぬ)
持ちうる技の全てを用いてもこの攻撃は対処不可能だと脳が告げ、
(…………死ぬ)
剣を振り上げるだけの動きのみでも感じる圧倒的な実力の差にこれは無理だと心は折れ、
(………………死ぬ、のは嫌だ───)
だとしても、もしこの現場を見ていたなら、このまま死ぬ未来を決して赦さず黙っていないであろう小さくも綺麗な存在の顔を思い出して、
「スゥゥゥゥゥ……ハァァァ……」
処理すべき全工程を確認し、実行する。
最速で、最短に。
最大で、最高に。
─── 成るは明鏡 為すは止水 ───
蒼月は夜天に在らず、
しかしてその輝きは我が刃に宿りけり。
舞えや月下に。踊れや黒夜に。
響けや刹那に。捧げや永久に。
「是即ち、我が奥義。───"明鏡止水"なり」
もう間近に迫った死の結末。
本来ならこれはもっと年単位で鍛錬を積み重ねてから行いたかった。
分不相応な力は身を滅ぼす。今の僕ではこの強化異法をほんの僅かしか維持出来ないし、不発だってあり得る。仮にこの死線を乗り切ったとしても、その先にあるのは力尽きて無様に倒れる自分だ。それでも、
(……僕には帰るべき場所があるんだ!!)
「"明鏡止水"・壱式───」
『月夜祓』の切っ先で丸く円を描き、
「『鏡花水月』」
不思議と落ち着いた心持ちでその技を使用した。
「───これは、流石に予想外だった」
「ぐ、っ……あ……」
仰向けに倒れる僕を見下ろしながらセレネスは数回拍手する。
「なるほど、死の間際で高みへと一歩踏み出したか」
そう言って視線を上げそこに広がる光景を見る。
「私が放った【鏖殺ノ戦剣】は視界に写る全てのモノを塵芥になるまで斬りながら進む技だ。間合いは最長で地平線まで及ぶ。物陰に隠れようと一切合切斬って捨てていき、最後に残るのは更地だけ───そうやって王都の二重防壁もろとも消し去ろうとしたんだが……」
破壊されて更地になったのはセレネスと僕がいる周辺だけで、そこから後ろは更地になっていない。どうやら上手くやれたようだ。……この辺に住んでいた人達には悪いけど。
「鏡の中に映した相手の技、それをそのまま鏡から出して返すことで相殺するとは。『鏡花水月』だったか……やはり興味深いな、キミも、キミが使う技も」
「……………っ、……」
強化異法の中から僕が奥義として選んだ"明鏡止水"は一先ずは『蒼白ノ水月』の完全上位互換と言っておこう。そしてこの状態でのみ、『月』を冠する特別な異法が使えることが可能となる。
「……今のは、いわば模倣です」
「そうか、それ以外は教えないという顔だな」
「当然です」
『鏡花水月』───鏡や水に映った花と月、目には見えても手に取ることはできない。
でもちゃんと目では見えているのだ。だったらそれがどんな技だとしても理解し、模倣することだって可能なはず、という構想の下で生まれたのがこの壱式『鏡花水月』だ。
鏡に映した相手の技を今の自分でも再現可能ならそのまま、無理なら模倣が可能なレベルまで威力や規模を弱くしてやり返す反撃型攻撃異法。それで模倣する相手の技がより高度になるほどこちらの『気』の消費量が増えるのは、まあ仕方のないことだ。
気がつけば"明鏡止水"も消えてる……やっぱり、まだ早すぎたんだ。それに両腕に力が入らない。これはもう動けないね。
「見事だ、冒険者レン。本気ではなくとも私の技を模倣し、返すことで生き長らえたのはキミが初めてだ」
だと思ったよ。もし本気だったら模倣できたとしても僕の正面を守ることしか出来ず、被害はもっと大きくなってたはずだ。
『鏡花水月』を通して【鏖殺ノ戦剣】と言ったあの技を理解しようとした時、僕は彼が持っていた剣に宿る記録を見て、彼も規格外の存在であることを知ったんだから……。
「相当無理をしたようだ、その状態なら暫くは動けないだろう。これなら同士も動きやすくなる」
「同士……?」
「おっと、今のは余計な一言だった。素晴らしい可能性を秘めた剣士と会えたことに高揚したようだ。喜ぶといい───キミの刀はいつか彼女に届くだろう」
最後にセレネスは穏やかな口調でそう言い残し、これ以上の攻撃をすることもなく、どこかへと去って行った。同時に遠くからいくつもの足音が聞こえてくる。バタバタという音で走っていることが分かる。
「おいおい、ここで何があったんだ!? 建物が粉々だぞ」
「原因は分かりませんが、皆さんは最低限でいいので撤去作業を!!」
「レン!! どこにいるの、レン!!」
「ワォーン!!」
……ああ、流石にここまで派手にやれば気付いて駆けつけてくるよね。声からしてたぶん王都に残っていた冒険者の先輩方に受付嬢、それにルイズとロルフも来たんだ……
意識が途切れかかっている。せめて声を聞かせてあげたいなと思って口を開くと、それが今の僕に残された最後の力だったようだ。
ブツンと、電源を落としたテレビのようになにもかもが真っ暗になって、
「返事をしなさいよ、おバカ!!」
「ごふぁ!?」
腹部にめり込んだルイズの握り拳によって強制的に意識が戻されるのだった。




