雑学百夜 鉃道会社の「鉃」という字をよく見てみると
鉃道会社の「鉃」という漢字をよく見てみると、JR北海道・東海・東日本・西日本・九州の各社は「金」を「失う」と書く「鉄」という漢字を縁起が悪いとし「失う」の代わりに目的地へ一直線に飛ぶというイメージの「矢」をあてた「鉃」という漢字を使っている。
デッキの壁に立てかけたギターケースを椅子代わりにただぼんやりと車窓からの景色を眺める。ふと思い出す。五年前、相棒のリッケンバッカーと共に電車に乗っていたあの時とまるで同じだ。進行方向と胸に抱えた希望と後悔とがまるで逆なこと以外は。
運が悪かったんだと思えばいい。音楽だけで言えば俺たちだって負けていなかったはずだ。ただ時代の波って奴を読み間違えた。今や誰でも簡単にネットで投稿できる時代、柔軟に対応できず、ただ上京に拘ることしか出来ていなかった俺たちは振り返ってみれば淘汰されて当然だった。
曲作りよりバイトに費やす時間の方が長くなっていく日々。ふと気付けばテレビやネット、世界の隅々にまで音楽は行き渡っていて、そんな世界に俺の曲の付け入る隙間はあるんだろうかと不安が募る。眠れない夜は発泡酒で誤魔化し続けた。
そんなある日、いつものように四畳半のボロ部屋でやけ酒を煽っているとおふくろから電話があった。
親父が倒れたらしい。本人にはまだ告知してないがガンだったのだという。
「ねぇ、お母さんどうしたらいい?」
電話口でおふくろが弱々しげに呟く。
「お父さんの看病もしないといけないし、でもパートだって続けないとお金が……」
携帯を握りしめる。俺みたいな馬鹿にだって流石に分かる。おふくろは帰ってきて欲しいのだろう。
なんて答えたらいいのか考えあぐねていると「あっ、お父さん! ちょっと!」と母の声がした。電話を奪ったのだろう、親父は有無を言わせぬ口調でこう言ってきた。
「お前は、お前の道を行け」
映画やドラマ、そしてロックの歌詞で散々使い古された手垢まみれのその言葉は、どこまでも真っ直ぐ俺の胸に刺さった。
自分の底知れない不安を乗り越え、息子の未来を案じる親父の背中を想う。
俺は部屋の隅に立てかけた相棒に目をやった。睨むような視線になってしまったが仕方ない、そうでもしないとこれまで堪えてきたその全てが溢れてしまいそうだったからだ。
俺は今、故郷である愛媛県に帰っている。前述の両親の事を案じて決意したといえば聞こえがいいが、実際は東京で知り合ったバンド仲間に両親の事を話した時「そりゃ、お前帰ってあげた方がいいぜ」「俺たちの方はいいからさ、親孝行してやれって」とあっさり送り出されてしまい行くべき場所が故郷しかなくなってしまった事の方が主な理由だ。あいつらも何か理由を付けて音楽を辞めたかったのかもしれない。それともまさか俺だけを追い出す口実をずっと探していた? ……考えるだけ無駄だ。
俺は景色に飽きた後、何となくみどりの窓口で購入した切符を見ていた。
東京から岡山まではこの『新幹線のぞみ』で行き、岡山から『特急 しおかぜ』に乗り換える。計六時間強の行程だ。
……ん?
ふと切符の裏面を読んでいると気付いた。JR東日本の方は『東日本旅客鉃道株式会社』と社名を書いているのに対し、JR四国の方は社名を『四国旅客鉄道株式会社』と書いている。よくよく見ると「鉃」と「鉄」で字が違う。
どうでもいいような事ではあったが、何となく気になり通り掛かった車掌に聞いた。
「あぁ、まぁゲン担ぎみたいなものなんですけどね、何でも会社発足当時『金』を『失う』って書く『鉄』っていう字を上の人が嫌ったらしいです。だから鉃道会社の鉃はちょっと違う字を当ててるんです。四国だけは何故か鉄のままですけど」
オタク気質なのだろう、車掌さんは少し早口でそう言うと誇らしげに笑った。
なるほど。まぁ確かに『失う』って漢字はこれから新しい事業を起こそうというタイミングでは気になるものかもしれない。それに『矢』という作りの方が真っ直ぐ進むイメージが鉃道会社にはピッタリだ。
……っていうことは、だ。
自然と苦笑いが浮かぶ。
俺は今、『失う』に向かっている訳だ。自分から、好き好んで。
これもまたイメージは皮肉な程、ピッタリじゃないか。あぁそうかい。
俺はポケットから携帯を取り出し、メールでおふくろに到着時間を連絡した。
俺は確かにこの帰郷で多くのものを失うのかもしれない。
このリッケンバッカーだっていつまで手元に残しておくか分からない。
ただ、だから何だというのだ。
携帯におふくろから着信があった。
「あんた連絡遅い! 良い? 今夜はあんたの大好物にしといたから寄り道せず帰ってくるんよ?」
程なくして親父からメールがあった。たった一行「ありがとう」とだけあった。
『まもなく、岡山~岡山~松山行き列車にお乗り換えの方は――』
列車がゆっくりと速度を落としていく。
失ってばかりの日々だったが、少なくとも今夜の俺には肉じゃがとビールがあるようだ。
充分さ。
失いたくないものを見失わなければそれでいい。
「そうだろう?」
俺は息だけの声で呟いた。
相槌を打つようにギターケースが一度だけ揺れた。
雑学を種に百篇の話を一日一話投稿します。
3つだけルールがあります。
①質より量。絶対に毎日執筆、毎日投稿(二時間以内に書き上げるのがベスト)
②5分から10分以内で読める程度の短編
③差別を助長するような話は書かない
雑学百話シリーズURL
https://ncode.syosetu.com/s5776f/
なおこのシリーズで扱う雑学の信憑性は一切保証しませんのでご注意を。